見ました! NHKの正月時代劇。いえ、なかなかよかったです。
実は、大河の新撰組は、最初の何回か見て、見るのをやめてしまったんです。
初回が池田屋で、殺陣の下手さかげんに腹を立てまして、そこではまだ、これからうまくなるかもしれないしー、と我慢したのですが、史実無視の著しさ、なによりハリスだかが出てきた回に我慢の限界がきまして、精神衛生上よくないから見るのはよそう、と。
いえね、そりゃあドラマなんですから、史実無視もあるのはわかっているのですが、ばかばかしくなってしまうような無視の仕方、と思えてしまうと、もうダメなんです。
しかし今回、五稜郭での最後のわずか1日、ということで、凝縮していたせいか、悪くなかったですね。
土方は、和装のときよりもしっくり演じてましたし、榎本と大鳥の描き方もなかなかのもの。
榎本子爵、けっこう好きなんです。あのおっちょこちょいなところが。
そりゃあ、突っ込めば、「あー、榎本さんは海軍専門なんだから陸軍を任せるなんていわないでねえ」とか、「伝習歩兵で桶狭間はどんなもんでしょ」とか、突っ込みどころはいろいろありましたが、それすらも楽しめた、といいますか。
つーか、なんで松平太郎を出さないんでしょううか。陸軍の一番上は彼ですし。あの方は、歳さんと気があったと思いますよ。
といいますか、私は、土方を伝習隊指揮に迎えたのは、そもそも松平太郎ではなかったか、と思っています。
フランス人が出てこなかったのは、最後にいないんですから仕方がないですけどねえ。
永井尚志は、笑いました。いえ、再び、野口武彦氏が、『幕府歩兵隊』に書かれていたこの言葉を思い出しまして。
永井尚志という武士は、三島由紀夫の曾祖父にあたるので何となく言いにくいのだが、有能な外交官だったせいか責任転嫁の名人であった。
参照 彼らのいない靖国でも
ちょっとやめて欲しかったのは、料亭が鹿鳴館になっちまっていたこと、くらいでしょうか。
あのねー、明治2年なんだから、函館がいくら開港地でも、芸者さんがみんな洋装っていうのは、いかがなものかと。それにドレスのシルエットがねえ、あまりに時代が下りすぎです。
あの時代はぎりぎりまだ、クリノリンです。当時は、パリの流行りがすぐに函館まで伝わることもありませんから、なおさら確実にクリノリン。
そうですね、映画で見るならば、『風とともに去りぬ』の前半や『若草物語』、『山猫』あたりの格好、といえばいいでしょうか。スカートがぱあっと大きく広がっているスタイルです。
それに髪型も、あれじゃあ19世紀末から20世紀初頭のアールヌーボー期です。
つーか、榎本さんは江戸っ子ですから、柳橋の料亭で芸者と遊ぶのがお好きで、明治に海軍にいて薩摩ともめたときも、芸者遊びがやり玉にあがったほどですのに。
鹿鳴館は、それほどお好きじゃなかったと思いますよ。外交官もなさいましたので、つき合いはこなしておられたでしょうけど、ご自分が、ダンスはできない、と書いておられますし。
あー、少しは華やかな場面を、入れてみたかったんですかね。でもだったら、最低限の時代考証はしろよ、と。
これをやる前に、大河の後半部の総集編みたいなのをやっていまして、そちらも見たのですが、驚きました。
えー、近藤さんが、私が慶喜公について書いたと似たようなことを、言っているじゃないですか。「錦の御旗に目がくらんでいる。朝敵がなんぼのものだ」と。
参照 慶喜公と天璋院vol2
坂本龍馬暗殺の裏は、ちょっといただけなかったですけど。
