えーと、もしかしまして、今年になって初めてのブログです。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ、いろいろとございました。
スイーツ大河『花燃ゆ』と西本願寺の続きということになるでしょうか。
まず、ご報告を。山本栄一郎氏が、萩博物館「萩ものがたり」の一冊として、「吉田松陰の妹・文(美和)」というご本を出されました。
よく、「文さんについては史料がないので、自由に描ける」なんぞと言われるのですが、ちがいます! 文さん本人はなにをしたというわけでもないのですが、松陰の妹であったために、この時代の女性にしては驚くほど、史料が残っています。
この本の後書きに、山本氏が書いておられますが、楫取素彦の書簡で、明治以降の文さんの動静がうかがえますと同時に、萩博物館には、50通を越えます文さん自筆の書簡が眠っていました。
これまでに出された「花燃ゆ」関連本、実は私、まったく読んでないのですが、まあ、おおよそ、ろくに史料に基づいていないものばかり、と推察できまして、その点、山本氏の本は画期的ですので、史実に関心がおありの方は、どうぞご一読ください。萩博さんで、通販してくださるんだそうです。
私、実は「花燃ゆ」を、いっさい見ていません! 一応、全部録画はしていっているのですが。
なぜ見ていないかと言えば、去年暮れの番宣で、すべてがミスキャストで、とてつもなく気分が悪くなりそうな印象を受けたからです。録画にしておけば、いやならスキップができますから。
なにより、伊勢谷松陰が、ねえ。
松陰は、確かにものすごく頭のいい人なんですが、一方で、思いつめるとまわりが見えなくなりますし、なんだか間が抜けていて、そこがこう、とてもかわいいんです。
伊勢谷、ねえ。かわいくないんです。
ひたすら変な松陰になっていそうだなあ、と、松陰ファンとしましては、うんざりしてしまった、といいますか。
録画をスキップしながら見ておられる中村さまも、「まったくもっておもしろくありません。人間関係の描き方が安っぽくて、ホームドラマにもなっていませんし」とおっしゃいます。
しかし、それとは別に、さる4月22日、神奈川県立地球市民かながわプラザ(本郷台)といいます怪しげな名前のホールで、山本氏が講演をなさるというので、中村さまをお誘いし、一泊で出かけました。
21日午後の飛行機で羽田へ飛び、泊まりましたのは大船のホテルです。
鎌倉が近く、実は、松陰や文さんの叔父(滝の弟)が住職を務めました瑞泉寺に行きたくもあったんです。
山本氏のお話では、後年、文さんも叔父の足跡をたずね、鎌倉に行っています。海水浴もしたそうですが(笑)
松陰は、叔父を訪ねて泊めてもらったことがありまして、境内に「松陰吉田先生留跡碑」が建っています。
こじんまりとしていますが、緑が多く、非常に美しい禅寺です。
時間が余りましたので、鶴岡八幡宮にもお参りしました。
そして午後。いよいよ講演です。
地球市民かながわプラザといいます大層なネーミングにふさわしく、けっこうなホールでした。
生涯学習セミナーの一環でして、会場は年配の方ばかり。
私は以前から電話で、書簡のお話などうかがっておりましたので、それほど目新しい内容では無かったのですが、一つ、仰天したことがございました。
えーと、ですね。
松陰のすぐ下の妹である千代さんがドラマには出て来ないっ!!!ということは、初回に、中村さまからお聞きしていました。
幾度か書きましたが、松陰には三人の妹がいまして、上から千代、久(寿)、文(美和)です。年の差は、およそ5つづつですから、長女の千代さんと末の文さんの間は十ほども離れ、千代さんが嫁に行きましたのは推定15歳で、そのとき文さんは5歳そこそこですし、嫁入る前の何年か、千代さんは城の近くに住む必要がありました父親の身の回りのめんどうを見るため、他の家族とはなれて暮らしていましたので、文さんが物心ついてから、千代さんといっしょに暮らしたことはないようなんです。
とはいいますものの、スイーツ大河『花燃ゆ』と楫取道明に書いたと思うのですが、千代さんの嫁入り先は、母親の滝さんが養女にいっていました児玉家で、親戚ですし、距離的にも杉家にごく近い弘法谷でしたから、日常的に行き来がありました。
「すでに嫁に行った姉だから、話がややっこしくなりますし、出さないですますつもりなんでしょうか、NHKは」そう中村さまには申し上げたのですが、なんとも釈然としない思いでした。
去年の春に書きました主人公は松陰の妹!◆NHK大河『花燃ゆ』を見ていただきたいのですが、私は最初、NHK大河の主人公が松陰の妹に決まったと聞きまして、「叔父の玉木文之進を介錯した気丈な千代さん!」を真っ先に思い浮かべたんです。
