スイーツ大河『花燃ゆ』とBABYMETALの続きです。
いや、ですね。
『花燃ゆ』の新しい配役で、なにがいやって、事実関係を無視した全体的な時代の常識の見誤り、なんです。
誤解していただきたくないのは、細かな事実関係のいちいち、ではなく、例えば「龍馬伝」に登場! ◆アーネスト・サトウ番外編で書きましたような、「イギリス国教会やプロテスタントとカトリックのちがいもわからないままに、まったく史料のないお元ちゃんをキリシタンに仕立てて、笑い転げる以外に反応のしようのない幕末外交をドラマに組み込む」とか、明後日の方向へ、頭に蛆がわいたとしか思えない、壮大な妄想がくりひろげられることが、いやなんです。
全体の歴史の流れがNHKの妄想でしかないのでは、大河ドラマの存在価値があるのだろうか、とさえ、最近私は思っています。
はっきりいって、去年の大河は途中で見るのをやめましたし、今年の大河はほとんど見ていませんし、子供の頃をのぞけば、ちゃんと大河を見ていたことって、実はほとんどなかったりします。
それでも、家族が大河を見たりもしていたわけですから、一人暮らしの10年あまりは別にしまして、ちらちらとでも見続けてきた印象でいいますならば、国民共通の教養が、おそらくいま、無くなってきちゃったんですね。
源平の時代が一番わかりやすいのですが、平家物語や源平盛衰記の古典物語があって、それが能になったり、浄瑠璃、歌舞伎になったり、明治以降、いえ、戦後も昭和までは、舞台になったり小説になったりしてきたわけでして、そういうものの積み重ねの上に大河ドラマはあったんだと思うんですね。戦国には太閤記がありますし、忠臣蔵には、元に歌舞伎があります。
昭和47年の大河「新平家物語」には、吉川英治の原作がありました。主人公の平清盛には、戦後的な肉付けがなされています。しかしそれは、古典無視ではありません。明治生まれの吉川英治が、十分に古典的な教養を持ちつつ、昭和の世に受け入れられるよう、現代的なアレンジをほどこしたわけです。
ところが一昨年の「平清盛」は、無茶苦茶でした。
なにがひどかったって、日本の古典文学「平家物語」への愛が、まったく感じられなかったことです。
古典的教養の無い人物が、付け焼き刃で本を読んで作った物語だということがあからさまで、どういうSFファンタジーなの???としか、私には感じられませんでした。
私は、「指輪物語」のような 、古典への愛に満ちたファンタジーは大好きですし、今、NHKBSで放送されていますアメリカのテレビドラマ「ワンス・アポン・ア・タイム」は楽しみに見ていますが、歴史ファンタジーのつもりなのならば、もっとファンタジーらしいドラマにするべきですし、そうであればこそなお、日本の古典に対します造詣は不可欠です。
大河において、これまで幕末ものの視聴率が上がらなかったのは、古典というほどのものがなく、しかも戦前、戦後であまりにも大きく明治維新の評価が変わった、ということがあったと思います。
しかし最近、「篤姫」の視聴率がよかったわけなのですが、これは、国民共通の古典的教養が失われていきます中、宮尾登美子氏のしっかりとした原作があったので、シナリオライターの頭に蛆がわいていましても、歯止めが利いたのではなかったでしょうか。
新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫) | |
宮尾 登美子 | |
講談社 |
宮尾登美子氏は、「消された歴史」薩摩藩の幕末維新の最後に書いておりますこと、篤姫が「70万石で駿府移住という決定に愕然とし、西郷を呼びつけても逃げられ、怒り心頭に発して、仙台藩主やら輪王寺宮さまやら会津藩主などに、『悪辣な薩長を討って!』と手紙を書きまくった」というような史料は、ご存じなかったんです。しかし、江戸っ子には和宮さまの人気がなく篤姫の方が好かれていたこと、徳川宗家のご子孫が篤姫を崇めていること、などを取材して、責任感が強く、りりしい篤姫を描いておられ、細かな事実がちがったにしましても、血肉のある歴史活写になっています。
そんな原作小説もめったにみつからない、とでもいうんでしたら、大河枠はファンタジー枠に変えて、しかし、日本の古典を守ることは、受信料で成り立つNHKのつとめですから、ファンタジーを作るにしても、しっかり勉強し、古典への愛を持って、作っていただきたいものです。
いや、しかし。
