郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

映画「半次郎」を見て……。

2010年10月14日 | 桐野利秋
 書こうかやめようか、相当に悩んだんです。
 えーと、ですね。
 桐野が主人公の映画を、けなしたくはありません。
 しかも、西南戦争が起こった理由の描き方は、これまでのドラマや小説からすれば珍しいほど、私の見解と重なります。
 多くの方に見てもらえたら、と………、思わないではないのです。
 しかし、映画としての出来は、まったくもって、よくありません。
 いえ……、もし桐野が主人公でなかったならば、きっと私は、「見る価値無し!」と、斬り捨てていたでしょう。
 まあ、あれです。よく知っている内容でありますだけに、パロディとして見ることも可能ですから、楽しめなかったわけではないんですけどね。
 
 「長州ファイブ」から「半次郎」への続き、ということになるでしょう。
 行ってきたんです。東京まで、映画「半次郎」を見に。
 まあ、国会図書館に行きたくもあったんですが、どちらがついでかというと、国会図書館がついでかも、です。



 あー、なにがいけないって……、まず第一、榎木孝明が似合わないんです!
 最初から、不安は大きかったんです。俳優さんが役に入れ込んで映画を企画すると、往々にしてろくなことにならないんです。なぜかわかりませんが。
 小松帯刀が、身をやつして半次郎のふりをしている!とでもいうのでしょうか、品が良すぎて、どうにもしっくりきません。
 半次郎、つまり桐野って、妙に三枚目じみたところもあるはずなんですが、えー、ほんと、榎木さんでは、なにをなさっても笑えませんし。品が良すぎる上に、真面目すぎ、とでも申しましょうか。
 ごいっしょに映画を見ました大先輩・中村さま、Nezuさまとお話していまして、永山弥一郎をやったAKIRAの方が、イメージ近いかな、と。じゃあ弥一ちゃんはだれが? ということになるんですが、篠原国幹をやりました永澤俊矢がぴったりです。篠原はもう少しこう、和風のイメージでして。

 シナリオについて言いますならば、幕末をはしょるしかないのはわかるんですが、はしょるならいっそ、慶応3年(1867)の暮れからやればいいのに、と思ったんですのよ。薩摩の貧乏時代にはじまり、文久2年(1862年)の上京、とずっとやるものですから、青蓮院に長州藩士がしのびこんで、半次郎が斬り殺すなんぞというわけのわからないフィクションが焦点になってみたり。
 白文ならまだしも、当時は子供でも読んでいました書き下しが読めない、っていうのも、ねえ。
 それに、京で長州人に共鳴し、革命を志すんですから、孔子じゃだめです。吉田松陰の講孟余話の類を、実際に目にした可能性が高いです。

 あー、愛人・村田さと役の女優さん、京都弁が超下手。関東出身者とまるわかりですわ。まあ、いいんですけど。
 なんか、ですね。こう、愛人二人との関係もねちねちっとした感じで、桐野らしいさわやかさに欠けます。正妻・ひささんは出てこないし。
 男女関係がそうですから、肝心の男同士の情が、しみじみしません。
 桐野と弥一ちゃんの友情を、もっと前面に出して欲しかった。

 あと、陸軍少将時代が最低最悪、ですね。好色な鯰ひげの官吏になった、といわんばかりの描き方でして。
 こう、ですね。貧乏やって芋を作っているのと同じトーンで、豪快にフランス軍服をまとい、金銀装の儀礼刀をひらめかしますのが、桐野の真骨頂ですのに。
 西南戦争になって、少しほっとしたのもつかの間、なんとも軽すぎ、なんです。
 まあ、金がないのは仕方ないんですが、いくらなんでも官軍、臨場感なさすぎ、です。あー、なんで自衛隊にエキストラ頼まなかったんでしょう。いえ、せめて一ヶ月……、いえせめて一週間でもいいから、エキストラ全員、自衛隊で訓練してもらうべきでした。