世に棲む日日〈1〉 (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
なんといいましても、「世に棲む日日」冒頭の千代さんは印象的ですし、そしてなにより、松陰ともっとも年が近く、松陰にもっとも愛された妹は、千代さんです。
それが出てこない、となりますと、要するに「NHKは、松陰も萩の乱も、まともに描くつもりがないってこと?」という疑いがわきあがりまして、私はますます見る気を無くしたんですが、「女が叔父さんの介錯をする場面なんて、NHKは好きじゃないんでしょうよ」と、妙な納得の仕方をしておりました。
ところが、ところが。
山本栄一郎氏は、おっしゃるんですね。
「NHKは、長女の千代を消して、末の文と合体させたんです。文と松陰では、年が離れすぎてドラマになる要素が少ないので、千代と松陰の関係を、そのまま文と松陰の関係にしてしまっているんです。この消された千代という人は、萩の乱において、叔父の介錯をしているんですが、これは本人が語り残していることでして、事実としか思えません。女性が介錯をするというのは、他に聞いたことがありませんし、非常にインパクトがあります。おそらくNHKは、これを主人公の文にやらせるつもりですよ」
「えーっ????? 嘘っ!!!!!」
講演の最中に私、思わず叫んでしまいましたわ。
文さん小説、まったくもって進んでいません。
母が入院したり、ごちゃごちゃごちゃごちゃ、いろいろとありました上に、次から次と、山本氏が新しい事実を発見してくださっちゃいまして、書き直しの連続。
しかしね。
NHKとは関係なく、私には、幕末維新という時代と、そこに生きた普通の日本人を、私なりにリアルに、語り残してみたい、という思いがあります。
まあ、焦らず、気長にやってみようかなと。
しかし、はあ。
叔父を介錯するスーパーヒロイン、合体文さんっ!!! ですか。
笑えませんわ。
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大河の玉木文之進、しょっぱなから文を平手打ち! であきれてものがいえなくなりました。武士の子の面をはたくとは、武士としてありえないことです。しかし確かにおっしゃる通り、文さんの書簡も、このドラマがなければ、ずっとひと目にふれず、萩博さんに眠り続けたんですよね。萩の乱のとき、文(美和)さんは萩にいました。私は、身ごもっていた豊子さんにつきそっていたのではないか、と推測しています。ぜひ、いろいろとご研究なさって、萩の乱を描いてくださいませ。私、いまだ、萩の乱に関して、満足する書物に出会っておりません。
桐野利秋が自由民権を唱えていたという確かな証言がございまして、前原の弟・山田頴太郎は大村益次郎の弟子で、桐野の部下だった人です。この人の後釜で、小倉に、乃木さんが赴任したわけですよね。
千代さんの息子で、吉田家を継ぐことになった吉田庫三も自由民権運動にかかわった、といわれます。
思案橋事件と評論新聞の関係もありますし、どなたか、ちゃんとした評価をしてくだされば、と、昔から思っておりました。楽しみにいたしております。
最初はキャスティングやデフォルメの仕方でがっかりしていた花燃ゆですが、最初の恥ずかしさ(あまりにも白々しいから)も薄らいできて、萩にも何度かいきました。玉木文之進について今まで深く関心をもっておりませんでしたが、彦助のことや、それに続く若い杉家とその関係者の人たちが大変な思いをしたことを知り、私も自分で理解してどこかでまとめていけたらと思うようになりました。大河で誤解されても、物言わぬ人たちが顕彰されるきっかけができたことは意義があることだと思います。今、自分では萩の乱についていつか書けるようにしていきたいと思います。古文書読めるようにならないといけませんね。
ただいま、最初の方の部分をとばし見まして、思っていたほどひどくはなかったのですが、これはもう、あきらかに脚本のせいで、私にはやはり、松陰には見えませんでした。雰囲気が堂々としすぎていまして、為政者にしか見えないんですね。周布政之助か、あるいは、そうですね。理数系で、医者の身分を抜け出し、長州洋学の改革を成し遂げ、海軍指揮者となりました松島剛蔵が似合うかな、と。
またどうぞ。お越しくださいませ。
松陰像について御丁寧にお教え下さり、本当に有難うございました。大変勉強になりました。これからも楽しみに拝読させて頂きます。宜しくお願い致します。
たまこさま
番宣だけで役者さんの批判をしてしまい、まことに申し訳なく、これから録画した本編を見てみます。
しかし、私の松陰像は、イギリスの作家・スティーブンソンが塾生だった正木退蔵に聞いて、書き残したものが中核になっているんです。
