昨日のオンラインニュースで、国連のアナン事務総長がイラク人道支援事業汚職に関係したという疑惑の再燃が伝えられていました。この件に関しては、以前から、日本のテレビはほとんど報じていないような気がしますが、今回もそうでした。
どうも、国連と中国に関して、日本のメディアには、バイアスがかかり続けているような気がします。みんながみんな、オンラインで国際ニュースを見たり、新聞をすみずみまで読んだりするわけではないのですから、テレビニュースが取り上げなければ、多くの日本人が知らないままで終わります。
現実にアナン事務総長が汚職に関係しているとして、それで、彼の全人格が否定されるわけではないでしょう。しかし、そういった疑惑があることも知っていなければ、イラク問題への認識も一面的になるでしょうし、国連という官僚組織についての見解も、気楽な幻想となってしまうのではないでしょうか。
前回、虐殺を傍観した国連の話をして、ボスニアでの明石氏が非難されたことを述べましたが、ルワンダの責任者は、当時事務次長だったアナン氏でした。もちろん、彼も強い批判を受けたのです。国連の平和維持軍が展開しながら、100万人ともいわれる虐殺を黙認したのですから、それではいったい、国連の存在意義とはなんなのか、という話になってくるでしょう。
国家、というものもそうなのですが、結局のところ官僚組織なのですから、不正は起こって当然ですし、利害のせめぎあいから判断を誤ることも日常茶飯事です。しかし、国家がなければ秩序が成り立たないように、現在のところ国連も、ないよりはあった方がましでしょう。
だとすれば、どうすれば上手く利用できるか、どうすれば弊害を少なくすることができるかを、考えるべきなのではないでしょうか。
ルワンダ虐殺当時のアメリカ大統領はクリントン氏で、国連大使はマドレーン・オルブライト女史でした。オルブライト女史は、ルワンダ問題で判断を誤ったとされ、後に謝罪していますが、北朝鮮でもそうだったのではないでしょうか。
ただ、極東の場合は、同盟国である韓国の大統領に泣きつかれ、同じく同盟国である日本からも「穏便に」と要請されたら、アメリカとしても、最大限、北に譲歩するしか道はなかった、という見方もできます。
日本人としては、オルブライト女史を批判する前に、朝鮮総連の袖の下と北朝鮮利権に染まり、拉致被害者をないものとしてきた日本の政治家を非難するべきなのでしょう。しかしおそらく、彼らにも言い分はあるのです。万が一の事態、つまり朝鮮半島の動乱と極東の不安定化は、日本の国益にかなわない以上、多少のことには目をつぶって、金を出して解決する方が得策だと。
しかし、国益というものは、長期で考えるべきではないでしょうか。
目先の利益に執着して、万が一の危険にしりごみすることは、単なる怯懦であって、いい意味での現実主義ではありえません。
他国の政府機関が国民を袋詰めにして連れ去るような異常事に目をつぶり、「多少のこと」と片づけるようでは、それこそ、国家の存在意義が問われます。
それだけではありません。
アメリカ国内では、1994年の核危機への対応において、当時から、クリントン大統領とオルブライト国務長官の対応が甘すぎる、という批判があったわけですが、その甘すぎる対応の結果である米朝枠組み合意は、金王朝の延命に手を貸し、北朝鮮大飢餓の遠因となってしまったのです。
これも100万人にのぼるといわれる北朝鮮の大飢餓は、人為的なものです。大虐殺といってもいいでしょう。
だとすれば、「穏便」を望んだことで、日本政府もまた、金王朝の大虐殺に手を貸したともいえます。
ルワンダの難民キャンプへの食料援助は、あきらかに世界の善意でした。しかし、その食料援助が、虐殺の主体だった元フツ族政府戦闘組織の手で牛耳られ、虐殺を長引かせたという側面があるように、日本の北朝鮮への多量の食料援助もまた、虐殺の主体である金王朝に利用され、北朝鮮は、飢餓を呼ぶ体制を継続させているのです。
極東は、あきらかにアフリカよりも恵まれた条件下にあります。
万が一、戦乱が起こったにせよ短期間ですむでしょうし、経済的な落ち込みも、吸収できないものではないでしょう。
アメリカの現政権は、北朝鮮の体制崩壊を睨んでいます。
少なくとも、今回日本は、それを邪魔するべきではないでしょう。
問題は、いわゆる「幸せ回路」にひたり、当事者でありながら「バランサー」とやらになれるという、楽観誇大妄想にとりつかれている韓国ですが、勝手にさせておけばいいのではないか、という以外に、言葉がみつかりません。
前回の核危機のとき、韓国大統領は、掛け値なしの危機感を持って、アメリカに泣きつきました。
しかし今回の韓国は、現実を見ないで詭弁を弄んでいるだけなのですから、同盟解消に向かおうとするアメリカの言い分の方が、よく理解できます。
9.11は悲劇でした。
しかし、あの悲劇がなければ、アメリカが今ほど北朝鮮にきびしい目を向けることもなく、日本政府に迫って朝鮮総連の金の流れを追求させることもなく、一年後に、北朝鮮が日本人拉致を認めることもなかったでしょう。
強硬姿勢と軍事力がなければ、庶民の虐殺をとめることもできなければ、一般庶民が犠牲となっている現在進行中の不法行為でさえ、やめさせることができないのだと、わたしたちは認識すべきではないでしょうか。