 ただ一点、しみじみよかったのが、薩軍の少年戦士です。実にかわいい上に演技達者で、メインで描かれていた13歳の子もよかったのですが、最後に英語の本を持って死ぬ子もよかった……。
 もういっそう、西南戦争少年戦士物語にすればよかったのでは? と思いましたわ。

 えー、そして最大の不満は、主要人物の死に方くらいは語り伝え通りにやってくれ、です。
 弥一ちゃんは、小屋に火をかけて、炎の中で死んで欲しかった。
 桐野は、少年戦士を逃がし、堡塁でライフルをうちまくって、最後に抜刀して死んで欲しかった。愛人がすがりつくなんて、嘘はなしで。
 NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」は、いろいろと描き方に文句はあったんですが、この桐野の最後の場面は、実に秀逸でした。

 海軍軍楽隊(薩摩バンド)が戦場で惜別の演奏をした場面は、悪くはなかったんですが、検索をかけてみましたら曲目についてはわからないみたいですし、ヘンデルの「見よ勇者は帰る」は、どーにも、表彰式のイメージが強すぎていけません。ここはもう! ぜひとも、帝国海軍軍楽隊の「告別行進曲」、つまりオールド・ラング・サインでいってもらいたかったのですが、それじゃあ、「長州ファイブ」といっしょになりますかね。

Daniel Cartier "Auld Lang Syne"


 Should auld acquaintance be forgot,and never brought to mind ?
 Should auld acquaintance be forgot, and auld lang syne ?

 かつての薩摩バンドが薩軍に贈るに、これほどふさわしい曲は、ないと思います。
 「告別行進曲」は、西南戦争のとき、まだ子供だった薩摩人・瀬戸口藤吉の編曲みたいですが、薩摩バンドと海軍軍楽隊のお師匠さんフェントンが、オールド・ラング・サインを教えないわけはないでしょう。子供の頃、城山最後の日、海軍軍楽隊の演奏するオールド・ラング・サインを聞き、耳底に残した瀬戸口が、後年、「告別行進曲」として編曲した、という推測は、成り立つように思うのです。

 あと、村田新八さんがアコーディオンで弾いていた「ラ・マルセイエーズ」ですけどね、ここで桐野が前田正名を思い出し「あいつは、パリで元気にしちょっかい」とかつぶやくと、個人的にはとっても満足だったんですが。

 最後に、テーマソング、平原綾香の「ソルヴェイグの歌」です。

my Classics2
平原綾香
ドリーミュージック


 ラストに桐野の死体にすがりついた愛人・村田さとさんの思いにかぶせているんでしょうけれど、もともと「ソルヴェイグの歌」は、奔放な男の帰りを故郷でじっと待つ妻の歌でして、意を決して男を追いかける愛人の歌じゃないですわ。

 桐野の死を……、そして西南戦争の終結とともに消えていった薩摩隼人たちを悼むにふさわしい歌といえば、これはもう絶対、The Last Rose of Summer、「庭の千草」です。

 The Last Rose of Summer in Kerkrade


 So soon may I follow, When friendships decay,
 And from Love's shining circle The gems drop away!
 When true hearts lie withered, And fond ones are flown,
 Oh! who would inhabit This bleak world alone?

 アイルランド出身のウィリアム・ウィリスはきっと、逝ってしまった懐かしい薩人たちを思い出して、この歌をうたったんじゃないでしょうか。
 アーネスト・サトウが、ぽんとその肩に手を置いて、なぐさめたんですのよ、きっと。
 ぜひ、平原綾香さんに、うたっていただきたかった!

