奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

奥揖斐の木の実、蠅帽子嶺など No228 0830

2021-08-30 14:52:14 | 奥揖斐の歴史など

奥揖斐の木の実、蠅帽子嶺など

2021年 8月30日(火)

★ 木の実

 藤橋で働く仲間(徳山村山手出身のKさん)から、木の実ストラップを4個(種類)もらった。さあ、なんの実かわかるかな?

写真1 

 

写真2 珍しい3ッ割れ

 

 

写真3

 

写真4

 

写真5 おまけ ある動物の牙

 

☆ こたえ

写真1・・・トチの実

2021.8.21撮影 9月になると落ちるだろう

 

写真2・・・クルミ(鬼くるみ)

 

クルミ(皮付き)2021.8.29 撮影 昨年秋この木の下で熊が皮ごとバリバリと音をたてて食べていた。音聴いて近づくとクマさんと目が合った

 

写真3・・・紅葉葉風(モミジバフウ)、カエデのような木の実(写真なし)

写真4・・・ムクロジ(無患子)の実(写真なし)

 

写真5・・・ツキノワグマの歯 [息子(次男)が猟師をしていて、一本抜いて貰ったもの]、このホルダーもKさんに作ってもらった

 

2021.5.21撮影 熊は、クルミの香りを嗅ぐために木に登っている?

 

☆ 実に関する雑談・・・いつも泊まる門入(テンポナシ)小屋のIさんとの話(現本巣市に在住、S10年生まれ)

・トチの実は、区長が取っていいよと触れが回ってからでないと採れない。例年、大体 9月10日前後に採っていいことになる。実は長期保存ができ、5年も10年も食べられた(2015.10.12談)

・サワクルミの木、神様の木。木地屋さんは信仰心が強い、キジヤさんが神様と崇めたサワクルミ(神木)が黒谷に40数年前まであった。黒谷(ホハレ峠から谷沿いに門入へ行く谷の名)にはキジヤ平といい、越前からきた木地屋が住む作業場があった(2015.10.12談)

・昔は食事は貧しく、米1合に稗・粟9合であった、炊いて食べた

 栃ころ=米1升に栃の実3升を炊いたものをすりこぎでつく。美味しかった(2016.5.22談)

 

 

★ 蠅帽子嶺(別名:這法師山、這越山、灰ホウジ山)1037m 1/2.5万地図[能郷白山]

・昨日(8/29)奥揖斐山荘登山部の顧問2名、部員2名で蠅帽子嶺に登った。あいにく私は仕事で行けず、写真と情報をいただいた

・蠅帽子峠(這法師峠)は「はいぼし、はえぼし」ともいう。この名の由来には、「夏、蠅(夏季に谷で大発生するアブのこと)が多く、帽子を被って通ったから」とか、「寺の門主が峠への急坂を這って登ったから」などの諸説がある

 かつては温見峠とともに美濃と越前を結ぶ重要な交通路であった。しかし、真名川に笹生川ダムができ、温見峠を自動車が通るようになってからは利用されなくなった(略)

 元治元年(1846年)旧暦12月 5日、水戸藩の家老、武田耕雲斎が率いる天狗党の一行八百余名が、2メートル余も積もった雪の中を大河原から秋生に越えて行った話は有名である(新日本山岳誌より)

 行程 大垣6:00 登山開始から2:16で登頂(・・山岳誌では3:00)、峠には寄らず山頂のみ征服、食事後、下山したそう

 

10:10 ころ 山頂からの風景(能郷白山方面)

 

10:10ころ 山頂の三等三角点(点名:這星)と山銘板

 

・蠅帽子嶺は、ぎふ百山、続ぎふ百山には入っていないが、本巣市観光協会発行の西美濃の名山(92山のNo86)やOSKが選定した美濃百山にC級(40座のNo22)で入っている。とりつきで徒渉があり、私が2015年に渡ったときはロープが張ってあったが、昨日はなかったとのこと(水は膝上まであったそう)・・お疲れさまでした

 

☆ 参考

徒渉地点のロープ(2015.10.18撮影)

 

峠近くにあるお地蔵さま(2015.10.18撮影)

 


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