郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

宝塚キキ沼に落ちて vol2

2020年10月08日 | 宝塚
「宝塚キキ沼に落ちて vol1」の続きです。

すでに、宝塚を卒業なさっておられますが、明日海りおさんという男役トップスターは、歴代でももっとも切符が売れたスターだったといわれます。
過去のスターと比べることは、そのときの体制のちがいなど、いろいろあって難しいと思うのですが、私自身、明日海さんの引退公演では、宝塚ホテル宿泊とセットで二人10万円かかりますSS席の予約において、サーバーが落ちてどうにもならなかった、という経験をしまして、人気のほどを思い知りました。

「桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 前編」において、私は以下のように書きました。

一昨年、宝塚は百周年を迎え、テレビ露出や地方公演が増えて、どうやらそんなきっかけから、私の友人もファンになったようなんですね。
 このときトップ・オブ・トップといわれ、歴代でも有数の人気を誇っていたのが、星組男役トップの柚希礼音さん。私の知り合い、友人も、軒並みこの方のファンだったみたいです。
 

 2014年、宝塚は百周年を迎え、この年、明日海さんは花組トップとなり、翌2015年、星組トップだった柚希礼音さんが卒業なさいます。
 つまり、百周年を境に、柚希さんから明日海さんへ、トップの中のトップ、という立場がバトンタッチされたわけですが、このお二人、相当にタイプがちがいます。
 柚希さんはダンスが、明日海さんはお芝居が、とびぬけてすばらしかったといわれます。もちろん、お二人とも歌唱力もすぐれ、明日海さんのダンス、柚希さんのお芝居も、魅力いっぱい。
 なにより二人がちがったのは、スターオーラのタイプでしょう。
 柚希さんは青池保子さん描く「エルアルコン 鷹」、明日海さんは萩尾望都さん描く「ポーの一族」の世界から、まさに抜け出してきたような雰囲気でした。
 
 簡単に言ってしまえば、柚希さんは線が太く、力強く、包容力に満ちて、従来の宝塚の男役像を、よりパワフルに、現代的にした感じ、だったのではないでしょうか。
 私は柚希さんの現役時代を知らず、断片的に映像を見ただけなのですが、それでも、生きることに、そして愛に、熱情をそそぐ男性を目前にしたような、臨場感を味わいました。
 そして、どこが現代的だったかといいますと、トップ娘役・夢咲ねねさんとのからみが、なんとも官能的、いまふうにいいますと、エロかったことが一番、だったと思います。

 一方の明日海さんは、といえば、従来の宝塚男役像からは、大きくはずれていたのではないでしょうか。
 宝塚には以前から、フェアリータイプ、といわれる男役さんがいて、涼風真世さんがその代表だそうですが、それともまた、ちょっとちがっていたように感じます。
 明日海さんの舞台姿は、何をやっても(コメディの場合はちがいますが)、夢幻のように美しいのですが、オーラが青い氷の炎で、本質は苛烈なんです。
 その「人ではない」感といいますのは、俗に言うファンタジーの妖精ではなく、そうですね、強いて言えば「指輪物語」のエルフのような、甘美でありながら芯もあり毒もあり、だからこそ、存在そのものがせつない雰囲気を、醸し出していたのではないでしょうか。

宝塚xSMAPコラボ「闇が広がる」


 明日海さんの代表作、といいますと、まずは「エリザベート」のトートです。
 とはいえトート役は、またちがった魅力を持つトップさんが歴代にいらっしゃいましたし、私、望海風斗さんがトートをなさっていれば、明日海さんに勝るとも劣らなかったと確信しています。
 
 今年に予定されていました望海風斗さんの退団公演は、コロナ禍で延び、来年となりましたが、プレ退団コンサートは、会場を変え、なんとか今年、行う運びとなりました。
 私、手にしていた東京公演のチケットが、中止払い戻しという憂き目にあい、がっかりしていました。もちろん、コロナのせいです。
 しかし、宝塚も考えたもので、仕切り直してセッティングされましたコンサートでは、自分の家のテレビで、有料ライブ配信を見ることができるようにしたんですね。
 
 さっそく私、楽天TVで、真彩希帆さんが出演なさる回を選んで、見ました!
 そりゃあ、生のステージにはかないませんが、家で、それも回を選んで見ることができるのは、地方のファンにとってはとてもありがたいことです。
 「エリザベート」から「私が踊るとき」を二人がデュエットなさったんですが、私、こんなすばらしい「私が踊るとき」を、これまで見たことがなく、涙がにじみました。
 望海風斗さん、真彩希帆さん、お二人の「エリザベート」を見たかった!

 明日海さんのお相手のエリザベートは、蘭乃はなさんで、私は、それほど悪くない、と思っていました。
 なにより、同じ月組で育ったということがあったんじゃないでしょうか。明日海さんとの相性がいいように思えましたし、なんというんでしょうか、独特の色香があり、演技力と相まって、強い情感をかもされる方でした。退団後に東宝版のエリザベートに抜擢されましたのは、小池修一郎氏が、その色香を気に入られてのこと、と、思います。
 しかし、やはりお歌は、すばらしいというわけではなく、とはいうものの、私、エリザベート役者といわれる花總まりさん(宝塚出身)も、すばらしくお歌が上手いわけではないので、こんなものだろう、と思っていたんです。
 しかし、真彩さんのお歌を聞いて、ここまで歌えるんだ!と、目から鱗でしたし、相乗効果で、望海さんのトートは明日海さんのそれを凌駕し得たにちがいない!、と思った次第です。雪組で、ルッキーニとフランツ・ヨーゼフをだれがやるかは、ちょっと問題だったでしょうけれども。