 
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コメント (13)    この記事についてブログを書く
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13 コメント

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女性の視線で (郎女)
2016-02-17 08:18:35
映画を作るとか、最初にたしか、そういったことを言っていて、かすかに、いやな予感はありました。「女の視線」とか言い立てて、いいものができたためしがないんですよね。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-02-16 00:07:08
最後の創作で台なしかと
返信する
ようこそ (郎女)
2014-03-22 22:07:47
おこしくださいました。

映画については、榎木氏をはじめ制作された関係者の方々が、情熱を傾けておられたことは、疑っておりません。ただ、ですね。情熱が強かったからといって、かならずしもそれが、作品としての映画の出来につながるものではないんですね。
たまたま、思い出して読んでいたのですが。

http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/d8e752be3cb43612580648b1c06021df

ここに小説について書いておりますが、「作者は読者を説得しなければならない」という野口武彦氏の言葉は、映画についても言えることでして、私はこの映画に説得されませんでした。
理屈ではなく、まったくリアリティを感じることができなかったんです。

自衛隊がどうの、という点ですが、西郷隆盛がモデルだったといわれる「ラスト・サムライ」において、当初、エキストラに日本人は使わない方針で、韓国人を募集しようとしていたそうなんです。なぜかといえば、韓国には徴兵制があって、若い男性は一度は軍隊を経験していますから、動作がそれらしく見えるけれども、日本人は相当に訓練しなければだめだから、ということだったのですが、結局、日本人を訓練する道を選んだそうです。
もっと徹底していたのが黒澤明で、実は当初「トラトラトラ」の日本側監督を引き受けていたのですが、途中降板しました。

http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/9e31deefb191b740fb7f9ce59f5cb1a1

「トラトラトラ」の制作は古いですし、「男たちの大和」にくらべますと、はるかにエキストラも軍人らしく私には感じられたのですが、戦前を知る黒澤明にとりましては、エキストラの動作がまったく軍人らしく見えず、1ヶ月だか2ヶ月だか、ひたすら行進させているうちに、降板することになったと伝わっています。

薩摩へは、幾度か行っていますし、今年も、できるならば行きたいな、と計画しております。
ただ、ですね。現在、母がもう旅行したがらなくなっていまして、置いていくとなりますと、妹が休みの時に頼んでいくとか、いろいろと配慮する必要がありまして、むつかしいのですが、ぜひ、お会いしてみたいものです。

昔、最初に桐野利秋に関心をもちはじめたころ、うちからさほど遠くないところに、西郷隆盛に関する書籍の収集家の方がおられまして、戦前、鹿児島高等農林学校に行かれて、西郷さんのファンになられ、一生かけて書籍や錦絵を集められたそうだったんです。その方がおっしゃるには、汽車に乗って、初めて鹿児島に近づいたとき、汽車の中の会話がさっぱりわからなくって、「朝鮮人が集団で乗っているのだろうか」と首をかしげていましたら、それが薩摩弁だったそうです。
しかし、その方は結局、大方の薩摩の方よりも、西郷さんへの尊崇の念が強くておられたと思いますよ。生きておられたら、どう映画を見られたでしょうか。お聞きしてみたい気がいたします。
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とても良かった (薩摩兵児)
2014-03-22 17:41:24
まったく、私と意見が違いますね。半次郎の映画には、今までの映画やドラマにない、薩摩らしさが初めて表現されており、榎木さんやスタッフやエキストラに感謝するのみです。特に薩軍の切り込みには、よく実像を描いており、素晴らしい。剣を高くあげ、全員できぇー。ちなみに弥一郎戦死の場面やその他でもエキストラは自衛官が大勢参加していました。戦場での掛け声やその他、本職ならではのシーンが一杯。薩摩琵琶も本物、野太刀も本物、鹿児島弁も本物、役者もエキストラも関係者も本物だらけ。少ない予算と手弁当で、これだけの映画は最高でした。何より墓に眠っている西郷さん以下が喜んで感謝していると思います。薩摩の提灯がよく現れてました。肥後の鍬形や、引き倒しや、議論倒れは辞めましょう。薩摩を知らなければ、この映画の表現したかった一番の目的は解りません。是非、薩摩に来て、関係者に接してみてください。
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映画を見て帰りまして (郎女)
2010-10-22 19:38:56
さっそく「西郷隆盛惜別譜」を買い、読んだんです。
西南戦争で海軍軍楽隊が惜別演奏をしたこと自体は、以前に君が代を調べていましたとき、楽水社の「海軍軍楽隊」だったと思うんですが、軍楽史の本を読んで、知っていたんです。しかしさっぱり、演目に関心はもっていませんでした。だって、書いてないですから。
それとは別に、「長州ファイブ」を見た後に、オールド・ラング・サインに興味を持ちまして、CD「蛍の光のすべて」を買ったんです。
で、韓国の愛国歌とか、中国の惜春帰とか、オールド・ラング・サインの歌詞とまったく関係のない歌詞がついていますぶんには、賛美歌からかな、と思わないでもなかったんですが、元の歌詞が再会の歌で、「螢の光」は別れの歌、ということが気に掛かりまして、これが賛美歌から入った、というのは、ちょっと疑問だったんです。
で、もしかして、海軍軍楽隊のロングサイン演奏の方が先なのではないのかと。元はバグパイプの曲みたいですが、イギリスのマーチに、「スコットランドの勇士」があるようで、これがいつから演奏されだしたのかわからないのですが、現在の編曲ではなくとも、以前から演奏されていたと考えてもよさげな気がしまして。
しかし、なぜ再会の歌が別れの歌になったのかは、それにいたしましてもさっぱりわからないでいましたところが、今回、映画を見て、はっと思いついたんですの。