龍馬を殺しても、薩摩にはなんの得もありませんもの。
孝明天皇の死は、あまりに都合がよすぎるので、私は薩摩を疑っていますが、龍馬は、政治力のある人ではなかったですし、すでに薩摩は、板垣退助を取り込んでいましたしねえ。土佐藩を動かすのに、龍馬はなんの力ももっていません。
だいたい、いっしょにいた中岡慎太郎は、徹底した倒幕派ですし、人望があって、土佐の脱藩者をまとめていたんですから、慎太郎の死は、薩摩にとって大きな痛手です。龍馬だって、あくまで倒幕に反対、ってことはなかったでしょう。
薩摩倒幕派の位置づけでは、大政奉還は武力倒幕への道程、なんです。
でも、まあ、あれだけ近藤と土方を描けているなら、よしとしましょう。後半は、けっこうよくなっていたんですねえ。
残念なことをしました。
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実は、大河の新撰組は、最初の何回か見て、見るのをやめてしまったんです。
初回が池田屋で、殺陣の下手さかげんに腹を立てまして、そこではまだ、これからうまくなるかもしれないしー、と我慢したのですが、史実無視の著しさ、なによりハリスだかが出てきた回に我慢の限界がきまして、精神衛生上よくないから見るのはよそう、と。
いえね、そりゃあドラマなんですから、史実無視もあるのはわかっているのですが、ばかばかしくなってしまうような無視の仕方、と思えてしまうと、もうダメなんです。
しかし今回、五稜郭での最後のわずか1日、ということで、凝縮していたせいか、悪くなかったですね。
土方は、和装のときよりもしっくり演じてましたし、榎本と大鳥の描き方もなかなかのもの。
榎本子爵、けっこう好きなんです。あのおっちょこちょいなところが。
そりゃあ、突っ込めば、「あー、榎本さんは海軍専門なんだから陸軍を任せるなんていわないでねえ」とか、「伝習歩兵で桶狭間はどんなもんでしょ」とか、突っ込みどころはいろいろありましたが、それすらも楽しめた、といいますか。
つーか、なんで松平太郎を出さないんでしょううか。陸軍の一番上は彼ですし。あの方は、歳さんと気があったと思いますよ。
といいますか、私は、土方を伝習隊指揮に迎えたのは、そもそも松平太郎ではなかったか、と思っています。
フランス人が出てこなかったのは、最後にいないんですから仕方がないですけどねえ。
永井尚志は、笑いました。いえ、再び、野口武彦氏が、『幕府歩兵隊』に書かれていたこの言葉を思い出しまして。
永井尚志という武士は、三島由紀夫の曾祖父にあたるので何となく言いにくいのだが、有能な外交官だったせいか責任転嫁の名人であった。
参照 彼らのいない靖国でも
ちょっとやめて欲しかったのは、料亭が鹿鳴館になっちまっていたこと、くらいでしょうか。
あのねー、明治2年なんだから、函館がいくら開港地でも、芸者さんがみんな洋装っていうのは、いかがなものかと。それにドレスのシルエットがねえ、あまりに時代が下りすぎです。
あの時代はぎりぎりまだ、クリノリンです。当時は、パリの流行りがすぐに函館まで伝わることもありませんから、なおさら確実にクリノリン。
そうですね、映画で見るならば、『風とともに去りぬ』の前半や『若草物語』、『山猫』あたりの格好、といえばいいでしょうか。スカートがぱあっと大きく広がっているスタイルです。
それに髪型も、あれじゃあ19世紀末から20世紀初頭のアールヌーボー期です。
