2004年五月の旅でした。
函館、一本木にある土方歳三終焉の地の碑です。
最期の地がどこであったかについては、他に異国橋などがあげられていましたが、現在では、一本木説が有力なようです。
先に、お参りしている方がいました。時間をかけて、寄せ書きノートを読んでおられたのですけど、軽装で、市民の方のようでした。
五稜郭の大砲。土方の遺体が葬られた地として、この五稜郭がもっとも有力なのですが、すでにその場所は、まったくわからなくなっています。現代の五月の五稜郭は、藤の花に彩られ、あくまでも明るく、きれいな公園でした。
碧血碑です。函館山の山麓にあります。
「義に殉じたる武人の血は、三年たつと碧(みどり)に変わる」という中国の故事から名づけられました。
すぐ近くまでタクシーで行ったのですが、舗装道からしばらく、細いハイキング道を歩きました。熊笹や大きな蕗など、植物が本土とはちょっとちがう感じでした。
函館戦争の後、旧幕府軍の遺体は、打ち捨てられてました。
それを、市内の寺に埋葬したのは、新門辰五郎の子分だった柳川熊吉で、そのために彼は、新政府
軍に捕まって処刑されそうになった、といわれます。
各所に仮埋葬されていた遺体は、明治4年、この碧血碑の建つ場所にまとめて埋葬されたと伝えられ、ここに土方歳三も眠っている、という説もありました。
碧血碑は、大鳥圭介が中心となって建てたものです。
函館港です。遊覧船から望んだ赤レンガ倉庫街。
称名寺の土方歳三供養碑です。
称名寺は、函館戦争終結直後、旧幕府軍降伏者の収容所であり、新撰組も当初、ここに収容されていました。また遺体が仮埋葬された所でもあったのですが、明治12年の火事で焼けていて、なにもわからなくなっていたのです。函館は、火事の多い町でした。
土方歳三の故郷、日野のお寺の過去帳に、鴻池の手代が、この称名寺に歳三の墓を建立したことが見え、このことを司馬遼太郎が『燃えよ剣』で取り上げました。それで有名になり、昭和47年に、あらためてこの碑が建立されたのだそうです。
君が夢ただよいてあり皐月浪(さつきなみ) 郎女
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土方歳三 最期の一日
函館戦争のフランス人vol1
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最期の地がどこであったかについては、他に異国橋などがあげられていましたが、現在では、一本木説が有力なようです。
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碧血碑です。函館山の山麓にあります。
「義に殉じたる武人の血は、三年たつと碧(みどり)に変わる」という中国の故事から名づけられました。
すぐ近くまでタクシーで行ったのですが、舗装道からしばらく、細いハイキング道を歩きました。熊笹や大きな蕗など、植物が本土とはちょっとちがう感じでした。
函館戦争の後、旧幕府軍の遺体は、打ち捨てられてました。
それを、市内の寺に埋葬したのは、新門辰五郎の子分だった柳川熊吉で、そのために彼は、新政府
軍に捕まって処刑されそうになった、といわれます。
各所に仮埋葬されていた遺体は、明治4年、この碧血碑の建つ場所にまとめて埋葬されたと伝えられ、ここに土方歳三も眠っている、という説もありました。
碧血碑は、大鳥圭介が中心となって建てたものです。
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称名寺の土方歳三供養碑です。
称名寺は、函館戦争終結直後、旧幕府軍降伏者の収容所であり、新撰組も当初、ここに収容されていました。また遺体が仮埋葬された所でもあったのですが、明治12年の火事で焼けていて、なにもわからなくなっていたのです。函館は、火事の多い町でした。
土方歳三の故郷、日野のお寺の過去帳に、鴻池の手代が、この称名寺に歳三の墓を建立したことが見え、このことを司馬遼太郎が『燃えよ剣』で取り上げました。それで有名になり、昭和47年に、あらためてこの碑が建立されたのだそうです。
君が夢ただよいてあり皐月浪(さつきなみ) 郎女
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土方歳三/新選組 |
函館は、ほんとうにいいところで、できれば五稜郭祭のときに行きたかったのですが、思うにまかせませんで。
また書籍などご紹介くださいませ。よせていただきます。
箱館には今年訪れる計画を立てています。
…暖かくなってからですが(苦笑)。
江差へ出かけられたとはおうらやましい。
私の旅は、「二本松少年隊と碧血碑 」に載せておりますように、母を連れていったもので、それはもう……、思うにまかせませず、五稜郭タワーに登ったら、「疲れたからもう中はいい」と母が申しますので、ここまで来てそんなあ! と、母をタクシーに待たせまして、五稜郭内を十分ほどで駆けめぐり、なごり惜しく立ち去ったような次第でございました。
おかーさん、「滅びの美学」が見たかったんじゃないのおー、と、ぼやきつつ。
ステキな五稜郭の写真、堪能させていただきました。
ラッコの皮でも着なくては。
はじめまして。TBありがとうございました。
先日函館に行き、五稜郭を歩くことができましたが、感慨深いものがありましたよ。
またこの旅では次の日に江差に復元された開陽丸を訪ねました。
テーマのある旅は面白いですね。
歳サンッ!!!
五稜郭行きたいッスよーー☆☆☆