「西郷隆盛惜別譜」では、結局、「栄誉の曲」ということでヘンデルえはないかと推測してますが、明治21年に「凱旋」という歌詞がついた曲が、惜別にふさわしいとは、とても私には思えないんです。葬送行進曲についても、あんまりたいした根拠のある話では、ないですよね。
明治14年に「螢の光」の歌詞がついたわけですから、それ以前に、オールド・ラング・サインが惜別の歌になる機会が、あったと考えてもよさげな気がするんですの。

ぜひ、こんど谷村氏にお目にかかってみたいです。

onaraonara@goo.jp

上にメールをいただけましたら、携帯の番号とメールをお知らせします。携帯メールならば、ブログを書いていないときでも見ますので。
返信する
この本は読みましたか? (lzfelt)
2010-10-21 22:42:32
横田庄一郎 著「西郷隆盛惜別譜」朔北社です。
http://amzn.to/9z0ptr
横田氏は
・演奏されたのは複数あるのではないか?
・「勇者は帰りぬ」とショパンの葬送行進曲ではないか?
と、海軍儀制曲制定の過程から推理しております。
あと、谷村氏は日本スーザ協会の会長をしていまして、11月は総会があります。
「オールド・ラング・サイン」のこと聞いてみますが、あまり期待はしないでください。(^^;)
スーザ協会の総会は年に一度、例会が年に二度ありますので、ご都合が合いましたら、どうぞ。
NHKの「坂の上の雲」の軍楽演奏考察で番組制作会社に間違いを指摘したのに「お金がかかる」とか「これで許可を取ったので変更が出来ない」とか言われて、モチベーションを低下させたと言ってました。
返信する
lzfeltさん (郎女)
2010-10-21 12:22:04
お久しぶりです!

わああああっ。お目に掛かりたいです! でも、無理なんです。老年の母がいますので、早くから計画して準備をしなければ、家をあけることができません。

とりあえず、ご紹介のご著書は読んでみます。お願いです! 海軍軍楽隊がロングサインを演奏するようになったのはいつからなのか、なにを見ればいいのか、聞いてみていただくわけにはまいりませんでしょうか。
大和田建樹の「別れ」(今日は手を取り語れども 明日は雲井のよその空 行くもとまるも国のため 勇み進みて行けよ君 )の歌詞がいつついたのかもわかりませんし、君が代と同じく、オールド・ラング・サインの歴史も謎だらけです。
返信する
東京に来られますか? (lzfelt)
2010-10-21 09:46:23
郎女さん、11月7日(日)って東京・新宿には来られませんか?
おそらく日本の軍楽史に一番詳しいだろう谷村政次郎氏を紹介できますけど…ただ谷村氏にも解らないことはたくさんあります。(^^;)
著書は
http://amzn.to/d9Sisu

