郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

珍大河『花燃ゆ38』と史実◆高杉晋作と奇兵隊幻想

2015年09月30日 | 大河「花燃ゆ」と史実

 珍大河『花燃ゆ37』と史実◆高杉晋作と海国長州の続きです。

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 えー、今回は諸隊の脱退騒動です。
 それで一回まるまる使うとは、正直思いませんでしたわ。
 理由は、おそらく、なんですが、史実として、藩政府側、諸隊側の間に入って、楫取素彦が奔走し、双方から信頼できる人物とされていた証拠があるから、なんじゃないんでしょうか。

松下村塾の明治維新―近代日本を支えた人びと
海原 徹
ミネルヴァ書房


海原徹氏の「松下村塾の明治維新」によりますと、楫取は鳥羽伏見の戦いにおいて、遊撃隊副総督となって上洛参戦していまして、実は、諸隊の脱退騒動のきっかけをつくりましたのは、遊撃隊士の上層部批判の上書なんですね。楫取はこのときもうとっくに遊撃隊からは離れていて、利害関係はありませんで、藩政府の中枢にいました。しかも、脱退兵側の嘆願や上書の多くは富永有隣の手になると言われているんですね。

 いうまでもなく富永は、松陰が野山獄で知り合いました書の達人にして偏屈、容貌魁偉な囚人でして、松陰の運動で釈放され、松下村塾の教師を務めましたが、松陰の再度の入獄で、村塾を離れます。その後、私塾を開いたり、諸隊に属したりしていましたが、相当に年齢がいっていましたので、戦いに参加することはなかったようです。
 この人の運命は数奇で、脱退騒動の主導者とされてしまい、一度は藩政府に捕まるのですが、脱走します。まあ、だれか村塾関係者が逃がしたんでしょうね。あるいは、楫取かもしれません(笑)

 富永じいさん、四国へ逃げ、土佐でかくまわれて8年間をすごし、ついに捕まって終身刑になりますが、5年後に特赦で出獄。えー、これもだれか、村塾関係者がはかったことのようです。
 国木田独歩の富岡先生(青空文庫)は、晩年の富永有隣がモデルといわれ、いい作品ですので、ぜひ、ご覧になってみてください。

 このドラマ、前半で富永を出しながら、なんでここで出さないのでしょうか?
 代わりに出してきたものが、椿やら水仙やらの意味不明などアップです。血糊のついた水仙の花のどアップなんぞ、出来の悪い怪奇ものかという気持ち悪さで、やめていただきたいところでした。

 もう一つ、美和さまの弟の敏三郎くんは、このドラマでは奇兵隊に入っていたのではなかったですか? 確か。けっこう大事件みたいに、史実にはない奇兵隊入隊を見せておいて、今回まったく出てこないって、なんなんでしょうか???
 代わりに出てきますのが、なぜか御殿の菜園で食べ物をあさる、お腹を空かせた脱退反乱側の若者兵士です。
 脱退兵が御殿の奥、興丸さまの寝所のそばまで入り込むとは、警備はどーなっているのだろうか、とか、当然な疑問をはさむまもなく、美和さまは兵士に、得意のおにぎりをふるまい、話を聞いてやります。
 だ・か・ら、それより実弟の心配をしてやれよ!とつっこむのもむなしく、おにぎりにかぶりつきます若者の言葉に、呆然となります。
 若者は、兄と共に奇兵隊に入った農民で、兄は侍になりたかったんだそーなのですが、なる暇もなく、戦死しちゃったんだそーなのです。で、若者は。

 「おれは異国にいってみたいんじゃ。アメリカちゅう国じゃ。そこは家柄や身分で一生が決まらんと仲間から聞いた。夢のような国じゃ」 
 あきれてものが言えません。これがウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの今に至る成果じゃなくて、なんだというのでしょうか!
 唖然呆然長州ありえへん珍大河『花燃ゆ』で書いておりますが、このドラマに最初に龍馬が登場しましたときと同じで、龍馬よりはだいぶん若いですが平和ボケ勘違い平成ニートそのもので、髪を金髪に染めて、民青か革マルか中核派にでも入って、国会議事堂の前で太鼓叩いて、「九条を守らなければあ、戦争になるう~♪」とか叫んでいる人たちに、妄想しか語れないところがそっくりです。

 だいたい、奇兵隊は、攘夷のために生まれた有志隊です。
 で、当時、メリケン(アメリカ)が、リアルでどういう国だと見られていたのか。
 寺田屋事件と桐野利秋 前編で引いていますが、もう一度、中岡慎太郎の言葉を引用します。

