郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

BS歴史館「幻の東北列藩・プロイセン連合」と史料

2013年04月07日 | 幕末東西
 ちょっと近藤長次郎とライアンの娘シリーズを離れます。

 青色申告の最中にパソコンが壊れ、中村さまがご同行くださいまして高知へ旅行し、東京で大学生をやっております姪が遊びに来て、前期試験で失敗しました甥がなぜか後期試験に受かりまして、引っ越しの手伝いに出かけと、次々にブログに集中できない事件が起こったわけなのですが、千頭ご夫妻がご案内くださいました高知旅行は、いずれ、写真とともにここにまとめたいと思います。

 また現在、近藤長次郎についての本を出版したらどうだろうか、という話ももちあがっておりまして、いまだ漠然とした思いつきの段階にすぎませんで、千頭ご夫妻のご意向や、執筆者が何人になるかなど、基本的な企画もできあがってはおりません。しかし、ぜひ、真剣に取り組んでみたいとは、思っておりまして、旅行の話とともに、そのうち、書いてみたいと思っております。

 えーと、本日(2013.4.7)は、ですね。アマゾンで予約をしましてから、一年以上出版が延びて、待ちわびておりました本が届いたんです! ご紹介したくて、久しぶりに書いています。
 箱石大氏編の「戊辰戦争の史料学」です。

戊辰戦争の史料学
箱石大 編
勉誠出版


つい最近再放送したみたいなのですが、2011年の7月、NHKのBS歴史館で、発見!戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」 が放送されました。BS歴史館も、期待はずれであることが多く、最近はほとんど見ていないのですが、このときだけは、「えええっ!!!!!」と、ただただ驚いて、言葉もなく見入ってしまったんです。

 私にとりましては、衝撃の新資料が紹介されておりました。プロイセン代理公使として日本におりましたマックス・フォン・ブラントが、戊辰戦争中、本国の宰相オットー・フォン・ビスマルクへ書いた手紙に、「会津と庄内が蝦夷地(北海道)の一部の売却を申し出ているのだが買ってはどうだろうか?」というような提案があった!!!、というんです。
 
 明治初頭の樺太交渉 仏から米へ 中編に出て参ります杉浦奉行の日記に記されていることなのですが、幕府から蝦夷地の一部をまかされておりました東北各藩は、本藩が大変だからと、おっぽりだして引き上げているんですね。まあ、それは仕方がないことと思っていたのですが、ロシアの南下を憂い続け、きっぱりと援助を断りました杉浦奉行にくらべまして、「その売国はなんなのっ???」と、思わず叫びたくなる話です。

 番組では、これまでにもけっこう知られておりますスネル兄弟(wiki-スネル兄弟)やガトネル(ゲルトナー)兄弟など、幕末維新に日本で活躍しましたドイツ関係者がひとまとめに出てきまして、同列に語られてしまっているのですけれども、研究途上の新資料の衝撃度のみでは、番組が成り立たなかった、ということなのでしょうか。

 私、これまでに、スネル兄弟については書いていなかったと思いますが、ガトネル兄弟につきましては、明治初頭の樺太交渉 仏から米へ 中編高杉晋作の従弟・南貞助のドキドキ国際派人生 中で書いております。ガトネルの農園に関して言いますと、杉浦奉行から新政府、間に榎本軍をはさんでまた新政府に引き継がれ、その間にお雇いのはずが長期借地に変じてしまった話ですから、会津も庄内もまったくかかわっておりませんし、番組タイトル「幻の東北列藩・プロイセン連合」には、ほとんど関係ないんですけどねえ。

 ともかく。
 衝撃の新資料について研究なさっておられるのは、東京大学史料編纂所准教授の箱石大氏である旨、番組で紹介されておりましたので、私、あわてて論文を探したのですが見つからず、しかしアマゾンに、これから出版予定の「戊辰戦争の史料学」なる本がありましたので、さっそく予約しました。
 ところが、ところが。
 出版予定が延びに延び、ようやくのことで今日、届いたような次第です。

 全編、興味深い記事ばかりでして、これからじっくり読むつもりですが、まずは、箱石大氏ご自身によります「序論 戊辰戦争に関する新たな史料の発見」を見てみますと、「衝撃の新資料」は、すでに1995年、日本大学国際関係学部准教授アンドレアス・H・バウマン氏によって、日本の学界に紹介されていたんだそうです。その4年後には、ドイツのボン大学教授ヨーゼフ・クライナー氏が北海道新聞を通じて、一般にも紹介していたそうでして、ひいーっ! 知らないって怖いですね。
 といいますか、もっと早く、日本の歴史学界がとりあげるべきだったことですよね。

 この文書は、フライブルクの連邦軍事文書館が所蔵しているそうなんですが、はあ、松山の姉妹都市のフライブルグに、そんなものがあろうとは!!!、です。
 普仏戦争と前田正名 Vol5に書いておりますが、戊辰戦争時のドイツはいまだ統一されていませんで、フライブルクはバーデン大公国なんですよねえ。

 で、箱石氏は、2009年からボン大学名誉教授ペーター・パンツァー氏の協力の元、この文書館所蔵の幕末維新期日本関係文書の調査をはじめ、そんな中で、関連文書も発見されたそうでして、実は、番組で紹介されました「衝撃の新資料」には、続きがあったというんですっ!!!

