郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 中編

2016年11月23日 | 宝塚
桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 前編の続きです。

宝塚公演プログラム 「桜華に舞え」「ロマンス!!(Romance)」
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 宝塚ですからね。さすがの私も基本、史実に忠実である必要はない、と思っています。
 思っているのですけれども、ちょっと、あんまりにもな違和感を感じたところがあったりもしまして、あげてみます。
 一番唖然としましたのは、会津の姫君が、維新後、遊女に落ちぶれる、という設定でしょうか。
 
 実在の会津のお姫様といえば、大河ドラマ「八重の桜」にも出てきました照姫です。藩主の義理の姉で、出戻りの姫君ですが、若松籠城の城内を、先頭に立って取り仕切った気丈なお姫様で、落城後、謹慎、お預けの処分を受けますが、実弟・飯野藩主の庇護を受けて、平穏に明治17年まで生きています。飯野藩はわずか2万石ですが、大名は大名でして、変な話ですが、維新後の大名の地位といいますのは、財産も保障され、安泰だったんです。
 一番困窮しましたのは実は、元大身の旗本とか、諸藩の重臣など、大名扱いされなかった上級士族です。これらの人々は、藩政時代には小大名と変わらない殿様扱いで、下級士族とは違い、実用的なことはほとんどなにもできない場合が多く、それこそ実際に、娘を遊女に売ることもあったみたいです。
 あと、幕末に人気がありました歌舞伎「桜姫東文章」の主人公桜姫は、高貴な家に生まれながら遊女に落ちぶれますし、まあ、こういうフィクションがあってもいいのかもしれないですけれども、会津の照姫はけっこう有名ですから、ねえ。違和感がありました。

 もう一つ、桐野に淡い思いを抱きます、架空の会津の武家娘・大谷吹優は、会津戦争で桐野に立ち向かい、しかし砲撃で倒れたところを桐野に助けられ、そのときの記憶を失ったまま、東京の大給恒(幕臣系の元小藩主で、赤十字の前身である博愛社創立者の一人)のもとで、看護師をめざして西洋医学の勉強をしている、ということになっているのですが。
 実在の人物であります大給恒の邸宅に、ですね、これも実在の人物・ウィリアム・ウィリス&高木兼寛がいて、架空の元会津藩女子がいて、そこを桐野が訪れたりするんですね。

 楠本イネとイギリス医学に書いておりますが、ウィリアム・ウィリスは薩摩藩で医学を教え、高木兼寛はその弟子でした。西南戦争時、高木は海軍軍医となってイギリスに留学していましたが、ウィリアム・ウィリスは薩摩士族の女性を妻にし、永住も視野に入れて、鹿児島にいました。にもかかわらず、鹿児島から立ち退かざるをえなくなりましたウィリスは、新政府のやり口を苦々しく見ていましたし、薩軍側の軍医は、その多くがウィリスの弟子です。

幕末維新を駈け抜けた英国人医師―甦るウィリアム・ウィリス文書
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 元佐賀藩士の佐野常民と大給恒は、ともに元老院議官で、おそらくは鹿児島に同情的だったこともあり、西南戦争時に博愛社運動をはじめたらしいのですが、ウィリスとも高木とも、接点はありません。
 敵味方の別なく救護することは、すでに戊辰戦争におきまして、ウィリスが新政府側に願って実践しておりましたし、箱館戦争では、旧幕府側の軍医・高松凌雲がやはり、敵味方を区別しない治療を実践しました。
 架空の人物ならばわかるのですが、医者でもない大給を、なんで桐野が主人公の劇中に出してきましたのか、まったくもって?????、です。

 また、看護師養成の重要性が叫ばれ、教育がはじまったのは、明治20年前後から、でして、洋装の女性看護師の活躍は、日清戦争ころから、です。西南戦争時にも、女性が看護を手伝ったことは、もちろんあったのでしょうけれども、戦場での看護は、主には男性がしましたし(といいますか、後世でも通常、戦場では衛生兵が主ですわね)、ぴらぴらスカートの看護婦集団は、ありえません。まあ、舞台を華やかにするためには、仕方がなかったのかな、とは思ったのですけれども。

 えーと。何度試みても全文アップできませんので、残りを中後編に分けてみます。


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コメント (4)
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