ドラマならばまだしも、いくらバラエティーとはいえ、一応、歴史ものと銘打った番組で、NHKが妄想全開をやらかすのは、どうにも困ったものです。
私、歴史秘話ヒストリアとかBS歴史館とか、NHKの歴史バラエティーはけっこういいかげんなものが多いので、ほとんど見ないのですが、たまにはBS歴史館「幻の東北列藩・プロイセン連合」と史料に書きましたような、新史料の紹介もありますので、気に留まれば、見ます。
先日、歴史秘話ヒストリア「はるかなる琉球王国~南の島の失われた記憶~」を見ましたのは、幕末の琉球がアメリカ、オランダ、フランスと結びました修好条約について、なにか詳しい史料でも紹介してくれるかな、と思ったからです。
モンブラン伯は維新回天のガンダルフだった!? 番外編でご紹介しております以下の部分。
これも盲点だったんですが、すでに1855年、薩摩藩の指導により琉仏修好条約は結ばれていました。ただし、批准されていなかったんです。フランス本国政府は、この条約の存在さえも忘れ去っていて、結局、薩摩の要請を受けて、同じように琉球と条約を結んでいたオランダに問い合わせましたところが、なんとすでに文久2年(1862)、「琉球は日本である」という幕府の宣言を受け、オランダは条約の批准を見送っていたんです。
これによって、岩下方平を団長とするパリ万博薩摩使節団は、結局、フランスにおいて一国の代表としての扱いを受けることができず、それをみていたベルギー政府も、条約提携を見合わせた、ということだったんです。
日本近世社会と明治維新 | |
高木不二 | |
有志舎 |
上の「日本近世社会と明治維新」で紹介されているのですが、条約が批准されていなかったことについて、最近、研究が進んでいるんです。
なにしろ、薩摩藩の幕末外交にかかわる話ですから、わくわく見ましたところが、薩摩藩のさの字も出てこない、?????な妄想の幕末琉球ファンタジー!!!
いや、だから。
条約はすべて薩摩藩の指導で結ばれたのですし、文久年間からは幕府の許可を得て薩摩が琉球通宝を鋳造し、琉球の通貨としたのですし、だいたい清朝への朝貢も実は薩摩藩の密貿易。
たしかに琉球処分につきましては、文明と白いシャツ◆アーネスト・サトウ番外編で、サトウの「もし私が琉球人(沖縄人)であったなら、彼らと同じように感じたでしょう。それは全く体に合わない黒い服を着て、二週間も着古したようなワイシャツを着た、江戸から派遣された人々に開化を強いられるよりも、昔ながらのやり方に従った方が、遙かに好ましいということなのです」という言葉を引用しておりますように、あまりにも性急な明治新政府の近代化の押し付けに、琉球で反発が起こったのは、事実です。それはしかし、熊本でも神風連の乱が起こっておりますし、あるいは朝鮮との関係におきましては、それまで利権を独占していました対馬藩士が新政府のやり方に大きな反発を見せ、佐賀の乱も、それに関係していないとは、いえません。
薩摩藩が消滅しました後、清朝を頼ってまで、琉球王国を保とうとしましたのは、朝貢に利権がありました士族の一部だけでして、それが、琉球の住民感情を代表していたわけではないんです。
これ、以前に書いたはず、と思ったら、伝説の金日成将軍と故国山川 vol1でした。以下です。
日本において、「朝貢国」の位置づけにもっとも敏感であったのは、琉球を支配していた薩摩藩です。
琉球は、江戸期を通じて薩摩藩の支配を受けながら、清朝の朝貢国でもある、という二面性を持っていまして、ペリー来航に先立つ1844年(弘化元年)からフランスの接触を受け、やがて部分的な開国に応じました。
そして、嘉永6年(1853年)、日本に来航したペリーは、琉球へも立ち寄り、薩摩藩の指示によって琉球は独自にアメリカと条約を結んで開国すると同時に、これに便乗したフランス、オランダとも条約締結に至りました。
西洋近代の国際ルールを受け入れた日本にとって、朝貢国は、植民地化の危機にさらされた主権独立国です。
しかし、日本がいち早くそういう視点を持ち得たについては、日本は大清帝国を中心とする秩序の外の海洋国家であって、日本国内の安定に清朝の存在は関係がなかった一方で、西洋列強による植民地化の危機を敏感に感じとる位置にあったからです。
清朝が築き上げた秩序のうちにある朝貢国にとっては、その秩序こそが国の安定の源であり、まして、その頂点にあった大清帝国にとっては、その秩序が覆されるということは、王朝の存続、自らのアイデンティティにかかわる問題でした。
