昨日、アマゾンに注文していた本やCDがまとめて届きました。
まずは、これから。
鹿島茂著『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』講談社発行
まだとばし読みしかしてないのですが、図版が多いし、熱のこもった記述で、おもしろく、お買い得な本でした。
一番ありがたかったのは、ナポレオン三世の外交や戦争についても章がさかれていることで、アマゾンでさがしたんですが、普墺(プロイセン・オウストリイ)戦争や普仏戦争を解説してくれている日本語の本って、いま、ほとんど出てないんですよね。
もう、なんといいますか、あきれました。
なににって、弟2帝政期のフランスの脳天気に、です。戦争に関する限り、幕末の幕府に、ほんとうによく似ています。
普仏戦争って、フランスの方から、宣戦布告したんです。
以前にも書きましたが、スペインの王位継承問題、という、直接フランスには関係のないお話で、たしかに、プロイセンのビスマルクが策を弄して、フランス人を怒らせるような記事をわざと流したのですが、はっきりいって、他人が見たらどーでもよかろうに、と思うようなことです。おまけにナポレオン三世は、戦争なんかしたくなかったわけですのに、なんで国を挙げて燃え上がるかな、と。
で、当然、なんの準備もできてないわけでして、ピクニック気分で戦争をはじめて、兵站がまるでなってない。
このフランス軍の兵站がなってなかったのは、クリミア戦争のときからわかっていたことだそうで、すでにクリミア戦争で、計画性のなさ、兵站の悪さにより多大な戦病死者を出しながら、経済発展にかまけて、まったく軍政の改革に手をつけられないまま時間はたち、普仏戦争です。
……って、あら、現在のどこかの国にもちょっと似てますね。
以前に、戊辰戦争の幕府伝習隊のシャスポー銃に触れて、「弾薬切れだったんじゃないのか」と書きましたが、どうやら正解のようです。伝習を授けてくれたフランス陸軍自体が、普仏戦争でシャスポーの弾切れに泣いたそうで。
はあ、それにしても、当時のフランス軍って、上着が青でズボンが赤って……、将校もそんな派手な軍服なんでしょうか。明治初期の軍服はフランス軍をまねたので、とても派手だったような話を、以前になにかで読んだような気がするんですが、いくら桐野でも、青と赤の軍服なんて、きれいに着こなせていたのかどうか、ちょっと不安です。
当時のフランス軍の行進曲ってどんなんだろうと、とりあえず、下のCDも注文していました。
ギャルド/軍艦マーチ(日本、アメリカ、フランス名行進曲集)
ギャルド・レビュブリケーヌ吹奏楽団というのは、フランスの陸軍参謀本部に所属する世界有数の吹奏楽団なのだそうです。団員はパリ音楽院の出身者から、厳しい試験を経て選抜され、極めて高い演奏をするので有名だとか。
いや、フランスの行進曲って、ほんと、ピクニックみたいな楽しい乗りだな、と思ったのですが、すばらしかったのは、軍艦マーチと君が代行進曲です。踊り出したくなる君が代って、はじめて聞きました!
小さい写真なんですが、ギャルドの騎乗写真があって、ステキな軍服です。軍艦マーチを演奏してくれるなら、ぜひ見に行きたい!
だからねー、フランス軍って、戦争しない方が断然いいみたいですね。
まずは、これから。
鹿島茂著『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』講談社発行
まだとばし読みしかしてないのですが、図版が多いし、熱のこもった記述で、おもしろく、お買い得な本でした。
一番ありがたかったのは、ナポレオン三世の外交や戦争についても章がさかれていることで、アマゾンでさがしたんですが、普墺(プロイセン・オウストリイ)戦争や普仏戦争を解説してくれている日本語の本って、いま、ほとんど出てないんですよね。
もう、なんといいますか、あきれました。
なににって、弟2帝政期のフランスの脳天気に、です。戦争に関する限り、幕末の幕府に、ほんとうによく似ています。
普仏戦争って、フランスの方から、宣戦布告したんです。
以前にも書きましたが、スペインの王位継承問題、という、直接フランスには関係のないお話で、たしかに、プロイセンのビスマルクが策を弄して、フランス人を怒らせるような記事をわざと流したのですが、はっきりいって、他人が見たらどーでもよかろうに、と思うようなことです。おまけにナポレオン三世は、戦争なんかしたくなかったわけですのに、なんで国を挙げて燃え上がるかな、と。
で、当然、なんの準備もできてないわけでして、ピクニック気分で戦争をはじめて、兵站がまるでなってない。
このフランス軍の兵站がなってなかったのは、クリミア戦争のときからわかっていたことだそうで、すでにクリミア戦争で、計画性のなさ、兵站の悪さにより多大な戦病死者を出しながら、経済発展にかまけて、まったく軍政の改革に手をつけられないまま時間はたち、普仏戦争です。
……って、あら、現在のどこかの国にもちょっと似てますね。
以前に、戊辰戦争の幕府伝習隊のシャスポー銃に触れて、「弾薬切れだったんじゃないのか」と書きましたが、どうやら正解のようです。伝習を授けてくれたフランス陸軍自体が、普仏戦争でシャスポーの弾切れに泣いたそうで。
はあ、それにしても、当時のフランス軍って、上着が青でズボンが赤って……、将校もそんな派手な軍服なんでしょうか。明治初期の軍服はフランス軍をまねたので、とても派手だったような話を、以前になにかで読んだような気がするんですが、いくら桐野でも、青と赤の軍服なんて、きれいに着こなせていたのかどうか、ちょっと不安です。
当時のフランス軍の行進曲ってどんなんだろうと、とりあえず、下のCDも注文していました。
ギャルド/軍艦マーチ(日本、アメリカ、フランス名行進曲集)
ギャルド・レビュブリケーヌ吹奏楽団というのは、フランスの陸軍参謀本部に所属する世界有数の吹奏楽団なのだそうです。団員はパリ音楽院の出身者から、厳しい試験を経て選抜され、極めて高い演奏をするので有名だとか。
いや、フランスの行進曲って、ほんと、ピクニックみたいな楽しい乗りだな、と思ったのですが、すばらしかったのは、軍艦マーチと君が代行進曲です。踊り出したくなる君が代って、はじめて聞きました!
