郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

バロン・キャットと伯爵夫人

2006年12月26日 | 生糸と舞踏会・井上伯爵夫人
『食客風雲録―日本篇』

青土社

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個人掲示板の方で、築地梁山泊時代の中井桜洲について、この草森紳一著『食客風雲録―日本篇』が詳しいとお教えいただき、さっそく購入しました。たしかにとても詳しく、中井の足跡を跡づけてくれていまして、買って正解、だったんですが、一つだけ、ひっかかったことがありました。井上武子伯爵夫人の素性です。
鹿鳴館と伯爵夫人 に書きましたように、築地梁山泊は、中井桜洲と井上馨、後の井上伯爵夫人、武子さんの三角関係の舞台だったんですね。それで、なぜ私が、武子さんを幕臣の娘だと断定したかと言いますと、ひとつは、近藤富江氏の『鹿鳴館貴婦人考』 (1980年)に、はっきり、幕臣新田某の娘と書かれていまして、さらに小説ながら、神坂次郎氏の『猫男爵?バロン・キャット』が、武子夫人の父親、新田(岩松)満次郎を主人公にして、幕臣岩松氏(維新以降新田と改姓)を描いたものでして、小説ですから細かな筋立てはフィクションでしょうけれども、基本設定が嘘だとは思えなかったからなんです。
で、草森氏の『食客風雲録』にも、中井の結婚について、大隈重信の回想が引用されていました。
「ところでその頃、何の気まぐれでか、新田義貞か誰かの子孫だと云う、新田満次郎と云う名門の旗本の娘さんを妻に貰って、あまり間のない時であった」
あー、ちゃんと大隈も武子さんの素性を語っているじゃないの、と、思うまもなく、です。草森氏はこう続けているのです。
「中井弘三(桜洲)は、一時、同じ官僚の金井之恭の家で居候していた。彼は群馬の豪農の出身で、書家として鳴らした。新田義貞の子孫だという。維新前、金井は新田満次郎を首領に推し、赤城山で挙兵している。大隈の言う新田満次郎の名が、ここで出てくる。(中略)ただし、大隈の言う新田満次郎は、旗本でなく、阿波出身の勤王家である。のちに有栖川宮の支援のもとに神道の宗派をおこし、その官長となる」
ええっ?! 阿波出身の勤王家??? 神道の宗派をおこし、その官長となる???
新田満次郎は、岩松満次郎俊純、バロン・キャットじゃなかったの???
えーと、まだ読んではいませんが、神坂氏の小説だけではなく、『猫絵の殿様?領主のフォークロア』って本も出ていますし、幕臣新田岩松家の猫絵は、群馬大学図書館にコレクションがあるようですし。新田岩松家旧蔵粉本コレクション
なにがなにやらわからなくなりまして、「維新前、金井は新田満次郎を首領に推し、赤城山で挙兵している」を手がかりに検索をかけましたところ、どうやらこれは、慷慨組の赤城山挙兵(赤報隊哀歌 )らしいとわかり、あわてて『相楽総三とその同志 上 』を本棚からひっぱり出してみたのですが、詳細はわかりません。
なぜに新田満次郎が阿波出身の勤王家になっているんでしょう???
草森氏がなにをもとにおっしゃっていることなのか、お心当たりのある方、どうぞご教授ください。

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