どうも、国連と中国に関して、日本のメディアには、バイアスがかかり続けているような気がします。みんながみんな、オンラインで国際ニュースを見たり、新聞をすみずみまで読んだりするわけではないのですから、テレビニュースが取り上げなければ、多くの日本人が知らないままで終わります。
現実にアナン事務総長が汚職に関係しているとして、それで、彼の全人格が否定されるわけではないでしょう。しかし、そういった疑惑があることも知っていなければ、イラク問題への認識も一面的になるでしょうし、国連という官僚組織についての見解も、気楽な幻想となってしまうのではないでしょうか。
前回、虐殺を傍観した国連の話をして、ボスニアでの明石氏が非難されたことを述べましたが、ルワンダの責任者は、当時事務次長だったアナン氏でした。もちろん、彼も強い批判を受けたのです。国連の平和維持軍が展開しながら、100万人ともいわれる虐殺を黙認したのですから、それではいったい、国連の存在意義とはなんなのか、という話になってくるでしょう。
国家、というものもそうなのですが、結局のところ官僚組織なのですから、不正は起こって当然ですし、利害のせめぎあいから判断を誤ることも日常茶飯事です。しかし、国家がなければ秩序が成り立たないように、現在のところ国連も、ないよりはあった方がましでしょう。
だとすれば、どうすれば上手く利用できるか、どうすれば弊害を少なくすることができるかを、考えるべきなのではないでしょうか。
ルワンダ虐殺当時のアメリカ大統領はクリントン氏で、国連大使はマドレーン・オルブライト女史でした。オルブライト女史は、ルワンダ問題で判断を誤ったとされ、後に謝罪していますが、北朝鮮でもそうだったのではないでしょうか。
ただ、極東の場合は、同盟国である韓国の大統領に泣きつかれ、同じく同盟国である日本からも「穏便に」と要請されたら、アメリカとしても、最大限、北に譲歩するしか道はなかった、という見方もできます。
日本人としては、オルブライト女史を批判する前に、朝鮮総連の袖の下と北朝鮮利権に染まり、拉致被害者をないものとしてきた日本の政治家を非難するべきなのでしょう。しかしおそらく、彼らにも言い分はあるのです。万が一の事態、つまり朝鮮半島の動乱と極東の不安定化は、日本の国益にかなわない以上、多少のことには目をつぶって、金を出して解決する方が得策だと。
しかし、国益というものは、長期で考えるべきではないでしょうか。
目先の利益に執着して、万が一の危険にしりごみすることは、単なる怯懦であって、いい意味での現実主義ではありえません。
他国の政府機関が国民を袋詰めにして連れ去るような異常事に目をつぶり、「多少のこと」と片づけるようでは、それこそ、国家の存在意義が問われます。
それだけではありません。
アメリカ国内では、1994年の核危機への対応において、当時から、クリントン大統領とオルブライト国務長官の対応が甘すぎる、という批判があったわけですが、その甘すぎる対応の結果である米朝枠組み合意は、金王朝の延命に手を貸し、北朝鮮大飢餓の遠因となってしまったのです。
これも100万人にのぼるといわれる北朝鮮の大飢餓は、人為的なものです。大虐殺といってもいいでしょう。
だとすれば、「穏便」を望んだことで、日本政府もまた、金王朝の大虐殺に手を貸したともいえます。
ルワンダの難民キャンプへの食料援助は、あきらかに世界の善意でした。しかし、その食料援助が、虐殺の主体だった元フツ族政府戦闘組織の手で牛耳られ、虐殺を長引かせたという側面があるように、日本の北朝鮮への多量の食料援助もまた、虐殺の主体である金王朝に利用され、北朝鮮は、飢餓を呼ぶ体制を継続させているのです。
極東は、あきらかにアフリカよりも恵まれた条件下にあります。
万が一、戦乱が起こったにせよ短期間ですむでしょうし、経済的な落ち込みも、吸収できないものではないでしょう。
アメリカの現政権は、北朝鮮の体制崩壊を睨んでいます。
少なくとも、今回日本は、それを邪魔するべきではないでしょう。
問題は、いわゆる「幸せ回路」にひたり、当事者でありながら「バランサー」とやらになれるという、楽観誇大妄想にとりつかれている韓国ですが、勝手にさせておけばいいのではないか、という以外に、言葉がみつかりません。
前回の核危機のとき、韓国大統領は、掛け値なしの危機感を持って、アメリカに泣きつきました。
しかし今回の韓国は、現実を見ないで詭弁を弄んでいるだけなのですから、同盟解消に向かおうとするアメリカの言い分の方が、よく理解できます。
9.11は悲劇でした。
しかし、あの悲劇がなければ、アメリカが今ほど北朝鮮にきびしい目を向けることもなく、日本政府に迫って朝鮮総連の金の流れを追求させることもなく、一年後に、北朝鮮が日本人拉致を認めることもなかったでしょう。
強硬姿勢と軍事力がなければ、庶民の虐殺をとめることもできなければ、一般庶民が犠牲となっている現在進行中の不法行為でさえ、やめさせることができないのだと、わたしたちは認識すべきではないでしょうか。
私も、その通りだと思います。
そして、アメリカの世界軍事戦略が「多極覇権主義」へと変更された今日、拉致被害者の方々にとっての新たな展望が開かれることを期待しています。
このときから紆余曲折があり、アメリカの極東戦略方向転換で、すっかり状況は変わってしまいました。そして、せっかく韓国の政権が交代しましたのに、大不況に襲われ、いまはもう「経済的な落ち込みも、吸収できないものではないでしょう」どころでは、なくなっております。
現在、拉致問題を考えると、ため息しかでません。