とあるスナックで
小林
この話では、日本の金利が上がってきてるようですね。
コー
どうもそうらしいな。
そろそろ経済恐慌に対して、準備しておかないといけないようだな。
万が一に備えて、準備するべきだな。
それが空振りになったっていいんだよ。
小林
ほんとにそうですね。
とあるスナックで
小林
この話では、日本の金利が上がってきてるようですね。
コー
どうもそうらしいな。
そろそろ経済恐慌に対して、準備しておかないといけないようだな。
万が一に備えて、準備するべきだな。
それが空振りになったっていいんだよ。
小林
ほんとにそうですね。
とあるスナックで
ママ
コーさんも、小林さんもちょっと一休みしたらどう?
コー
そうだね、じゃ今夜はおれのリクエストをお願いしますね。
いやーいいね。たまにはママ、こんな音楽を聴きながら踊ってみたいね。
小林
しかしこの三人は誰なんですか?
コー
小林君、あんまり細かいことはいいんだよ。
懐かしいね。彼女たちの歌声。昔とは違って、これはこれでいいねー。
何とも言えず年輪を重ねた重みがあるね。いいねー。
とあるスナックで
小林
コーさん、ネットではいろいろ「南京虐殺」というのは、捏造だという意見が出ているんですね。
コー
そうだね、やっぱり同じ日本人がそんなことをしたとは思いたくないもんな。自分たちの父親やそのまた父親が、そんな残虐なことをしたとは思いたくないもんな。
ここでもそれを言っている。随分多くの人が「南京虐殺」は捏造だと思っているんだろうか。
小林
ディヴィット・バーガミニは、「南京虐殺」はあったといっていますよね。
「天皇の陰謀」の[Ⅲ]の「満州事変ー泥沼のはじまり」の p-103
・・・・・。
この二人は、10月の第一週に金竜帝におもむき、以来逗留をつづけながら、どちらが酒に強いか、どちらがクーデターのよりすぐれた作戦「創作」を書けるかの競争をしていた。
結局、公開されることになったのは、長少佐の創作であった。彼は劇作の才能を持ってた。1937年の、南京城壁の外側で、「捕虜を全員殺害せよ」という内容の朝香宮署名の命令書を起草したのは彼である。また、1945年に、沖縄の洞窟において、全島の兵士ならびに民間人に対して、「倒れてのち止む」という最後の指令の筆をとったのも彼であった。・・・・・・。
コー
注意して見てほしいんだが、あまりにも残酷すぎて。そしてこちらの映像も。
小林
南京で戦った日本兵全員が残虐行為をしたということではないんだろうけど、または全部の部隊が残虐行為をしたということではないんでしょうけど、なにしろどのくらいの割合かはわかりませんけど、残虐なことを、日本軍がしたということは、間違いがないと思いますね。
そう思います。
とあるスナックで
小林
著者は当然ですが、徹底的にしらべたようですね。 P-38
私は932人の日本の指導的な官僚および軍人の個人的記録の記されたカードを収めた8冊の厚手のルーズリーフ・フォルダと、ぎっしりと書き込んだ2千ページのノート、百部ほどのさまざまな日本の雑誌、60冊の日本人の日記、回想録、240時間分のインタヴューと感想の録音テープを持っていた。
私は、この大量の資料を、帰国途中にシンガポールに10日間、オーストラリアに5週間寄ることによって、さらにふやした。シンガポールで私は、日本の占領当局が発行していた英文の戦時紙、「ショーナン・タイムズ(昭南タイムズ)」の完全なファイルを読むことができた。オーストラリアのキャンベラでは、若干の第二次大戦中の民間情報報告に接する機会を親切にも与えられた。ダグラス・マッカサー将軍に戦後の日本管理について助言するために提出された極東委員会報告書と、1946年から1948年にかけて東京におけるA級戦犯裁判の11カ国連合法定の議長を務めたクィーンズランド州首席判事ウイリアム・ウエップ卿のメモと書簡にも接した。私は、キャンベラ図書館で、終戦に際し、オーストラリア、ニュージーランド、中国の将校たちが、天皇裕仁が日本の首領であり、あらゆる戦争責任者の名簿の筆頭に据えられるべきだということで一致しているのを発見して、ほっとした。彼らは、後になるとダグラス・マッカサーの、天皇を国際法のもとに犯罪者として裁判にかけるよりも日本の復興に利用するという決定ーーなかなか機転のきいた決定だと私も思うがーーに屈服したわけだが。