 番組では、「ビスマルクは、欧州の他国との協調関係をおもんばかって、ブラント公使に会津・庄内の申し出を断るよう指示した」 とされ、そこでこの話は終わっていました。

 戊辰戦争は、ちょうど、普墺戦争と普仏戦争の間の出来事でして、ドイツ統一をめざすプロイセンとしましては、イギリスの機嫌を損ねるようなことは、できなかったんですね。
 イギリスは、対ロシアということで、広瀬常と森有礼 美女ありき10に書いておりますが、クリミア戦争ではフランスと組み極東まで戦いに来まして、そのおかげで五稜郭ができたようなものですから、もしもプロイセンが蝦夷に領地を得るようなことになりましたら、実際に黙っていなかったでしょう。
 
 しかし、当時の在日イギリス外交官、バーティ・ミットフォードは、上流階級出身のよしみか、ブラント公使とはけっこう仲が良かったとか言っていますのに、この件につきましては、情報収集できていなかったのでしょうか。あるいは、どうせ会津・庄内が勝つはずないとたかをくくっていたか。

 えー、箱石氏の最新のご研究に話をもどします。
 ブラント公使のビスマルクへの報告には、続きがありました。
 「会津と庄内が蝦夷地を売りたがっている」といいます情報に続けて、「グラバーは琉球を担保として薩摩に金を貸しつけていて、イギリス政府がその利権を手に入れ、土地を取得するつもりだ。またアメリカも長崎に海軍基地を持とうと計画している」という続報を送ったというのです。
 結果、ビスマルクは前言を撤回し、「英米が日本で土地を得ようとしていることが本当なら、会津・庄内の申し出に応じよ」 とブラント公使に命じました。しかし、当時の手紙のやりとりは船便で、欧州と日本の間では、およそ2ヶ月かかりました。その命令が日本へ届いたときには、とっくの昔に、会津も庄内も降伏し、機会は失われていたのですが。

 箱石氏も書いておられますが、イギリスが薩摩から土地を得ようとしていた話は、眉唾です。 
 ミットフォードかモンブラン伯爵かが偽情報を流した……といいますか、私、思いますにモンブラン伯爵が「この田舎者、おもしろい。おちょくってやれ!」とからかったのではないかと。
 ほどなく普仏戦争がはじまり、モンブラン伯爵が生まれ育ちました花の都パリは、ドイツ諸国の田舎者に蹂躙されることも知りませんで。
 この当時のフランス人のドイツ人に対する一般的感情は、普仏戦争と前田正名 Vol9Vol10でご紹介しております、アルフォンス・ドーデーの「月曜物語 」あたりが、語ってくれているように思います。

 あるいは、モンブラン伯は維新回天のガンダルフだった!? 番外編に書いておりますが、薩摩が琉球国名義で各国と独自に通商条約を結ぼうとしていたことを、ブラントが誤って受け取ったのでしょうか。まあ、プロイセンの田舎貴族ですしねえ(笑)

 それにいたしましても、ねえ。
 極東におきますプロイセンの情報収集能力は、ぐだぐだぐだのぐちゃぐちゃ、だったみたいです。いや、世界に冠たる007の国大英帝国とくらべちゃ、気の毒なんですが。

 追記 家近良樹氏の『西郷隆盛と幕末維新の政局』第部 第四章 慶応二・三年の薩摩藩を読んでおりましたら(P172)、穏健派の薩摩藩士・道島某の日記に(忠義公史料第四巻P156~161 P197~198「道島家記抄」)、慶応2年6月パークスが鹿児島を訪れたときに、一般の薩摩藩士からは多大な反発があり、「グラバーからの藩の借金は一割四分の高利で30万両にもおよび、その返済のために大島の銅山を渡すらしい」という噂話があった、という旨、書いておりました。ブラントは、そういう噂話のたぐいを耳にしたらしくはありますね。

西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)
家近 良樹
ミネルヴァ書房


 ついでに言わせていただきますと、会津・庄内の国際感覚もぐだぐだのめちゃくちゃ、だったみたいですねえ。双方、個々には情報通の有能な人材もいたのですけれども、生かせなかったといいますか。
 庄内藩なんか、出身者に佐藤与之助や本間郡兵衛などもいましたのに、ねえ。

 この本には、また触れる機会があろうかと思いますが、今日は、ここまでです。

 最後に、甥の引っ越しの手伝いで大阪へ行きましたおかげで、懐かしい友人に会うことができました。若くして大病を患って一時は命も危なかった方が、元気でいてくださって、ご一緒にランチを。嬉しゅうございました。
 千里阪急ホテルさくらラウンジのさくら弁当です。




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2 コメント

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ぜひ前向きに (住兵衛)
2013-04-08 14:41:02
近藤長次郎についての出版、
ぜひ、前向きに取り組んでください。
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住兵衞さま (郎女)
2013-04-08 22:48:55
どうもありがとうございます!
言っていただいて、勇気百倍、がんばってみます。
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