奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

この一冊(その2)1108

2019-11-08 16:59:51 | 山登り
氷壁 井上 靖


 写真は、昭和33年2月「穂高への道にて」新潮社 井上 靖全集第11巻より

「氷壁」は、井上 靖の長編小説
 1956年2月24日から1957年8月22日まで「朝日新聞」に連載され、1957年に新潮社から単行本が刊行された。切れるはずのないナイロンザイルが切れたために登山中に死亡した友人の死を、同行していた主人公が追う。ウキペディア

 この作品を書く動機は、親しい友達数人と穂高の涸沢へ月見に行き、穂高の美しさに打たれたことと、もう一つは、東京に帰ってからその時の一行の一人である三笠書房の編輯長で登山家である長越茂雄君から、北アルプス前穂高岳で発生した遭難事件を聞いたことにある(後略)。「井上 靖小説全集」第13巻(昭和48年8月20日刊)より






 氷壁の1ページ目を複写

~氷壁を読み終えて~
・この小説は60年以上前(私が5歳)に刊行された。読んで登山の奥深さを改めて感じ、自分が山の初心者であることを再確認した
・ハッピーエンドと思ったが、、、

~気になったところ~
・p443「山登りは絶対に賭けであったらならぬのだ」→ 最後に賭けをしたと思う
・p511「80メートルのナイロンザイルを使用して、、、」→ この当時80mがあったのだ

~その他~
・身長、体重など尺貫法で表現、P506では橇を引いている馬が、、、 → 時代を感じる
・P537「泥棒しようが一生涯にたくさん費っちまった奴が金持ち、巨万の富を抱いていても、一生涯に少ししか費わなかったら、これは間違いなく貧乏人、、、→ 僕は金持ちかな?
・もっと早く読めばよかった、読んでいるうちに自分が主人公になった気分に!


 子供のころ収集したマナスル登頂記念切手。切手に描かれているザイルは「ナイロン」?  (新聞連載開始は1956年2月24日から、マナスル登頂は1956年5月9日)

「氷壁」ぜひ読んでみてください
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猪臥山 1104

2019-11-05 04:08:54 | 山登り
猪臥山(1519m)
 2019年11月4日  1/2.5万地図[猪臥山]
 6:30岐南町役場 🚙8:00猪臥山トンネル手前登山口8:10 →11:00山頂11:45 →13:25登山口着 🚙 岐南町役場 →自宅

 山頂にある山の案内盤

私が登る山は、一人で登るか、人を誘うか、誘われるか、であるが、今日は大垣のある山の会の個人山行に同行させてもらった。たまには他のグループの山行(流儀?)参加も勉強だと思う
 さて猪臥山、新日本山岳誌によれば、山名の由来はイノシシが伏せている姿に似ているとか、ニホンイノシシが多く生息している山であるからと書いてある。また、山頂からは北アルプスの山々、白山連峰、富山県境の山などの展望がすばらしいとある
 予報は晴、登山開始、360°展望と紅葉を期待して登る

 8:21 登山道脇の紅葉


 9:40 整備された登山道

 登山道はなだらか、雪のある時に登りたいとリーダーが言っている、スノーシュー登山は最高でしょうねと答える。3時間ほど歩くと山頂付近、ガスがかかってきた

 10:48 もうすぐ山頂


 11:39 山頂着

 山頂で食事をしていると若干霧が晴れてきた。山案内盤を参考に山座同定、昨日Kさんが登ったハズの大笠山~笈ヶ岳を探すがわからない、また天気の良い日に登ろうということで下山準備、彼方のNTT鉄塔方面に下山する

 11:40 鉄塔方面、ガスが抜け天気よくなる

 下山開始すぐ、右手に下山道あり、ヤマップを見ると右手が下山コースになっている、つい右に曲がるとまっすぐ(登り返しもない)谷沿いに降りている、当初のコース(NTT鉄塔方面)から外れている。気が付いたときは遅い、天気のいい日を狙ってもう一度行こうと話しそのまま下山した

 13:26 登山口着


 登山口にある案内図、今日下山したコースは山頂すぐ東(へ約10分あるいて)から南の彦谷沿い降りてしまった

今日の反省など
・ヤマップに頼るのも善し悪しだね
・間違った帰りの登山道、途中から林道、車を利用すれば1時間で山頂に着きそう
・猪臥山は“ぎふ百山”の一つ、全部登るにはまだ時間がかかりそう(あと29山)

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