小さい写真なんですが、ギャルドの騎乗写真があって、ステキな軍服です。軍艦マーチを演奏してくれるなら、ぜひ見に行きたい!
だからねー、フランス軍って、戦争しない方が断然いいみたいですね。
とりあえず、昨日大奥について書きましたので、今日あたり、慶喜公まで、なんとかたどり着いてみます(笑)
TBは、また後刻にさせていただきますね。
一つだけ、私は慶喜公が臆病だったとは思っておりませんです。禁門の変のときを見れば、あの方は、個人的には、日本の貴人としては水準以上に勇敢でおられました。
おっしゃっていただいたこと、考えながら書いてみますので、どうぞよろしく、です。
他の方では、タンネンベルヒ会戦(ヒンデンブルグ)なども出てましたよ。
慶喜に関しては、結果的に、それで内戦が回避されたわけでしょう?
オスマントルコのバーヤジードや今の北朝鮮などが、自らの王朝が滅ぶときには国民も道連れにしてやろうと思う人が多い中、慶喜の一身に汚名を被ってまでの決断は私は評価しております。
鳥羽伏見の時も、怖くて逃げるのなら、自分一人で逃げても良さそうなところを、後の旗頭に担がれそうな連中を全部連れて行きましたよね。
これなどは、明らかに内戦を回避しようと言う意図があったのではないでしょうか?
この件では、以前、私も書いてますので、TBしておきますね。
御笑覧下さい。
アマゾンでさがしてみたのですが、これでしょうか?
参謀総長モルトケ ドイツ参謀本部の完成者
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837801382/qid=1134904563/sr=1-42/ref=sr_1_0_42/249-5201899-6951565
うー、在庫切れですねえ。古書サイトでさがしてみます。
慶喜公については、いろいろな見方ができると思いますし、置かれた立場には同情しないわけじゃないんですが、やはり、鳥羽伏見だけは、仮にも将軍、武の長としては、あまりに無責任だろう、と思うような次第です。
もう、25年くらい前の話ですので、その本が今でも売られているかどうかわからないのですが、この方の著書自体は、今でも新たに出版されているようですので、購入可能だと思います。
大橋武夫という人は、ご存じとは思いますが、元帝国陸軍参謀で戦後、経営者に、昭和39年だったかには、「兵法で経営する」でベストセラー作家になられた方です。
ちなみに、私は最後の将軍、慶喜は大変、立派だったと思っております。
歴史は好きなのですが、戦国には弱く、まったく知らないに等しいのですが、ブログ、楽しく拝見させていただきました。
フランスでも第二帝政の見直しは、少しずつされている状況にはあるようです。鹿島氏が書いておられたサン・シモン主義との関係など、フランスの思想史系の本でも評価されてきているようで、私は鹿島氏がそっちの話ばかりなさっていたらと、買う前には心配していたのですが、杞憂でした。
私が胸が熱くなったのは、死ぬ間際のナポレオン三世の言葉です。「セダンで、私たちは卑怯ではなかったな、そうだろ?」
幕末の幕府軍に似ていると書きましたが、セダンのナポレオン三世は、鳥羽伏見の一橋慶喜にくらべれば、はるかに立派です。自分が望んだ戦いではなかったことはいっしょでも。
函館戦争に参加したフランスの若い海軍士官2人が、海軍を首になり、一兵卒としてセダンの戦いにいて、一人は戦死しているんです。あの戦いの描写のところでは、泣けてまいりました。
また、遊びにいかせていただきます。
当方、実は、色々とブログによって長短有る為、同じブログを二つ持っております。
その為、TBの際もご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありませんでした。
ナポレオン三世については、私も色々と思うところは有りましたが、中でも、やはり、末尾の部分・・・。
今際の際に「私は卑怯ではなかったな・・・。」と言い残して死に、そして、死後も偉大な伯父と違う愚か者扱いで、未だに誰もフランス人は遺骨をフランスに移送しようとは言い出さないので、イギリスに眠っている・・・というくだりでした。
本を読んで胸が熱くなったのは久々でした。