つーか、榎本さんは江戸っ子ですから、柳橋の料亭で芸者と遊ぶのがお好きで、明治に海軍にいて薩摩ともめたときも、芸者遊びがやり玉にあがったほどですのに。
鹿鳴館は、それほどお好きじゃなかったと思いますよ。外交官もなさいましたので、つき合いはこなしておられたでしょうけど、ご自分が、ダンスはできない、と書いておられますし。
あー、少しは華やかな場面を、入れてみたかったんですかね。でもだったら、最低限の時代考証はしろよ、と。
これをやる前に、大河の後半部の総集編みたいなのをやっていまして、そちらも見たのですが、驚きました。
えー、近藤さんが、私が慶喜公について書いたと似たようなことを、言っているじゃないですか。「錦の御旗に目がくらんでいる。朝敵がなんぼのものだ」と。
参照 慶喜公と天璋院vol2
坂本龍馬暗殺の裏は、ちょっといただけなかったですけど。
龍馬を殺しても、薩摩にはなんの得もありませんもの。
孝明天皇の死は、あまりに都合がよすぎるので、私は薩摩を疑っていますが、龍馬は、政治力のある人ではなかったですし、すでに薩摩は、板垣退助を取り込んでいましたしねえ。土佐藩を動かすのに、龍馬はなんの力ももっていません。
だいたい、いっしょにいた中岡慎太郎は、徹底した倒幕派ですし、人望があって、土佐の脱藩者をまとめていたんですから、慎太郎の死は、薩摩にとって大きな痛手です。龍馬だって、あくまで倒幕に反対、ってことはなかったでしょう。
薩摩倒幕派の位置づけでは、大政奉還は武力倒幕への道程、なんです。
でも、まあ、あれだけ近藤と土方を描けているなら、よしとしましょう。後半は、けっこうよくなっていたんですねえ。
残念なことをしました。
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土方歳三/新選組 |
私も大河ドラマはイライラして途中で見るのをやめてしまったのですが、後半はよかったみたいですね。
総集編見ましたが、最後の部分も「ありえない」と思いつつ、胸に迫るものがありました。
今回のドラマは、郎女さん同様ツッコミどころは満載でしたが(笑)、「最期の一日」に凝縮したのが正解だったと思います。
私はどうしても見方が土方寄りになってしまうのですが、今回の榎本さんと大鳥さんは、なかなかよかったです。
実は私、「男は容姿です」と決めつける、かなり熱狂的な土方ファンなのですが、それで私も結婚できないで、今にいたったのでしょうか(笑)
土方に関する資料は、おそらく出版されているもののほとんど、を持っております。
書いておられたように、今回のドラマでなにがよかったって、「滅びの美学」にしていなかったところ、です。
あー、それと、市村鉄之助が、とてもかわいくって。10年後に西南戦争で、西郷軍に参加して死んだ、という言い伝えとともに、土方を慕った彼も、後ろは見ない子だったんだな、と思えるんです。
正直に申しますと、ラスト、泣けました(笑)
でも、まあ、学園ドラマとして見る分にはいいかと思い、最近の大河では珍しく見てましたが、ああいう脚色は勘違いさせなきゃいいがな・・・って思いましたよ。
TBの中でも書いてますが、あの三谷新撰組というのは大学の体育会のノリで描いてありましたが、体育会というよりは、むしろ、実態は、暴力団の抗争に近いんですよね。
でも、あのドラマの土方歳三はなかなか、良くできていたと思いますよ。
今までになかった土方像を描き出したんではないでしょうか?
