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イギリスの歴史文学者、アントニア・フレイザー著の『マリー・アントワネット』です。
一月に公開される映画の原作本。
映画マリーアントワネット 公式サイト
中学生のころにシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んで、夢中になった思い出があります。なにがよかったって、やはりあの贅沢です。なによりも、プチ・トリアノンのお庭造り。ああ、もちろん、うってかわった以降の運命の転変が、よけいつかの間の贅沢に、かけがえのない甘い蜜の味を加えてくれていたんですけどね。
夢は、消えてしまうはかない夢だから、よかったりします。
王太子妃のころ、皇女のプライドを持って、ルイ15世のお妾さんデュ・バリー夫人とやりあうあたりは、大奥を思わせてドラマチックでしたし、フェルゼンとのしのぶ恋も、大奥の古典、吉屋信子の『徳川の夫人たち 』と、通じるものがある感じでした。最後に、誇りを守って断頭台にあがるあたりもそうなのですが。
あまりにも、そのイメージが強すぎまして、他の作品を読む気がしなかったのですが、今度の映画がおもしろそうでしたし、本屋で見かけて、つい原作を買ってしまいました。
等身大のマリー・アントワネットかな、という感じです。
著者は、かなりツヴァイクを意識している感じでして、まあ古典ですから、意識する方があたりまえなのでしょうけれど、ツヴァイクのしくんだ悲劇性、物語性は、かなり薄められています。
それだけに、すらすら夢中になって読める、という感じではないのですが、皇女でも王妃でもなく、一人の女としてのマリー・アントワネットが、ごく身近に感じられます。そして、その身近さゆえに、フランス革命の野蛮な側面が、より強く迫ってきたりもするのですが。
ともかく、原作を読んだことで、映画がより楽しみになりました。
『下妻物語』の乗りで、「ロココ、それは十八世紀のおフランスを支配した、もっとも優雅で贅沢な時代」を、楽しめそうな予感がします。
ソフィア・コッポラ監督なら、「やがて哀しき」もうまく表現してくれていそうかな、と、思ったりするのですよね。
余談になりますが、マリー・アントワネットの肖像は、いやに頬が赤いんですよね。
私はまた、失礼ながら赤ら顔なのか、とずっと思っていたんです。
この本で初めて知ったことですが、当時のフランスでは、高価な紅で頬を真っ赤に塗る化粧法が、男性をも含む貴族の礼儀だったのだとか。ヨーロッパの他の宮廷には、そんな化粧法はなく、マリー・アントワネットは嫁入り先の風習に従っていただけだそうで。
この当時のフランス宮廷は、すでに欧州ファッションの中心になって久しいですし、大方の流行は他国の宮廷もまねるのですが、真っ赤な頬、というのは、ねえ。やはり、やりすぎの感が強かったんでしょうか。
ま、真っ赤な頬はともかく、当時から、フランスのファッション産業は、欧州各国の貴族、富裕層を引きつけて、経済の大きな柱だったわけですし、フランス王妃たるもの、ファッションリーダーとなってこそお国の役に立てるというもの。
フランス経済の行き詰まりは、アメリカ出兵の戦費によるところが大なのですから、稼ぎ頭の美の産業に貢献する王妃の贅沢に、文句をつけるのは馬鹿げていますよね。
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一月に公開される映画の原作本。
映画マリーアントワネット 公式サイト
中学生のころにシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んで、夢中になった思い出があります。なにがよかったって、やはりあの贅沢です。なによりも、プチ・トリアノンのお庭造り。ああ、もちろん、うってかわった以降の運命の転変が、よけいつかの間の贅沢に、かけがえのない甘い蜜の味を加えてくれていたんですけどね。
夢は、消えてしまうはかない夢だから、よかったりします。
王太子妃のころ、皇女のプライドを持って、ルイ15世のお妾さんデュ・バリー夫人とやりあうあたりは、大奥を思わせてドラマチックでしたし、フェルゼンとのしのぶ恋も、大奥の古典、吉屋信子の『徳川の夫人たち 』と、通じるものがある感じでした。最後に、誇りを守って断頭台にあがるあたりもそうなのですが。
あまりにも、そのイメージが強すぎまして、他の作品を読む気がしなかったのですが、今度の映画がおもしろそうでしたし、本屋で見かけて、つい原作を買ってしまいました。
等身大のマリー・アントワネットかな、という感じです。
著者は、かなりツヴァイクを意識している感じでして、まあ古典ですから、意識する方があたりまえなのでしょうけれど、ツヴァイクのしくんだ悲劇性、物語性は、かなり薄められています。
それだけに、すらすら夢中になって読める、という感じではないのですが、皇女でも王妃でもなく、一人の女としてのマリー・アントワネットが、ごく身近に感じられます。そして、その身近さゆえに、フランス革命の野蛮な側面が、より強く迫ってきたりもするのですが。
ともかく、原作を読んだことで、映画がより楽しみになりました。
『下妻物語』の乗りで、「ロココ、それは十八世紀のおフランスを支配した、もっとも優雅で贅沢な時代」を、楽しめそうな予感がします。
ソフィア・コッポラ監督なら、「やがて哀しき」もうまく表現してくれていそうかな、と、思ったりするのですよね。
余談になりますが、マリー・アントワネットの肖像は、いやに頬が赤いんですよね。
私はまた、失礼ながら赤ら顔なのか、とずっと思っていたんです。
この本で初めて知ったことですが、当時のフランスでは、高価な紅で頬を真っ赤に塗る化粧法が、男性をも含む貴族の礼儀だったのだとか。ヨーロッパの他の宮廷には、そんな化粧法はなく、マリー・アントワネットは嫁入り先の風習に従っていただけだそうで。
この当時のフランス宮廷は、すでに欧州ファッションの中心になって久しいですし、大方の流行は他国の宮廷もまねるのですが、真っ赤な頬、というのは、ねえ。やはり、やりすぎの感が強かったんでしょうか。
ま、真っ赤な頬はともかく、当時から、フランスのファッション産業は、欧州各国の貴族、富裕層を引きつけて、経済の大きな柱だったわけですし、フランス王妃たるもの、ファッションリーダーとなってこそお国の役に立てるというもの。
フランス経済の行き詰まりは、アメリカ出兵の戦費によるところが大なのですから、稼ぎ頭の美の産業に貢献する王妃の贅沢に、文句をつけるのは馬鹿げていますよね。
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