明治維新以降、日本にとってまずは琉球が問題となるわけなのですが、朝鮮問題がそれに連動します。
琉球については、薩摩藩が実行支配していた実績があり、イギリスもまたそれを認めていました。しかしそれでも、清は朝貢国であった琉球を日本の領土として認めることを拒み、また琉球王朝の側にも、大清帝国が築いた秩序の中に留まることを望む勢力がありました。
それは、当然のことであったでしょう。維新以降の日本の変身は、性急といえばあまりに性急で、長らく極東を支配してきた中華秩序の中にある者にとっては、一見、いまだ威風堂々と見える大清帝国にくらべ、東海の蛮族が、奇妙で危うい、洋夷の猿まねをしている、としか、見えなかったのです。
江戸期を通じて、幕府は李氏朝鮮と独自の外交関係を持ち、対馬藩は釜山に居留地を与えられてもいました。清の朝貢国であり、ロシア領沿海州と国境を接する朝鮮は、明治新政府にとって、極東外交の試金石となります。
朝貢国は決して清の領土ではなく、日本と清とは対等の外交関係にあるのだと認めさせ、琉球を日本領土と確定することがかかっていましたし、弱体化した清に朝鮮をまかせておいたのでは、すでに隣の沿海州まで来ていたロシアが呑み込んで、日本にとっては、のど元に突きつけられた刃になりかねない、という危惧があったのです。
実際に幕末、ロシアの軍艦は朝鮮領の巨文島に寄港して、貯炭所の設置を計画したことがありましたし、その直後に、対馬を占領し、得ようとしたわけです。
朝貢国、琉球と朝鮮をめぐっての日清のにらみ合いの結果は、やがて日清戦争となり、勝利した日本は、沖縄を日本領土、朝鮮を独立国として認めさせ、極東における大清帝国の支配秩序を、突き崩すことに成功したのです。
ウエスタン・インパクト、西洋の衝撃がなければ、極東の秩序にも別のあり方があったのかもしれませんが、現実に、ウエスタン・インパクトがあり、ベトナムがそうでありましたように、朝貢国が安穏と朝貢国であることは、できなかったんです。その現実を無視して、まるで日本が琉球処分をしなければ、琉球王国は清の朝貢国として、永遠に存続できたのだと言わんばかりの、NHKの妄想力は、気持ちが悪い限りです。
ただ、維新がもう少し分権的なもので、薩摩がバイエルンのようになりえたとしましたら、琉球王朝のあり方もまた、少し変わったかもしれない、といえば、それはそうなのですが、清朝の朝貢国オンリーでいて、いったいどうなることができたというのでしょう。
そういえば、朝日の慰安婦問題と吉田調書問題でも、仰天しますのは、ここにいたっても朝日新聞は、事実そっちのけで、自分たちのわけのわからない妄想ストーリーを膨らませ、資料を誤読してばかりいることを、ちっとも認めていないことです。
尼港事件とwikiと『ニコラエフスクの破壊』vol.1に書いております原暉之北海道大学名誉教授も、尼港事件に関します限り、朝日新聞と同じくらいの恥知らずです。
あと、中西輝政と半藤一利の幕末史観で取り上げました半藤一利氏も、ひたすら妄想をふくらませる方ですよね。今週の週刊文春誌上でも、まったくもって見当外れな言論の自由論を展開し、結果的に朝日を養護しておいでなんですが、事実を無視して捏造することは、言論の自由となんの関係もありません。ご自分にしろ朝日にしろ、妄想をまきちらすのが言論の自由だ、と、キチガイじみた信念をお持ちのようですが。
偶然、同じ週刊文春に並んで、中西輝政氏のご見解も載っていたのですが、こちらは、「客観的な報道を使命とする報道機関としては、あまりにも主観的に過ぎるのが朝日です。長年にわたってそうした姿勢を貫いてきた結果、間違いがあっても決して認めないという体質が強固に強固に作り上げられてしまったのです」 と、まっとうな批判をなさっておいででした。中西氏も、幕末史に関する限りとんでも話をしておいでなのですが、それはそれとして、最近読んだ「帝国としての中国 【新版】: 覇権の論理と現実」は秀逸で、やはり尊敬に値する学者さんです。
帝国としての中国 【新版】: 覇権の論理と現実 | |
クリエーター情報なし | |
東洋経済新報社 |
文さん小説執筆にあたって、文さんは吉田松陰の妹なのですから、やはり、松陰が正面から立ち向かったウエスタン・インパクトを描かなくては意味をなさない、と思いまして、この本を読んだのですが。以下、引用です。