もうひとつ、大河の時は、榎本は草君だったのに、こちらでは違う人だったんですね。
てっきり、スマップそろい踏みかと思ったんですけど・・・。
ちなみに、土方歳三の盲目の兄役で出ていた人は、昭和三十年代の新撰組映画では、土方と言えば栗、栗といえば土方と言われた人ですね。
どうでもいいですね、はい・・・。
あらま、そうなんですか。あの伝説の土方役者さんが、出ておられたんですね。
私、イメージを壊されるのがいやさに、ほとんど、新撰組もののドラマを見てないんです。
えーでも、老いた永倉さんが冒頭、というのは、いかがなものでせう。じじむさそうで(笑)
やはりこう、華がありませんと。男はやはり、容姿でございます。
でも、暴力団ではございませんのよ(笑)
少なくとも守護職配下に入ってからは、秩序維持の側ですしねえ。内部抗争という意味でしたら、暴力団まがいの内部抗争は、長州奇兵隊にだってございましたよね。
なんといえばいいんでしょうか、新撰組も奇兵隊も、当時の既成の枠からはみだした組織、です。既成の組織が機能しなくなり、身分格差をくずす形の新しい試みとして、生み出されたわけですけれども、既成の枠にあてはまらない組織というものは、それまでの慣習では規律が保てませんし、きびしく律しなければ、組織として機能しません。また、だれが組織の主導権を握るか、前例がありませんので、そこで抗争は起こってあたりまえ、ということではなかったんでしょうか。
史実・・・、まあ、史実と言われている物自体が、どこまで本当のことかはわかりませんが、私が聞いている話とはちょこちょこと違う部分もありましたが、デジタルでみたせいか、画像が惚れ惚れするくらい奇麗でしたし、それほど、悪くなかったように思えました。
日本人が好きな、滅びの美学ってやつでしょうか・・・。
で、見てて思い出しましたが、大河のときの新撰組の走り方が、武士の走り方ではなく、大学生が一生懸命走ってますって走り方だったんですよ。
明らかに腰に差しているモノが軽すぎるから、ああいう走りになるんだという・・・。
そりゃないよって思ったのを思い出しました(笑)。
さておき、ところで、土方の遺体はどこにあるとお考えですか?
一節によると、後から味方に狙撃されたという話もありますよね。
ヒトラーの遺体は、ソ連が持ち去っていたことが、最近、判明しましたが、土方の遺体となれば、官軍も相当、探したはずでしょうし、遺体が辱められないように、顔を焼いたとしても、そう、遠くに運べるとも思えず・・・。
何より、土方本人が、遺体にそのような細工を希望するとも思えないんですよね。
「滅びの美学」にはなってなかったと思ったんですけど。
歩き方は、仕方がございません。
昔、黒澤明監督が『トラトラトラ!』を撮るはずでして、結局途中で降りましたけど、降りるまで、出演者やエキストラにただただ行進させていたとかで。
『ラスト・サムライ』のエキストラも、最初、日本人ではなく韓国人から募ろう、としたそうです。日本人は軍隊経験がなくて、軍隊での動作を仕込むのに時間がかかるので。
えーと、日本人が遺体の顔を焼くということは、ありえませんです。戊辰戦争当時、そういう場合は、首だけ持っていきます。千両松でもそういう話がございましたし。
で、現在、土方さんの遺体の行方に関する最新の説は、そういうことのようですね。もしかすると、五稜郭に持ち帰って葬ったというのは、首だけではないかと。
埋葬場所は近年、五稜郭説が有力になっていたようなのですが、それが「首だけでは?」となったそうで。
今泉みねの『名ごりの夢』に、親戚の幕臣の妻が、上野のお山から夫の首だけを持ち帰り、仏壇に祭っていた、という話がございますが、そういう当時の感覚を考えますと「首だけ」説も、ありえるかと。
土方を主役に据えると、どうしても『滅びの美学』という言葉が付いて回るんですが、今回はそうじゃない。むしろ、その『滅びの美学』を越えた土方が見られて、ホントに良かったです。
まぁツッコミ所はたくさんありましたが(武蔵野楼の鹿鳴館化は、さすがに笑えないモノがありました・苦笑)、ラストが良かったんで帳消しにしてあげようかな、と。
市村鉄之助くん、確かに可愛かったですね(笑)
コメント、ありがとうございます。
ほんとうに、思いの外の出来でした。
一日に凝縮する、というのは、やはり演劇的なのかな、と思ったりします。
突っ込み所も、凝縮するための無理、と考えるなら、たいていは許せるかな、と(笑)
榎本、大鳥と土方も、案外気があってただろうと思っていましたので、最終的にそうであったことになっていて、嬉しゅうございました。
函館戦争を、だれか、ちゃんと映画で作ってくれないかなあ、と夢見たりしています。