郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

主人公は松陰の妹!◆NHK大河『花燃ゆ』

2014年03月26日 | 大河「花燃ゆ」と史実

 ようやっと青色申告も終わり、しかし今なお蔵書の片付けがすみませんで、落ち着かないままに、今年になってはじめて書いてみる気になりました。
 突然ですが、明治の終焉・乃木殉死と士族反乱 シリーズの番外編になりそうです。

 昨年、卯之町紀行 シーボルトの娘がいた街 前編において、次のNHK大河ドラマの主人公が、吉田松陰の妹になるらしいことには、触れております。
 松陰の妹、といえば、私が思い出しますのはなんといいましても、「叔父の玉木文之進を介錯した気丈な千代さん!」でして、まあ、普通に考えますと、「久坂玄瑞と結婚していた一番下の文さん」なんでしょうけれども、なにしろこの文さん、伝えられますところでは、「いくら先生の妹でも不美人だからいやだと久坂がいった」 とされ、おまけに久坂ときた日には、京都でどうやら二人の愛人に子供をつくり、やりたい放題。
 お文さんは、維新以降、かなりな年になってから、病死した姉(松陰の真ん中の妹・寿)を看取って、その後釜におさまりますが、なんだか流されるままのような、気の毒なかんじを受けまして、「なんでまた、低視聴率確実そうなそんな企画を???」と、あきれていました。

 実は、ですね。この後、山本栄一郎氏に連絡しましたところが、この大河、幕末残照・周防紀行でご紹介しました『男爵 楫取素彦の生涯』に大いに関係していて、収録されております山本氏の労作「書簡に見る明治後の楫取素彦」につきましても、NHKのディレクターさんが、相当参考にして大河の企画を練っているらしい、というお話だったんですね。
 うかつでした! お文さんの再婚相手で「病死した姉(松陰の真ん中の妹・寿)の夫」こそが楫取素彦でして、その楫取素彦が、松陰の実兄・杉民治にあてた書簡184通を萩博物館が所蔵しているのだそうですが、これを全部読んで論文を書かれているのは、山本栄一郎氏だけなんです!!!



 この本、これまで一般には販売されていませんでしたが、さすがは大河効果です。再版されることが決まり、山口県外への販売は、マツノ書店さんが扱うそうです。

 いや、だから、しかし。
 山本栄一郎氏が書簡から読み解いておられます楫取素彦の実像が、魅力的かと申しますと、私なんぞは「危険を避けて平穏に、そこそこの世渡りを心がけていたらしいから、亭主にするには理想的だけど、ねえ。歴史上の人物としての魅力は、あまりないわねえ」という印象しかもちませんでした。
 いえね。この人の実兄は、高杉晋作「宇宙の間に生く!」と叫んで海軍に挫折で書いております松島剛蔵です。勝海舟とともにオランダの海軍伝習を受けた俊才で、長州海軍を一人で背負っていたんですのに、過激に走って、処刑された人です。
 松陰もそうですが、楫取素彦の身近には、偉大な過激派が次々に現れ、世間的には悲劇的といえる運命を呼び寄せます中で、身内がそうですと家族全体が危険ですから、素彦はなんとかバランスをとり「身の安全が一番!」となったのかもしれませんし、そうだったとするならば、気持ちはわからないでもないのですが、物語の主人公として見るには、まったくもって、わくわくする人物ではありません。

 ところがNHKは、「主人公は文で井上真央」と決めてまもなく、「楫取素彦は大沢たかお」(平成27年大河『花燃ゆ』大沢たかおさん出演決定!とさっそく発表しておりまして、ひいーっ!!!です。

 しかし山本氏からお聞きしましたところでは、さすがのNHKも『八重の桜』で懲りたらしく、幕末部分が膨らんで、明治篇は短くなりそうだ、ということなんですね。
 そうでしょうとも。私、明治になってからの『八重の桜』は、ばかばかしくて、ほとんど見ませんでした。
 それまでにも文句がなかったわけではなく、並べ立てますと、会津は長崎で買った銃の金を払わなかったのに、とか、スペンサー7連発騎銃であんなに狙撃が出来るわけがない、とか、世良修蔵を悪役にしすぎ、とか、2度ほどブログを書きかけたのですが、書くのもばかばかしくなって、やめてしまいました。
 いや、だから。嘘はいいんですよ。おもしろければ。しかしおもしろくないですし、おもしろくないから、つっこみたくなるんです。それに、ホームドラマは朝ドラだけでたくさんなんです。

