とあるスナックで
コー
いやー、日本の政治を変えるには、スマホで投票できるようにした方が早く変わるんじゃないんだろうか。そっちの方が早くすぐに政権が代わるように思うな。
しかし数字ではひどい景気の落ち込みだったんだな。
とあるスナックで
小林
この方の動画は時々みてるんですけど、今回の話、いいですね。
「債務貨幣制度」、「部分準備銀行制度」そのものの話だと思いますね。
コー
そしてこの話も。
「信用収縮」が始まったんだな、こりゃ。
これこそ「債務貨幣制度」の構造的欠陥だな。
とあるスナックで
小林
著者バーバガミニは、この本を書く理由をいくつか言ってますね。 そして自分の立場というのも言っていますね。
「(Ⅰ)南京大虐殺と原子爆弾」 p-4
・・・・・。
この本の翻訳者であるいいだももさんとちがって、わたしは共産主義者であったこともなければ、共産主義者であることに惹かれたこともありません。わたしは政治的イデオロギーのまじめさを信じませんし、就中(なかんずく)スローガンとなって掲示板に高くかかげられているあらゆるイデオロギーのまじめさを信じません。
二人か三人で身を寄せ合っているさいには、たいがい誰もが善い感情をもつものです。それがもしも、かれら二人か三人のなかの或るものが支配されなければならないというような事態に変わったりしますと、まちがいなく、かれらの一人は他の人に対する裏切り者であり、立身出世追求に対する邪魔者であるということになってしまいます。
わたしとしては、政治というものは定義上犯罪的なものであり、警察官は天国と地獄の犯罪者の・・・・・・・。
p-27
・・・・・。
日本人の二重性格についての子供の時分の謎を解こうという考えが、私の心を強く動かした。・・・。
p-28
・・・・・ということに気づいた。私はその物語にうんざりしたのでもなければ、それを信じないわけでもないが、逸話や話劇で戦争を作り上げることはできない、とますます強く感じるようになった。私の頭からは依然として子どものころの疑問が離れなかった。いったいなにが、気持ちがよく、知的で、芸術的な日本の民衆を戦争に向かわせ、アジアの他の側に対する凶暴な錯乱行為を行わせたのか? という疑問である。
私の疑問に対する出来合いの回答は、軍国主義であり、1930年代に一握りの共謀した野心ある将軍たちによって日本の社会に書きたてられたとする集団的狂気であった。・・・・・・。だが、彼らのうち誰一人として政治的に能力があるとは思われなかった。・・・・・。
・・・・。
・・・・、1939年5月に始まったこの戦争が、日本政府によっていまなお公式には自然発生的な国境事件として説明されており、彼の上官たちは戦犯裁判で、”事件”の勃発に際して、参謀本部の綴り込みのなかにノモハンの位置を示す地図を見出すことができなかった、という証言をしていることを、心得ていなかったのである。
p-32
私は、バターンの死の行進や南京虐殺のように、通常の残虐行為や、報復的略奪の十倍や百倍の殺戮ではなく、数千倍、否数万倍の殺戮を日本軍が一時的に犯したことがあったことを執拗に問題にした。将軍たちはみな、そうした ”悪しきこと” を耳にしたことがあると認めたが、一人だけ率直な将軍が例外的にコメントをつけようとした。「あれは政治家たちの殺戮だった」と。彼は顔をしかめ、それ以上なにも言おうとしなかった。
”政治家たち”という言葉に興味をもち、私は戦前の日本の文官の決定形成機構について真剣に研究し始めた。・・・・。
コー
ところで話は変わるんだけど、もしもだよ、小林君が70年前の日本人で軍隊で命令によって”捕虜”を殺せといわれたら殺すかい?
小林
なんですか、いきなり。それは難しいですね。だって”捕虜”を殺すことは「ジュネーヴ条約」で禁止されているんでしょ。
コーさんはどうなんですか、殺しますか殺さないですか。
コー
当時の現場の日本兵は「ジュネーヴ条約」なんて、言葉さえ知らされていないと思うよ。
命令だったら、やっぱり殺すだろうな。命令は絶対だもんな。命令に逆らったら下手をすれば、自分の命があぶないよ。
あの映画を思い出すな。
小林
え、どの映画ですか。
コー
「東京裁判」が、勝ち組の負け組に対する”報復”だとしても、フランキー堺が絞首刑になるなら、当然「裕仁」は絞首刑になるべきなんだろうな。
俺がこの本を読んだ感想の一つが、これだな。
ママ
なにをコーさん言ってるんですか、止めてください。
お願いですからその話はやめてください。まったくコーさんたら。