 「それ攘夷というは皇国の私語にあらず。そのやむを得ざるにいたっては、宇内各国、みなこれを行ふものなり。メリケン(アメリカ)はかつて英の属国なり。ときにイギリス王、利をむさぼること日々に多く、米民ますます苦む。よってワシントンなる者、民の疾苦を訴へ、税利を減ぜん等の類、十数箇条を乞う。英王、許さず。ここにおいてワシントン、米地十三邦の民をひきい、英人を拒絶し、鎖港攘夷を行う。これより英米、連戦7年、英遂に勝たざるを知り、和を乞い、メリケンここにおいて英属を免れ独立し、十三地同盟して合衆国と号し、一強国となる。実に今を去ること80年前なり」


 要するに、です。攘夷とは、確固たる独立国として、欧米列強と対峙するための戦いであり、アメリカは、イギリスと戦って独立を勝ち取った攘夷のお手本国なんです。
 当時のアメリカは、南北戦争によってようやく奴隷制度を廃止したばかりでしたが、黒人差別がなくなったわけでは、まったくもってありませんし、西部開拓にともなって、インディアンの虐殺が頻発していました時期です。
 黒人であったり、ネイティブであったりした場合、それによってほぼ、一生が決まってしまっていました。
 攘夷のためにできました奇兵隊の一員が、「アメリカは家柄や身分で一生が決まらん夢のような国」なんぞといいますありえへん馬鹿みたいな妄想を抱くはずがないですし、実際にアメリカがどういう国と伝え聞いていたかと言えば、「国民が命をかけて攘夷戦を戦い、イギリスから独立をもぎとった国」です。

 で、中岡慎太郎は、こうも述べています。
 第一その卓識なる者を久坂玄瑞という。この人、吉田寅二郎の門弟にして英学も少々仕り、事情も大いに知れり。この人常に論じていわく、西洋諸国といえども魯(ロシア)王のペートル、メリケンのワシントン師のごとき、国を興す者の事業を見るに、ぜひとも百戦中より英傑起り、議論に定りたるものに非ざれば役に立たざるもの也。ぜひとも早くいったん戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業はいつまでも運び申さずという。実に名論とあい考え申し候。 

 要するに、ですね。
「久坂玄瑞は、吉田松陰の門弟で、英学も学び、外国事情もよく知っているすぐれた識者だ。西洋諸国はどこも、例えばロシアのピョートル大帝、アメリカのワシントンなど、戦を重ねる中から英雄が立ち上がって、国家を成り立たせたのだから、まずは戦わなくては何事もはじまらないと、常々久坂は言っていて、実に名論だ」と中岡は言い、「戦わずして富国強兵はできない」と結論づけているんですね。

 中岡慎太郎の攘夷論は非常にわかりやすく、かつ、普遍性をもったものでして、手に入れやすいところで、平尾道雄氏の「陸援隊始末記―中岡慎太郎」に主なものは原文を載せてくれておりますので、ぜひ、ご一読ください。

陸援隊始末記―中岡慎太郎 (中公文庫)
平尾 道雄
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 それにしても、ですね。
 諸隊の反乱の中心には、遊撃隊がいました。
 だのになぜ、これまで、奇兵隊ばかりが取り上げられてきたのでしょうか。

 創始者が高杉晋作で、明治陸軍におきまして位人臣を極めた山縣有朋の出世のステップボードとなったからじゃないんでしょうか。
 これも、唖然呆然長州ありえへん珍大河『花燃ゆ』で書いたんですが、奇兵隊はなにも、高杉晋作一人の力でできたものではありませんで、久坂玄瑞が中山忠光卿を頂き、率いていました光明寺党が奇兵隊の核となりましたことは、長州幕末史の基本的文献「防長回天史」に、ちゃんと書いてあるんです。

 で、遊撃隊なのですが、奇兵隊結成に遅れること一年あまり。
 珍大河『花燃ゆ』と史実◆27回「妻のたたかい」でも書いたのですが、8.18政変で落ちてきました七卿周辺の御親兵や、天誅組の残党など、土佐や久留米、水戸などの他藩人が多く参加し、来島又兵衛が中心となってまとまりました有志隊です。禁門の変では、長州軍の主力となって孤軍奮闘し、高杉の挙兵にも最初から参加し、幕長戦争では芸州口の激戦で主力となり、鳥羽伏見でも奮闘。その活躍は、奇兵隊を上回ったにもかかわらず、奇兵隊ほど名が知られませんでしたのは、やはり、他藩人が多かったためなのでしょうか。
 しかし、長州の軍ではなく、日本の国民軍、ということを考えれば、奇兵隊よりは、出身藩をといませんでした遊撃隊の方が、その原型だったというにふさわしいでしょう。

