とあるスナックで
コー
p-168
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松方、レオン会議は、特に日本側の政府事情にも合わせて図られたものだ。
「謀議」は、日本のその後の金融支配者、つまり日本の「新国王」を確約した決定的瞬間を意味した。日本の天皇の地位の格下げ(権力排除)もこの「謀議」に含まれた。国家支配者は金融支配者一人で十分だからだ。ところで、松方とレオンの謀議をまるで見てきたようにこう断言できるものなのか。実はできるのだ。なぜなら謀議の結果を帰国後の松方のその後の動きが如実に明かしているからだ。
帰国後、松方はセイの助言(指示)どおり、日本の中央銀行としての日銀創設に走った。小論の解説から要約する。
[ 日銀の使命は不換紙幣、つまり政府紙幣および国立銀行紙幣の償却にあった。それまで国法で設立された日本の諸銀行(国法が許可した民間銀行のことで、両替商三井商店を中心にした第一国立銀行ほかの財閥系銀行それに第153銀行まで、紙幣発行権を持っていた民間の諸銀行)の発行権を停止させ、銀行群の不換紙幣の焼却処分を命じた。紙幣の償却は経済学上は通貨供給量(マネー・サプライ)の減少になる。市中に出回るおカネが減れば不況を招く。それで有名な「松方デフレ」が起きた。だが、不換紙幣ではなく正貨(銀)兌換券の日本銀行券を流通させるのが松方日銀の政策目的だからデフレはやむを得なかった。松方は国法銀行条例を改正することで、国法で許可されてきたあまたの「国立銀行」から貨幣発行権を確実に奪った。通貨発行権の廃止は日本金融市場、最大のポイントだった。]
小論の要約をさらに続けてみよう。
[ 通貨発行権を失ったそれまでの(国立銀行群)は期限内に私立銀行に転換した。日銀券の流通で、江戸時代の(藩札)以来の地方通貨は消え、日本の金融は日銀の支配下に入った。(中略)日銀券流通以前の日本経済はインフレ基調で物価上昇あるのみだった。松方の日銀券流通政策はデフレ政策だから国民には不人気だった。西南戦争の余韻も残る時世でもあったから、政策担当者が暗殺される可能性すらあった。松方は政策転換に際して、太政大臣三条実美と右大臣の岩倉具視を同行、明治天皇に拝謁、途中で政策転換を命じない保証を天皇から取り付けた。日本の事実上の「国王」、[ つまり日本版ロスチャイルド ]の地位に就いた松方にとって明治天皇といえども”傀儡”にすぎなかったのだ。デフレ傾向は弱まり景気は次第に回復した。]ーーーーー。
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p-31
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結果論としては、あの世界戦争は日本が稼ぎ出した資金で賄われ、終戦後の復興資金も日本が賄ったものだとする認識は飛躍でもオーバーな話でもない。もっといえば、日本の天皇をおだて上げておいて、満州、さらには中国アジア全域の諸国に天皇の名において日本軍を侵攻させ、アジア人の金塊財宝強奪を代行させ、その全責任を日本にかぶせながら、奪った金塊類については勝利国がすべて手にする。そんな金融資本家たちの欧米世界戦略シナリオが日本人エリートたちの大奮闘で大成功したのだ<この論拠については拙著「スパイ・べラスコが見た広島原爆の正体」学習研究社>をお読みいただきたい)。ーーーーー。
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小林
明治の初めごろに日銀ができた当時のことを考えると、リチャード・ベルナーが言っていた、日銀のプリンスたちが、日本のバブルを作り、そして潰したという事が、つながってきますね。福井俊彦をはじめ日銀のプリンスたちは、脈々とロスチャイルドのDNAが流れているという事ですね。
コー
それにしても、天皇も「やつら」のネットワークにガッツリと繰り込まれているということだな。
ヤレヤレ。