http://amzn.to/dznDuF
があります。
いかがでしょう?
返信する
肝心なことを (郎女)
2010-10-15 00:23:24
忘れていました!
最後に、海を見ながら、Daniel Cartierみたいに "Auld Lang Syne"を歌って、桐野と弥一ちゃんを悼むのは、中井なんです。
中井なら一応、スコットランド語もOKなはずですし。
返信する
「狼よ落日を斬れ」 (郎女)
2010-10-15 00:09:22
は、ほとんど見ていないんですのよ。昔、友人がビデオを送ってくれたのですが、画質が悪かったこともあり、緒形拳の半次郎を一目見ましたとたんに、「わああああああっ! 気持ち悪い」と、見るのをやめました。
あそこまでじゃないですが、榎木さんの半次郎は、再び見る気にはなれないです。
「長州ファイブ」が秀作だただけに、ちょっと期待しすぎたみたいです。
私、作品がよければ、脇役でもいいんですのよ(笑) 

でも、ごいいしょに見れまして、楽しゅうございました。一人で見ていたら、ただただ顔をひきつらせて固まっていましたでしょう。

 いいことも、ありました。海軍軍楽隊の惜別演奏に俄然興味がわきまして、唱歌螢の光と、海軍兵学校の卒業時にロングサインが使われたのとどちらが早かったのか、以前から気になっていたのですが、もしかして、この惜別演奏で、日本では別れの歌になった可能性がありなのでは??? なぞと妄想しつつ、Daniel Cartierの "Auld Lang Syne"を聞き、しんみりと桐野の最後に思いをはせております。

 ウィリスとサトウを登場させて欲しかった!
 大山綱良や自分の教え子たちの死を嘆くウィリスを、サトウが沈黙のうちに慰めるんですのよ。
 あー、正名くんも出して欲しかった!
 "Auld Lang Syne"選曲がらみで、当時、練習艦筑波艦長だった松村淳蔵が出てきてもよさげで。
 これだけ、私の妄想を刺激してくれたんですから、映画の出来が悪かったことに感謝すべきなのかもしれません(笑)
 出来がいいと、自分の妄想はどっかへ吹っ飛んでいくんです。
返信する
やはり書かれましたね。 (中村太郎)
2010-10-14 19:39:57
映画はひどかったですが、良い方に考えることにして、割り切りました。
なんたって、桐野が本格的に出た作品「狼よ落日を斬れ」を思えば、はるかに良いですから。(笑)
しかも主人公になったんですしね。
DVDが発売されたら、買います。
榎木さんのジゲン流ばかり、見直すでしょうが。(笑)
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なにがもっともよくないのか (郎女)
2010-10-14 12:09:31
つらつら考えますに、あれって舞台の乗りなんですわね。
おそらく。
舞台とちがって、映画にはリアリティが必要で
俳優さんの演技もちがってくる、といいますのは
無声映画の時代から言われていたことですのに。
コスプレ大会みたいな官軍に、素人の西郷さん。
やっぱり、学芸会みたいな映画ですわ。

でも、十分楽しめましたし、お会いできて幸せでした。
今度はぜひ、中村さまとごいっしょに
松山へいらしてくださいませ。
その前に、鹿児島か函館か、ですかしらん(笑)
返信する
お目にかかれてよかった (Nezu)
2010-10-14 08:24:14
映画の感想…お疲れ様でした
かなり桐野LOVEの感情を抑え 
淡々と客観的に書かねばという努力
ご苦労が垣間見れて。。。

最後は リアリティとは程遠かった~ですね。
見せる為のドラマだからと。。。

思わず笑ってしまう場面が無かったのが残念でした。
それでも榎木孝明氏は「桐野利秋」にスポットをあててくれたから
郎女様とご一緒できたと考えれば◎ですわ。

まだまだぶちぶち…お付き合いくださりありがとうございます。
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