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 青山忠正氏の「高杉晋作と奇兵隊」は、高杉晋作の伝記でして、奇兵隊につきましては、ほとんどなにも書かれていないのですが、田中彰氏の「高杉晋作と奇兵隊」は、逆に高杉に関します伝記的記述はほとんどなく、奇兵隊についての考察書です。田中彰氏は、巻末に、奇兵隊に関します文献を解説つきで挙げてくださっていまして、非常に助かります。
 私、若かりしころからなんとなく、「長州奇兵隊は、近代日本の徴兵制度の先駆であり、国民皆兵の原型となった」というような言説を聞かされ続け、疑問符でいっぱいになっておりました。
 奇兵隊は有志隊で、どうみましても、イギリスVSフランス 薩長兵制論争3に書いておりますイギリスの義勇軍(ミリシア)に近く、一方、明治陸軍の徴兵制は、フランスの大陸陸軍にならったもので、似てもにつきません。

 いったい、だれがこんなでたらめな話を広めたのだろうか、おそらくきっと、奇兵隊を踏み台に日本陸軍の妖怪に成り上がりました山縣有朋にちがいない、なんぞと憶測していたのですが、それが、どうもちがうようなのです。
 なんともはや、どびっくり、です。どうも、ハーバート・ノーマンが戦前に著した「旧時代の日本における兵士と農民」、のようなんですね。
 ハーバート・ノーマンは、カナダ人宣教師の息子で、軽井沢生まれ。長じて社会主義に共鳴し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに学んだことで、共産主義者となります。
 リーズデイル卿とジャパニズム vol2 イートン校に出てまいりますが、「アナザ・カントリー」の主人公のモデルでソ連のスパイだった、ガイ・バージェスと同世代で、どうも集団でソ連にリクルートされたケンブリッジの外交官の卵集団の一人、だったようなんですね。
 近年、イギリスの機密文書が公開され、戦前からすでに、イギリスの情報局保安部は、ノーマンが共産主義者であると認定していたことがわかりました。
 ケンブリッジのスパイグループ事件につきましては、下のBBCのドキュメンタリーがわかりやすくまとめてくれています。

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 ノーマンは、ケンブリッジ在学中に共産主義者となりました後、ハーバード大学で日本史を研究し、カナダ外務省に勤務し、東京へ赴任。都留重人と親しく、マルクス主義歴史学の羽仁五郎に師事した、といいますから、相当に偏った歴史観を身につけたようです。
 それにいたしましても、ノーマンの「旧時代の日本における兵士と農民」は、私が長年、ありえない!と感じ続けてきました、日本の戦後の長州偏重農民革命史観そのものでして、ほんとうにびっくり、です。
 そしてなんと、第二次大戦後、ノーマンはGHQに出向しまして、日本の占領政策にかかわり、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの一翼を担っていました。

 あきれましたことに、ノーマンは「旧時代の日本における兵士と農民」におきまして、日本陸軍の妖怪、軍国主義の親玉・山縣有朋を絶賛する気にはどうしてもなれなかったようでして、高杉晋作を褒めちぎり、次いで、山縣の代わりに大村益次郎を絶賛し、奇兵隊が攘夷のための軍隊であったことには、まったく触れていないんです。
 いや、以前から思っていたのですが、確かに大村益次郎は有能な人でしたけれども、長州軍の洋式化は、なにもかも大村一人でやったわけではないですし、攘夷感情を抜きにしまして、有志隊結成はありえなかったでしょう。
 
 スイーツ大河『花燃ゆ』と西本願寺に書いたのですが、薩摩を除きます大方の藩で、幕末当時、武士は地方公務員でしかなく、まともな軍隊は成り立ちようもなかったんです。長州におきましては、村田清風が浄土真宗のネットワークを、国防意識を庶民にまで持たせることに活用しようと思いつき、それに成功しましたことなども、奇兵隊成立の素地としてあるわけでして、いま現在、ノーマンの書は、マルクス主義者の妄想としか、私には受け取れません。

 しかし、考えてみましたら、日本共産党の大物リーダーでした、宮本顕治も野坂参三も山口県の生まれですし、功山寺の高杉晋作の騎馬像には、岸信介の賛辞が添えられていますが、同時に、左巻き傾向の菅直人がこれまたやたらに、高杉晋作と奇兵隊を賛美していましたねえ。
 