コネティカットの我が家への帰路、私は、海外から持ち帰った半分しか消化していない情報の吸収と整理を始めた。・・・・。
P-40
私の証拠から、伝記作者の公式人物像とはまるで写真のネガとポジのように異なった、裕仁の像が現れてきた。私の評価では、裕仁は、倦むことを知らぬ、一身を捧げた、細心で狡猾な、辛抱強く、忌むべき戦争指導者であった。彼は、彼の偉大な祖父[明治天皇]から、アジアを白人から奪い取るという使命を引き継いでいた。国民が抵抗し、尻ごみしていたので、彼は、戦争前20年にわたり、その課題の心理的および軍事的準備を国民にさせるべく、巧妙に彼らを操作したのである。この私の評価とは対照的に、公式の人物像はーー多くの点で魅力に欠けるものだがーー裕仁を、帝国の管理を将軍と元帥にまかせ、真菌植物と微生物のような海中生物を相手に渉猟することに没頭している、教養ある、引退した生物学者として表している。
巧妙な神話化がーーー私はその宮廷の新聞発表の多くの例を曝いたがーーーこうした虚像のイメージを印象づけたことを説明できるが、真実のイメージがいとも簡単にけされていたことには私もとまどった。私には、国民全体、それに外国人観察者が、終始一貫して大衆的盲目状態に陥っていたとは信じ難かった。天皇は、外国からの外交官を含むすべての者が彼のまとった衣装の質の良さと洗練を称賛している時に、実際は裸で歩きまわることができたのであろうか?あきらかに彼はできたのだ。なぜなら、私は1967年にその現象の信ずるにたる典拠をみたからである。
・・・・・・。
コー
なるほどそうだろうな。天皇が何も知らなかったなんてことは、普通に考えても考えられないもんな。
天皇と彼を取り巻く一部の人間。そして天皇の親族。
たしかに日本を支配していた人間たちの重要な一部なんだろう。日本の支配層の核なのかもしれない。
日本人自身が、この構造を暴き知るべきなんだろうな。
そうとう難しいけど。我々の見えない牢獄、鎖 「債務貨幣制度」を暴くのとどっちが難しいんだろう。
とあるスナックで
コー
この本の目次をみてみよう、7冊分を。
[Ⅰ]・・南京大虐殺と原子爆弾
[Ⅱ]・・ポツダム宣言と天皇人間宣言
[Ⅲ]・・満州事変ー泥沼のはじまり
[Ⅳ]・・二・二六(2.26)事件と天皇の裏切り
[Ⅴ]・・東条英機と真珠湾への道
[Ⅵ]・・世界最終戦の勝利と敗北
[Ⅶ]・・帝国の没落と東京軍事裁判
小林
コーさんはこの一冊目を読んだんですよね。やっぱり南京大虐殺はあったんでしょうね。一体何人ぐらいの人が犠牲になったんでしょう。
コー
p-64にはこう書かれている。
・・・・。
1937年に松井の率いる軍隊は、目ざましくも野獣的な四か月の戦闘のうちに、上海港から揚子江の峡谷を百七十マイル攻め上がって南京を占領し、不気味に亢進するテロルの六週間、南京を蹂躙した。十万から二十万の中国人が処刑された。少なくとも五千人の婦人、少女、女児が、殺される前に強姦された。市内のすべての価値ある財物が略奪され、それは多くのアメリカ人に初めて、防共協定を結んでドイツ側に立った支配体制が極悪のものであることを、確信させたのである。
熱海の上の傾斜地に、半分揚子江の、半分国産の粘土で建てられた慈悲の女神は、すでに1938年に、南京に対して犯された日本の国民的罪業の確認のために建てられたものであった。一世代後、合衆国との間にさらに幾多の残虐と戦争が犯された後に、絞首にされた七名のための標柱が、観音像の背後に秘かに付け加えられた。・・・・。
小林
いつから日本の軍人はこんなことをするようになったんでしょうね、無抵抗の人間、女、子供を強姦して殺すようなことを。
日清、日露戦争の時もこうだったんでしょうか。
コー
うーん、どうだったんだろう?