 山本氏は、現在、お文さんの伝記を執筆されていまして、それはそれで楽しみなんですけれども、いったいNHKは、なぜ大河ドラマの題材に松陰の妹を選んだのでしょうか。
 山本氏にお話をうかがって後、雑誌サピオ2014年2月号に、大河ドラマが安倍首相の地元に決定するまでの「異例」の経緯(YAHOO!ニュース)という記事が載りました。

SAPIO (サピオ) 2014年 02月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小学館


 リンクしましたYAHOO!ニュースの記事は、全文を載せているわけではないのですが、これを書いた記者が、ろくに松陰を知らないことがよくわかる文章は、載っています。

 萩市商工観光部観光課の担当者の言葉として、「10月に入ってから、『吉田松陰はどうですか?』と聞かれ、松陰には妻や3人の妹がいると説明しました」と書いていますが、私は、「萩市商工観光部観光課の人物が、松陰に妻がいたなんぞとあきれた嘘を述べるわけがない!」と信じていますし、これは、聞き取って書いた記者が無知で、思い込んでまちがっちゃったんでしょう、おそらくは。

 松陰は、刑死したとき30歳でして、若いですし、司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』では、若い女性を苦手としていて、妻帯なんぞ思いもよらない、というような描かれ方をしているんです。したがいまして私は、松陰が独身のまま刑死したことは有名な話だと思っていました。

世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋


 最近のサピオは、あきらかにアンチ安倍首相が編集方針でして、強引に安倍批判に話をもっていっている感じはします。
 しかし、「NHKのチーフ・プロデューサーが『山口県の女性でだれか大河ドラマの主人公にできる人はいませんか』と聞いて歩いていた」 とか「山口県では明治維新150周年の平成30年(2018年)に大河ドラマを誘致するつもりで、まだ誘致活動もはじめておらず、2015年の大河が長州とは意外だった」 という部分の事実関係は、山本氏から電話でお聞きした話とも一致します。
 私なんぞは、サピオの記者とは逆に、アンチ安倍首相のNHK労組が手をまわし、わざと明治維新150周年をはずして、視聴率の上がりそうもない幕末維新の女性ドラマを安倍さんの地元の山口県へ持っていき、文句がつけづらい形で低視聴率を誘って、安倍さんに意趣返しをしようとしているのではないの?、と妙に勘ぐってしまっちゃいました。

 が、しかし。
 主人公の文さんと楫取素彦の再婚夫妻と防府市(もとの三田尻です)は縁が深く、町おこしにつなげようと山本栄一郎氏はがんばっておられまして、執筆しておられます途中の文さんの伝記を見せていただき、必要があって『世に棲む日日』の冒頭を読み返したのですが。
 あらためて読み返してみますと、おもしろいです! 松陰の育った家庭って。

 NHKは、「家庭の愛を描きたい」と言っているそうでして、「またホームドラマかよ」と、うんざりしていたのですが、「信念を貫き通して犯罪人になった松陰を全肯定した家族愛をちゃんと描くのなら、いいかも」と思うようになりました。


吉田松陰―変転する人物像 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社


 山本氏に感想を求められますうち、私と山本氏の松陰像が大きくちがっていますことに気づき、同時に、自分の松陰への無知を痛感したこともありまして、田中彰氏の『吉田松陰―変転する人物像』も読んでみました。 
 田中彰氏のご著書は、若いころに松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)を読み、小説にしたい!と思いつめたことがありまして、歴史観は私とだいぶんちがっておられるんですけれども、松陰にそそがれる視線はあたたかく、かつ真摯なもので、好きな学者さんです。

 今回また……、反論したくなります記述もありながら、びっくりすることの連続でした。
 松陰には、兄(杉民治)が1人に妹が3人(千代、寿、文)、そして弟が一人います。
 末の妹の文より二つ年下で、松陰とは15も年が離れました末弟・敏三郎は、生まれながらの聾唖者でした。
 そういや、そんな話を聞いたことがあったような気もしたのですが、これまで私は、気にもとめていませんでした。