 明日海さんしかできない役、といえば、トートよりも前、月組時代に演じておられた「春の雪」の松枝清顕です。
 明日海さんの「春の雪」!!! 絶対に見なければ!!!と、 エリザベートに続いて、DVDを買いました。
 


 「春の雪」につきましては、「『春の雪』の歴史意識」に、映画の感想を書きました。

《予告編》 春の雪


 ヒロイン聡子役だった竹内結子さん、亡くなられてしまいましたね。
 
 ヒロインはひとまず置いておいて、主人公の松枝清顕。妻夫木聡が似合っていたわけではないんです。ただ私は、だれも清顕の役はできないよね!と、思っていました。
 『春の雪』は、あくまでも『豊饒の海』の中の一巻 、だとするならば、松枝清顕とは、友人・本多繁邦(宝塚では、現月組トップの珠城りょうさんが演じていました)が見た天人であって、本質的に、「人ではない」んですね。
 だからでしょうか。過去には、テレビや舞台で、様式美を追求してきました歌舞伎役者さんが起用されたようですが、なにしろ、清顕が天人であることのなによりの証は、その人並みはずれた美貌でして、そんな美貌を、能面をつけるでなく、現代劇で表現するって、至難の業ですよねえ。
 唯一、私が、適任者では?と思い浮かべていたのは、原作者・三島由紀夫の友人だった、ごく若い頃の美輪明宏です。しかし三島が「春の雪」を書いたとき、すでに美輪明宏は、それほど若くはありませんでした。
 そして、清顕を筆頭に、輪廻転生していきます天人は、20歳で夭折することこそが、その証でもあります。

 「三島由紀夫の恋文」

 「豊饒の海」全体のおおまかな筋は、上に書きました。
  清顕の恋は、真摯な、死に至る自己完結の美学でして、自己中心的で、その美しい笑顔は、時に酷薄でさえあるんです。
  このときの明日海さんは研10だったそうですから、20歳はとうに過ぎていらしたでしょうけれども、まさにこの世のものとは思えない美貌と、突出した演技力で、ものの見事に清顕を演じきっておられました。

 ヒロインの綾倉聡子役は、咲妃みゆさん。後に雪組娘役トップとして、演技力を賞賛された方です。
 「宝塚キキ沼に堕ちて vol1」で述べましたが、私はテレビで、この方の退団公演を見ました。とても魅力的に、生き生きと、遊女を演じておられました。
 そして、この若き日の綾倉聡子役も、けっこう評判はいいようなのですが、私はどうにも、イメージがちがいました。咲妃さんのお顔立ちは福々しく、庶民的にすぎるんです。
 こればかりは、竹内結子の方がよかった、と思いました。
 
 理想を言えば、三島由紀夫が好きだった女優さん、村松英子が若ければなあ、という感じです。
 で、宝塚を見渡してみれば、雰囲気の似た方がおられました! 凪七瑠海さん(現専科)です。
 明日海さんと同期で、このころは宙組の男役さんでしたけれども、明日海さんがいた月組の「エリザベート」に、エリザベート役で特別出演なさっているんですよねえ。ちなみにそのとき、明日海さんは役代わりで、ルドルフでした。
 しかし凪七さんは、身長が明日海さんよりわずかに高いですし、「春の雪」は実験的な小作品ですから、特別出演なんて、無理な話ではあったでしょう。

 綾倉聡子は、清顕の本質を知りながら深く愛し、苦汁を呑みくだして、その美の祭壇へ、自らを捧げた聡明な女性です。
 冷え冷えとした炎を燃やす清顕に、透明なオーラを持って対峙し、やがて壮大な物語の最期をしめくくります。
 それだけに、これだけはやめて欲しかった改変は、原作では「豊饒の海」全編の最後の最後、覚りすました綾倉聡子が、老いの果てになにもかも無くして訪ねて来た本多繁邦に告げるセリフ「その松枝さんというお方はどういうお人やした?」 を、宝塚版では、まだ清顕が生きているうちに「松枝さんとはどなたですか?」 と言ってしまうところです。

 奈良の月修寺で髪をおろし、尼となった聡子は、二度と清顕とは会わない決心をしているのですが、清顕は肺病を患った瀕死の状態で、最期にひと目だけでも会いたいと、聡子のもとを訪れます。
 ついには動けなくなり、見かねた本多が、代わりに月修寺を訪れ、「なんとかひと目だけでも合わせてやっていただけないか」と門跡に頼みます。門跡は静かに断り、別室でそれを聞いていた聡子は、あえかに、あるかないかの嗚咽をもらし、それを漏れ聞いた本田は、瞬時に溶ける春の雪のようなはかなさを感じる‥‥‥‥。というのが、原作でして、舞台のように、ここでけろっと清顕を忘れてしまっていたのでは、聡子の苦悩もそれほどたいしたものではないではないか、ということとなり、「いったい、いままでの話はなんだったの?!!」と、あきれてしまいかねないんですね。少なくとも、私はしらけました。

 映画を見たときも思ったのですが、年老いた本多が月修寺を訪れる場面を、入れることはできなかったんでしょうか。
 「桜華に舞え」では、本編になんの関係もない犬養毅の回想場面が最初と最後にくっついていたりしましたが、あれはいりませんでした。
 しかし、「豊饒の海」の最期の場面は、うまく構成することができれば、長い年月を経て、月修寺の外の世界は移ろい、生涯をかけて追いかけた人の世の夢でさえも、あるいは幻だったのかもしれないと、足下がくずれるような感慨を、もたらしてくれると思うんですね。

 しかし、ともかく、明日海りおという希有な男役がいればこそ、宝塚は、「春の雪」の舞台を現出することができたわけです。

 ポーの一族まで話がいきませんでしたが、もう少し、明日海さんの魅力を、語っていきたいと思います。

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