「天皇のダイニングホール」☆皇室の西洋近代で予告しましたように、NHK大河『西郷どん』について、定期的に感想を書いていくことにいたしました。
いまのところ、 大河「花燃ゆ」と史実シリーズほど、克明に史実を追うつもりはないのですが、そこは私のことですから、どうなるかわかりません。
西郷どん 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) | |
クリエーター情報なし | |
NHK出版 |
ともかく、第3話にして、中村半次郎(桐野利秋)登場!です。
5分で分かる「西郷どん」第3回『子どもは国の宝』
まだごらんになっていない方は、上の5分で分かる「西郷どん」を、どうぞ。
けっこうたっぷり出てくるんですが、子役の中村瑠輝人くん!!! かわいい上に芸達者!!!
えー、太刀さばきに見惚れてしまって、文句を言う舌が鈍ります。
彼に文句はないんです。先を見る気にさせてくれました。
しかし。
NHKは貧しい=汚いだと、勘違いしてやしませんか?
いくら流罪人の子で貧しいとはいえ、あそこまで泥だらけで髪ぼうぼうのこ汚さは、ないと思うんですのよ。
そういえば、一話目をいっしょに見ていました妹が、「西郷家が貧しい貧しいって、土佐の岩崎弥太郎の家より貧しいことはないでしょう?」と聞くんですね。
「いや、西郷家の方が貧しいと思うよ」と私は、イギリスVSフランス 薩長兵制論争に載せました中岡慎太郎の手紙の話をしました。
つまり「薩摩のれっきとした士族は土佐の足軽より貧しい者が多く、ほんの少しの給料で歩兵になる」と中岡は故郷への手紙に書いています。
実際、薩摩士族の数は異常に多かったわけですし、いくら岩崎家が郷士株を売った地下浪人だとはいえ、岩崎弥太郎には、桐野利秋(中村半次郎)と海援隊◆近藤長次郎 vol1に書きましたように、江戸の超一流漢学塾に遊学するだけの経済的余裕がありました。
ところが、です。妹がNHK大河「龍馬伝」で見ました岩崎弥太郎の生家は、超ボロボロでこ汚かったそうでして、その汚さにおいて「西郷どん」の西郷家を上回っていたんだそうなんですのよ。
視覚に訴える印象は強烈ですからねえ。花のお江戸の安積艮斎塾で学んだ俊才が、泥まみれの貧民だったと、一般には印象づけられてしまったようなんですね。
私、あの「龍馬伝」は、「龍馬伝」に登場! ◆アーネスト・サトウ番外編、スーパーミックス超人「龍馬伝」に書きましたように、あまりにばかばかしくて、ほとんど見てません。
成長期の半次郎のエピソードにつきましては、あまり資料がなく、明治32年出版の春山育次郎著『少年読本第十一編 桐野利秋』くらいではないかと思うんですね。
春山育次郎は薩摩出身で、子供の頃、桐野に頭を撫でてもらった思い出があったそうですし、桐野の甥(妹の子)と親しく、身内にいろいろ話を聞かせてもらったと同時に、幕末からの桐野の友人・中井桜洲(中井桜洲と桐野利秋)にも話を聞いて書いておりますので、かなり信憑性があろうかと思います。
で、『少年読本第十一編 桐野利秋』によりますと、半次郎(桐野)の父は単身赴任の江戸詰であったため、最初の手習いは実兄に、次いで近所に住む外祖父(母の父)の別府四郎兵衛に、学問を教わった、というんですね。
別府家には、半次郎の従兄弟になる別府晋介がおりまして、幼なじみのはずですが、晋介は後年、城山で西郷隆盛の介錯をしたと伝わります。
普通に考えて、晋介は出してしかるべきではないか、と思ったのですが、話がややっこしくなりますし、もしかしてこのドラマは晋介の存在を消して、半次郎が介錯をしたことにするのかもね、と思い、林真理子の原作の最後の部分だけ、本屋で立ち読みいたしました。
原作では一応、通説通り、晋介が介錯しておりました。
しかしこのドラマ、かなり原作離れしているらしく、そもそも、子供の半次郎は登場しないらしいんですね。
まあ、いいんですけどね。おかげで、かわいい半次郎を見ることができまして。
半次郎の父親が流罪になった年は、はっきりしないのですが、およそ、彼が10歳の頃であったようです。
私、これは、確証があることではないのですが、中井桜洲と桐野利秋に、以下のように書きました。
えーと、ですね。海老原穆という薩摩人がいます。
明治6年政変の後、東京で評論新聞という政府批判紙を立ち上げるんですが、「西南記伝」によれば、非常に桐野を信奉していた人だ、というんですね。
司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」においては、なにをもとに書かれたのか、調所笑左衛門の親族であるような書き方をされているのですが、私は、証拠はつかんでないのですが、海老原清熙の親族だったのではないか、と思っています。
海老原清熙は、調所笑左衛門の優秀なブレーンだった人です。
で、この海老原清熙、「中村太兵衛兼高の二男で、文化5(1808)年、海老原盛之丞清胤の養子となった」ということを知りまして、もしかして、桐野の親族では? と調べてみたのですが、これもわかりませんでした。
しかし、ふと、思ったんです。
桐野の父親の遠島は、海老原清熙がらみだったのではないかと。
海老原穆が海老原清熙の親族であったことは、確かなことだとわかりました。
しかし、それ以外はいまだに雲をつかむような話なのですが、私は、島津斉彬が藩主になってのちに、父親は流罪になったのではないか、と思っております。
それと、ですね。薩摩では士族の流罪はよくあったことでして、少なくとも桐野家の場合、自家で開墾した土地まで取り上げられたりはしておりません。
もともとの石高はわずか五石でして、これとともに、父親が役職についてもらっていたお手当が、なくなったわけです。
しかし開墾地では狭すぎまして、新たに開墾すると同時に、近隣の農民から土地を借りて耕していた、と伝わります。
まあ、そんなこんななんですが、第4話にも、かわいい半次郎が登場しましたねえ。
見ていると、批判する気も失せるのですが、次回、西郷とか大久保とか、もっと全般的なことについて、遠慮なく感想を書くつもりでおります。