 現在、学術書レベルで言いますならば、もちろんハーバート・ノーマンは問題になりませんけれども、俗書で言いますならばなお、幕末維新史の概略が、ノーマンのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの呪いを脱しているとは、言いがたいのではないでしょうか。

 私、こんな占領政策時のマルクスの亡霊に今までさんざん悩まされていたのかと、今回初めて知りました衝撃で、もう少し、攘夷とウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの話を続けます。
 なお、ハーバート・ノーマンは、ソ連のスパイ容疑をかけられ、1957年(昭和32年)に自殺しました。

 関係ないですが、新しく始まりました朝ドラ、けっこうおもしろく、先々五代友厚が出てくるそうですから、楽しみにしているところです。
 珍大河とは、えらいちがいですねえ。

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6 コメント

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戦後日本史学者たちの罪 (自然葉)
2015-10-01 21:54:33
いつも愛読しています。
日本史が好きで、今は貴ブログとNHK大河ドラマの影響で、幕末日本史の本を読んでいます。ノーマンもそうですが、講座派系の学者は「アカデミズムの学問」を装って日本国民にひどい害毒を流しましたよね。
高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』という大部の著作を読みましたが、その本のテーマや結論は徳富蘇峰著平泉澄監修『要約近世日本國民史』第6巻のほうに、とっくの昔にもっと詳しく書いてあります。たぶん徳富國民史は末松謙澄『防長回天史』『修訂防長回天史』を基に書かれたからであろうと思われますが、マルクス主義史学派の日本史学者らは徳富の本を無視(そのために未読)したのだろうと思います。
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Unknown (-d-)
2015-10-02 00:49:02
郎女様のお話は本当に面白いですね。
私は大奥編あたりで大河リタイアですが、こちらは読ませて頂いてます。
WGIP 浄土真宗 がここで語られるのはとても興味深い。楽しみにしております。

現代の平和ボケは洗脳効果で70年でも侮れませんが、江戸期は250年もの交易制限で やはり国防意識はおそろしく広く深く眠っていたでしょう。
幕末から明治の革新で「もう充分だ」と言うまで内戦で急激に覚醒させ鍛え上げる意義があったのかもしれません。(天才秀才が暗殺されすぎは残念でした)

朝ドラ―元治元年あたりの京都でも
商家の娘からみたらこんな風か?と思って観てます。
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自然葉さま (郎女)
2015-10-03 04:01:01
私が徳富蘇峰を知りましたのは、坂本多加雄氏のエッセイによって、でした。敗戦直後に昂然と「アメリカは結局、日本と手をたずさえることになるだろう」と予言していたと書かれていて、近世日本国民史も知り、よく利用するようになりました。史料がそのまま載っていますし。しかし、要約の方は読んだことがありませんので、今度、見てみます。

 歴史とは、物語であるしかないことはわかるのですが、マルクス主義者のひどいところは、史料があって、そこから物語をひろい出すのではなく、史料に関係なく、あらかじめ物語を組み立て、史料との矛盾は無視して恬然としているところだと思うんです。

 なんでいまなお、ノーマンのでたらめを賞賛する人々がいるのか、あらためてショックを受けております。
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-d-さま (郎女)
2015-10-03 04:24:52
「フランス艦長の見た境事件」は、堺事件の当事者のフランス艦長の手記なのですが、艦長は戊辰戦争の最中に南部藩の奉行にあって、「われわれは日本のためにこの内戦を憂えている」と言いましたら、奉行は「この戦争は、日本人の虚弱になった勇気を再び取り戻させ、他国(ロシア)の侵入に抵抗することができるようになるために必要なもの」と言ったのだそうです。
 私も、それによって消えていかざるをえなかった古きよき日本を惜しみながら、しかし、必要なことであったのだと、思います。西洋近代化の受け入れとは、戦争ができる国になることであり、そのことなくして、押し寄せてきました西洋近代との対峙は、不可能だっただろう、と思うからです。

 今回の朝ドラは、「定められていた婚約者が実はいい人だった」といいます、篤姫と同じ手をつかって、上手く作っていると思います。ドラマ部分がおもしろいので、史実との乖離のあらが気にならないんです。

 せっかくのひさしぶりの幕末長州ものが、ここまでの駄作になってしまいましたのは、ほんとうに残念です。
返信する
肝付家系図 (中村太郎)
2015-10-03 23:43:05
鹿児島県史料のコピーが出てきました。
小松帯刀の兄、相良氏について。
帯刀のすぐ上の兄様が婿養子で相良氏に入っています。
当該ページをメールに添付します。
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拝読いたしました。 (郎女)
2015-10-06 11:48:53
ありがとうございました。
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