とあるスナックで
小林
コー
小林
この本の P-243
三重野の証言は、1987年の福井の説明と符号している。よく知られているように、プリンスたちは一緒に仕事していたから、このあたりで、福井と三重野を選んだ先輩も目標を同じくしていたのかどうか調べてみよう。ほんとうにそんな長期目標が存在していたかどうかを確認する必要があるからだ。そこで、若い三重野を採用し、日本のプリンスとして選んだ人物に遡って(さかのぼって)みることにする。佐々木直(ただし)である。彼は「法王」一万田(いちまだ)に選ばれた最初のプリンスだった。一万田は彼を営業局長に据えて、法王の厳しい信用配分メカニズムを実践させた。計画どおり、佐々木はまもなく一万田の跡を継ぎ、10年以上日本を支配した。一万田と同じく統制経済主義、介入主義の実践者であった佐々木は、融資計画の生殺与奪の権を徹底的に行使した。
だが佐々木は1980年代はじめに方針を180度転換したかに見える。とつぜん、金融自由化と日本経済の国際化という目標の積極的な支持者になったのだ。日本の経済体制には根元的な変革が必要だと思い至ったらしい。日銀のバトンをプリンス前川に渡した佐々木は、経済同友会代表幹事に就任し、1983年1月に「世界国家への自覚と行動」と題する日本経済の改革と自由化のための5ヵ年計画を作成した。
この計画は、日本は世界に向けて早急に市場を開放すべきであると呼びかけ、日本経済は「目先の国益擁護型から、世界共通の利益増進型へ転換しなければならない」と述べている。目標は農業、金融、サービス業の迅速な「完全」自由化だった。さらに、規制や官僚の指導の廃止、行政改革、政策決定に政治家が大きな役割を果たすこと、首相の権限を大幅に強化し、強力な指導力を発揮できるようにすることなどを強く求めていた。こうした変革は日本だけでなく世界のためでもある。と計画は述べている。こうした「大胆な市場開放は欧米との経済摩擦解消に役立つだけでなく、産業構造の変化を促して日本経済の活力維持にもつながる」。この革命的な改革のおかげで、日本経済は高成長を維持し、5パーセントの実質成長も可能になるにちがいない。
このレポートは主として国内の読者を対象としたもので、慎重で控えめな言葉使いではあったが、当時としては過激な内容だった。政治プロセスの変革から官僚の権力剥奪まで提案しているのだ。ベールに包まれているとはいえ、これは、戦後体制のエリートたち、とくに大蔵省に対する正面攻撃だった。
佐々木はこれに続いて、1年後にふたたび経済同友会を通じてレポートを発表した。今度は、国際化とポートフォリオの多様化の名のもとに、日本の銀行は積極的に海外事業を拡大すべきだと要求している。そのために、大蔵省は(それまで厳しくチェックしてきた)銀行の海外事業に対する規制を緩和し、海外子会社として信託銀行や証券会社をもつことを認めるべきだと言った。もちろん、銀行システムを支配し、窓口指導を通じて日本経済を動かしている日銀のやり方について、佐々木がこれを改革すべきだとは言っていないのは、興味深いところである。
三重野の証言は、1987年の福井の説明と符号している。よく知られているように、プリンスたちは一緒に仕事していたから、このあたりで、福井と三重野を選んだ先輩も目標を同じくしていたのかどうか調べてみよう。ほんとうにそんな長期目標が存在していたかどうかを確認する必要があるからだ。そこで、若い三重野を採用し、日本のプリンスとして選んだ人物に遡って(さかのぼって)みることにする。佐々木直(ただし)である。彼は「法王」一万田(いちまだ)に選ばれた最初のプリンスだった。一万田は彼を営業局長に据えて、法王の厳しい信用配分メカニズムを実践させた。計画どおり、佐々木はまもなく一万田の跡を継ぎ、10年以上日本を支配した。一万田と同じく統制経済主義、介入主義の実践者であった佐々木は、融資計画の生殺与奪の権を徹底的に行使した。
だが佐々木は1980年代はじめに方針を180度転換したかに見える。とつぜん、金融自由化と日本経済の国際化という目標の積極的な支持者になったのだ。日本の経済体制には根元的な変革が必要だと思い至ったらしい。日銀のバトンをプリンス前川に渡した佐々木は、経済同友会代表幹事に就任し、1983年1月に「世界国家への自覚と行動」と題する日本経済の改革と自由化のための5ヵ年計画を作成した。
この計画は、日本は世界に向けて早急に市場を開放すべきであると呼びかけ、日本経済は「目先の国益擁護型から、世界共通の利益増進型へ転換しなければならない」と述べている。目標は農業、金融、サービス業の迅速な「完全」自由化だった。さらに、規制や官僚の指導の廃止、行政改革、政策決定に政治家が大きな役割を果たすこと、首相の権限を大幅に強化し、強力な指導力を発揮できるようにすることなどを強く求めていた。こうした変革は日本だけでなく世界のためでもある。と計画は述べている。こうした「大胆な市場開放は欧米との経済摩擦解消に役立つだけでなく、産業構造の変化を促して日本経済の活力維持にもつながる」。この革命的な改革のおかげで、日本経済は高成長を維持し、5パーセントの実質成長も可能になるにちがいない。
このレポートは主として国内の読者を対象としたもので、慎重で控えめな言葉使いではあったが、当時としては過激な内容だった。政治プロセスの変革から官僚の権力剥奪まで提案しているのだ。ベールに包まれているとはいえ、これは、戦後体制のエリートたち、とくに大蔵省に対する正面攻撃だった。
佐々木はこれに続いて、1年後にふたたび経済同友会を通じてレポートを発表した。今度は、国際化とポートフォリオの多様化の名のもとに、日本の銀行は積極的に海外事業を拡大すべきだと要求している。そのために、大蔵省は(それまで厳しくチェックしてきた)銀行の海外事業に対する規制を緩和し、海外子会社として信託銀行や証券会社をもつことを認めるべきだと言った。もちろん、銀行システムを支配し、窓口指導を通じて日本経済を動かしている日銀のやり方について、佐々木がこれを改革すべきだとは言っていないのは、興味深いところである。
コー
そりゃそうだろう。日銀の<窓口指導>は、まさに<信用創造>、<通貨発行>の権力はどこにあるのかということの答えを、如実に表しているわけだからね。
秘密中の秘密なわけだ。
秘密中の秘密なわけだ。