 敏三郎を、松陰の家族はみなで愛し、敏三郎もなんとか人並みになろうと、文字の勉強もしていたのですが、彼はついに、理解することができませんでした。
 その弟を、松陰は両親に習って、心から慈しむんです。
 杉民治の息子で、刑死した松陰の跡を継ぎ、明治9年の萩の乱に参加して戦死した吉田小太郎も、ともに暮らす敏三郎叔父を尊敬し、松陰の書き残したものも参考にしながらその伝記を書き残しました。
 杉民治の長女・豊子は、明治の終焉・乃木殉死と士族反乱 vol2で書いております乃木希典の実弟・玉木正誼の妻です。
 玉木正誼も小太郎とともに戦死し、豊子が忘れ形見の玉木正之を身ごもっていて、その正之がやがて、乃木将軍の葬儀で喪主を務めることとなります。

 そして、松陰の叔父・玉木文之進は、吉田小太郎と玉木正誼と、自分が心血をそそいで教育した青年たちが戦死して賊とされたことに対し、責任をとって割腹します。
 『世に棲む日日』の冒頭に出てくるのですが、このとき文之進を介錯したのは、松陰の一番上の妹・千代です。
 私、「明治の終焉・乃木殉死と士族反乱」シリーズを書き始めましたとき、この話の原典は雑誌「日本及日本人」の松陰特集号であると知りまして、マツノ書店さんの復刻版がありますから、さっそく読んだんですね。
 ところが、ここには、「介錯した」と」はっきり書かれているわけではなく、さらにさがしてみましたところが、斉藤鹿三郎著『吉田松陰正史』に、千代さんが語った言葉として「介錯した」と明確に書いていました。



 さらに、ですね。
 吉田小太郎戦死の後、吉田家を継いだのは、この千代さんの息子・吉田庫三なんです。
 庫三に関しては、wikiの記事(吉田庫三)しか、経歴記事が見つからなかったのですが、これで見ます限り、明治政府中枢の長州閥とは無縁だったように感じます。
 乃木さんのシリーズで、ちゃんと書いていくつもりですが、玉木文之進を主柱にしていました明治以降の松陰の家族たちは、あきらかに、敗者の側に身をおいているんです。

 田中彰氏は、「日本及日本人」松陰特集号収録、三宅雪嶺著述から、仮定としての松陰の後半生を「不遇に終はるべき数(運命)」 とみていたことを紹介なさっていて、「松陰のめざしたところと、門下生たちのつくりあげた明治の国家体制の乖離」 を指摘されています。
 田中彰氏は、なぜか士族反乱の評価を避けておられるのですが、松陰の身内であり、跡を継ぐことをめざした吉田小太郎と玉木正誼が、死して賊となっていたことは、そのまま、松陰の前半生の悲劇を受け継ぎ、仮定の後半生の運命を具象化していたといえるのではないでしょうか。
 
 文は反乱当時、久坂未亡人で、敗者の側にあった家族と同居していたと思われますし、文という名は、もともと玉木文之進からもらったものです。
 そのことを忘れないで、例え賊となろうとも信念を貫き通すことをよしとする家族愛を描いてくれるのならば、例え視聴率はあがらなくても、いいドラマになると思うのですが、これは期待のしすぎというものでしょうか?

 最後に、やはり田中彰氏が、大正デモクラシーと松陰像の関係を描く中で、中心にあげておられるのが、大庭柯公の「吉田松陰」(大正7年-1918 大阪朝日新聞連載)です。
 大庭柯公は、長州奇兵隊のスポンサーだった白石正一郎の弟で、長府報国隊の参謀となりました大庭伝七の三男です。報国隊には、乃木希典も加わっていましたので、小倉口での戦闘では、伝七もともに戦っていたはずです。

 柯公が描く松陰の仮定の後半生は、世界旅行家なんだそうですが、新聞連載と同時期に起こっておりましたロシア革命に共鳴し、「佐久間象山は、露国革命界の長老プレハーノフに比すべく、松陰はケレンスキー、東行(高杉晋作)はレーニン、前原一誠はトロツキーとも見ることができる」 としているのだとか。
 柯公はロシア通の新聞記者で、大正10年(1921)、つまり尼港事件の翌年、満州から極東共和国に入りますが、やがて消息を絶ちます。
 どうやら、高杉晋作にたとえてまで賞賛していましたレーニンのボルシェビキ独裁政権によって、スパイとされ、粛正されたようなんですね(加藤哲郎のネチズン・カレッジ情報収集センター 旧ソ連日本人粛清犠牲者・候補者一覧参照)。

 ロシア革命と日本の関わりにつきましては、尼港事件とロシア革命シリーズを読んでいただければ、と思うのですが、幕末維新を生きた大庭伝七の息子は、ロシア革命の未曾有の大惨劇の中に、消えていったんですね。
 これもまた、ちゃんと調べてみたい事件です。
 
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