今回北京にはじめて訪れたので、盧溝橋(ろこうきょう)に行きました。日中戦争のきっかけとなった有名な橋で、1192年に作られた石橋です。旅人を見送る人はこの橋で別れを惜しむのが習わしであったと言われ、北京八景の名所としても知られているそうです。橋の東側の脇には清の乾隆帝が建てた廬溝暁月の碑文があり、記念写真を撮りました。橋の東側に日本軍が陣地を作り中国人と対峙した場所です。
昔は橋の下を流れる水が北京の人々の飲料水になっていたそうです。1937年7月7日に日本軍が挑発し、戦争を引き起こしたことに異論はないと思います。盧溝橋は全長が260メートルあり、欄干の上には500体の獅子の石像があり、見応えがあります。元の時代にマルコポーロは『東方見聞禄』の中でこれについての記載を残し「これほど美しい橋は世界中どこを探してもほかには見つからないだろう」と語っていました。
ガイドさんに案内されて盧溝橋まで車を飛ばしました。あまり日本語は詳しくない方でしたので詳しく説明を聞けなかったのですが、中国人にとってはとても歴史的に重要な場所です。
画像の一番左の本は中国語と日本語で書かれた本で、「北京の外部に通じる南西部のノドとしての重要なルートである盧溝橋地区だけが中国の第29軍にがっちりと守られていました。日本軍は華北を攻撃するルートを打開するため、だいぶ前からこの地に対し虎視眈々としていました。」と記述されています。とても晴れわたった青空を見ながら約70年前も同じような青空だったのかな、と複雑な気持ちになってしまいました。
昔は橋の下を流れる水が北京の人々の飲料水になっていたそうです。1937年7月7日に日本軍が挑発し、戦争を引き起こしたことに異論はないと思います。盧溝橋は全長が260メートルあり、欄干の上には500体の獅子の石像があり、見応えがあります。元の時代にマルコポーロは『東方見聞禄』の中でこれについての記載を残し「これほど美しい橋は世界中どこを探してもほかには見つからないだろう」と語っていました。
ガイドさんに案内されて盧溝橋まで車を飛ばしました。あまり日本語は詳しくない方でしたので詳しく説明を聞けなかったのですが、中国人にとってはとても歴史的に重要な場所です。
画像の一番左の本は中国語と日本語で書かれた本で、「北京の外部に通じる南西部のノドとしての重要なルートである盧溝橋地区だけが中国の第29軍にがっちりと守られていました。日本軍は華北を攻撃するルートを打開するため、だいぶ前からこの地に対し虎視眈々としていました。」と記述されています。とても晴れわたった青空を見ながら約70年前も同じような青空だったのかな、と複雑な気持ちになってしまいました。
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