香港返還を約一ヶ月後に1997年5月、ニューヨークタイムズは長大な社説を掲げ、その中で次のように語っていた。
「アメリカは今、香港の自由な社会が破壊されるのを防ぐため、先頭に立つ役割を担うべきである。また香港の返還は、より大きな問題の一部と見なされる。それは中国の、大国としての登場という問題であり、おそらくこの問題は現代世界にとって最も難しい挑戦を意味する。なぜなら、12億の人口と発展する経済、そして軍事大国への志向ゆえに、中国は将来必ずアメリカのライバルとなるからである」
そしていうまでもなく、21世紀の日本にとって、米中関係それ自体が死活的重要性をもったものとして浮上している。かつて英中の激突によって燃え上がったアヘン戦争は幕末日本に決定的なインパクトを与え、明治維新をもたらした。まさに「日本史的規模」の出来事となった。
21世紀初頭の今日、世界史的な「中国の浮上」が叫ばれる中で、香港における民主化をめぐる紛争が、返還後10年を経ずして早くも浮上してきた香港の現状と、50年にわたる現状維持を規定したはずの「一国二制」の将来像をめぐっては、時に「東・西文明の対峙」すら問題とされ始めている。返還後の香港をめぐってやがて、中国とアングロ・サクソン的な価値観との歴史的なせめぎ合いが始まるのか、もしそうだとしたら、それは日本にとっていかなる意味をもつのか。返還後も水面下でつづく香港をめぐる中国と「アングロサクソン的なるもの」のせめぎ合いは、日本人の多くが口にする「香港経済の将来」とか「最恵国待遇問題」といった次元にとどまらない、やはり「日本史的規模」の重さをもった問題に発展する可能性もなくはない、というべきであろう。
香港の自由を奪おうとする中国に、香港の学生たちが立ち上がっています今、中西氏の先見の明に感服するのですが、えーと、ごく簡単にまとめて言ってしまいますと、中国とウエスタン・インパクトのせめぎ合いは、いまだ終わってはいない、ということではないでしょうか。
ともかく。
NHKの歴史認識に決定的に足りないものは、中西氏が展開しておられますような、文明史的な視点です。それも、妄想では無く、事実に基づいた上での。
半藤氏、中西氏が登場していました週刊文春の「朝日新聞問題」特集で、私がもっとも共感しましたのは、関川夏央氏の「朝日は一度、死ねばいい」と題された苦言です。
90年ごろから、吉田清治証言が虚言だということは、研究者の間では常識だったわけですが、そうした中で、しっかり検証して記事化してこなかったのは、朝日が歴史に無知・無関心だったからでしょう。
たとえば「強制連行」という言葉は1968年に、当時朝鮮大学校教員だと思いますが、在日コリアンの朴慶植がつくった造語です。それを今でも使っている日本人や朝日は、よほど歴史に無感覚なのだと思います。
この関川氏の言葉を、そっくりNHKに贈りたいと思います。平気で、ニュース番組のアナウンサーが「強制連行」という言葉を使うのですから、NHKそのものが歴史に無感覚なのです。
これが、国民の受信料で成り立っている局のやることなんですから、なんとも、嘆かわしいではありませんか。
これから、「坂の上の雲」の再放送がはじまるんですが、まったく見たいと思わない、今日このころです。
追記 しめくくりに関川夏央氏にご登場願いましたのは、韓国・朝鮮通で、昔からファンだったからなのですが、朝日、NHKにもけっこう好まれていた方だから、でもあります。板門店とイムジン河に書いておりますが、金正日が拉致を認めましたとき、関川氏が鋭くも「同民族といい、ひとつのコリアといいつづけるのなら、韓国は北朝鮮のテロと、人災としての飢餓の責任を、まさにわがこととして引き受けなければならない。北朝鮮という病気が同民族の体内から発したものと理解しなくてはならない」と述べておられたのは朝日新聞紙上でしたし、それを含むエッセイ集『「世界」とはいやなものである』は、NHK出版局から出ているんです。朝日は、関川氏の「朝日は一度、死ねばいい」が、よほど応えたのでしょうか。最近、「強制連行」の代わりに「強制売春」と言い出したそうでして、笑い転げてしまいました。大越アナウンサーがあのとぼけ顔で「強制売春」とか言い出すのも、ちょっと聞いてみたい気がしますね。
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