以下、松陰全集別巻から引用です。
「吉田は醜く、おかしな程痘瘡の跡が残っていた。自然は初めから彼に物惜しみしたが、一方、彼の個人的な習性は、だらしないとさえいってよかった。衣服はぼろであったし、食事や洗面のときには、袖で手をふいた。頭髪は二ヶ月に一回程度しか結わなかったので、見苦しいことがしばしばあった。このような様子であったから、彼が結婚しなかったことを信じることは容易である。ことば使いは激しく乱暴であったが、振る舞いは温和でりっぱな教師であり、講義が難解なため門下生の頭上を素通りし、そのため彼らが唖然としたり、さらにしばしば笑うことがあっても、そのまま放置し気にもとめなかった。学問に対する情熱はすこぶる激しかったので、自然の眠りすら惜しんだほどであった。(中略)これが塾生たちの目に写った彼の姿であるが、塾生気質から語られたものではない。優雅さにこれほど無関心な男は、少年や婦女子にとっては、一顧に価しない存在なのである。実際、私たちは誰も、多少の差こそあれ、通学の経験があるから、吉田が門下生たちから物笑いの種にされたことに驚きはしないであろう。生徒には鋭いユーモアの感覚があるものだ。生徒は、書物の中で、英傑を理解し、尊敬することを習うのである。しかし、同時代の人の場合には、どんな特性をもっていても、殊に、よく論争し、薄汚れ、一風変わった教師に対しては、生徒は決して英雄らしさを認めようとはしないものである。しかし、歳月が経ち、吉田の門弟たちが、理論的に完全無欠の人物を身近に見つけようとしても無駄だと知り、また吉田の薫陶の意味をますます深く理解し始めると、門弟たちはこの滑稽な教師を、人類の中で最も高潔な人物として追憶するようになった」
番宣で見る限り、なのですが、伊勢谷松陰は、脚本の設定も手伝い、少女漫画のヒーローのようでした。どこからどう見ても、塾生や婦女子の嘲笑を受ける、薄汚れて、一見、滑稽な人物ではなかったんです。
サトウ アイノスケさま
私は、佐藤愛之助と書きますより、薩道愛之助と書く方が好きです(笑)
ブログを書いてから、とりあえず一話でも見なければと、「第18回 龍馬!登場」を見たのですが、おっしゃる通りです。どうやったら、あんなめちゃくちゃな、コスプレ学習塾ごっこ話になるんでしょうか。腹立ち紛れに、感想を書くつもりでいます。またどうぞ、読んでやってくださいませ。
郎女姐さんのブログをかなり昔から愛読している者ですが、ブログを再開されたと聞きまして非常に嬉しく思っています。
NHKがとんでもない大河番組を世間に垂れ流している事に対して、非常に憤っております。
アレに対する郎女さんのご意見を聞けて嬉しいです。
松蔭の配役に関する見解は、私も郎女さんと同じです。
間が抜けた愛嬌があってこその「人間・吉田寅次郎」だと思います。
しかも本作では、他の方も述べておられる通り、時代背景や思想などをほとんど無視しておりますので、松蔭が何の為に行動していたのか?という事さえ視聴者にはロクに伝わっていません。
結局誰がやっても「珍妙な吉田松陰」に成らざるを得ない訳です。脚本と演出が崩壊している本作では。
番組のキャッチフレーズが「幕末男子の育て方」「イケメン大河」という時点で、全く論評に値しない駄作なのです。
要するに松蔭の俳優が誰であったとしても、駄作は駄作という事でいささかも変わりはなく、アレを見て少しでも楽しめる部分があるというのは本当に幸せな人達なんだなあ、と私は思います。
ただ一つだけ気になった事をコメントさせて頂きますが…。
伊勢谷さんの松陰は生き写しかと思う程見事で、鬼気迫る演技にも魅了されました。Yahoo!やsonet、Twitter、Facebook等の感想欄を御覧になればお判りになるでしょうが、伊勢谷さんが松陰にキャスティングされた事、伊勢谷さんの圧倒的な存在感と演技力を絶賛する声ばかりです。このドラマを観て伊勢谷さんのファンになった人達も多いですし、ファンは益々メロメロに。私は後者ですが(^^)。総集編を録画しましたが、早送りして伊勢谷さんだけを何度も何度も繰り返し観ては、伊勢谷松陰を懐かしんでいます。
ですから、あのようなご発言はファンとして非常にショックですし、悔しいです。
吉田松陰の清廉にして凄絶極まる生涯を、実に見事に演じられました。流石、東京芸大で学ばれた超一流のアーティストだと感服致しました。
知性と品格、情熱と狂愚溢れる幕末の美青年。これ以上素晴らしい松陰先生に、今後お目にかかれるとは思いません。
歴史背景と思想の欠如、文と小田村の行動の捏造、千代の抹消等、非難されるべき点が多々ある脚本ですが、このドラマで伊勢谷松陰に出逢えた事だけは、本当に嬉しく幸せに思っております。