郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

象犬鼠!パリ籠城戦のレストランメニュー

2006年02月22日 | 日仏関係
明治3年(1870)、フランスはプロシャに宣戦布告。フランスの軍艦マーチ に書きましたように、普仏戦争がはじまりました。
結果は、フランスの劣勢でして、函館戦争のフランス人vol3(宮古湾海戦) で見ていただけるように、無惨な戦いで、ナポレオン三世は捕虜となり、帝政は崩壊しました。
しかし、共和制となったパリのフランス政府は降伏せず、結局、パリ籠城戦になるんですね。
この籠城戦は、龍馬の弟子がフランス市民戦士となった???美少年は龍馬の弟子ならずフルベッキの弟子 でご紹介しましたように、前田正名のような日本人留学生も経験しました。

籠城戦です。プロシャ軍の包囲で、パリは物資を断たれ食料不足。配給もだんだんと質が落ち、馬肉も食べ尽くして、パンの質も落ちていきます。
美食に慣れたパリの住民は、それでもレストラン通いをやめず、レストランのメニューは象の鼻料理だったり、羊とうたった犬調理だったり、鼠の肉も供したり。

そんなパリ籠城戦の食料事情を教えてくれるのは、『美食の社会史』です。『ゴンクールの日記』をもとに書かれているのですが、リンクでわかりますように、『ゴンクールの日記』の邦訳は手に入れ辛いんですね。
ゴングール日記の著者、ゴングール兄弟は作家で、日本美術に傾倒し、浮世絵の紹介者となったことで有名です。19世紀パリのジャポニスムを語るときには、欠かせない人材です。

北山晴一著『美食の社会史』には、フランス革命以降に花開いたパリの美食文化が楽しく語られていまして、第二帝政期の美食については、またの機会に、この本からご紹介したいと思います。


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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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お返事が遅くなりまして (郎女)
2006-03-02 02:15:48
申し訳ありませんでした。

悪い癖なのですが、時々、パソコンに向かうのが嫌になりまして、長期間、立ち上げないですごしてしまったりします。



フランス革命までの美食というのは、やはり、主に王侯貴族のものであったわけなんです。革命で、王侯貴族に雇われていた腕の立つ料理人が職を失い、レストランを開く例が増えたことが、美食の大衆化に大きく貢献したわけなんです。

もちろん、帝政から王政復古へと、復帰した貴族や新興ブルジョアも料理人は雇うのですが、それ以上に、高級外食産業が栄えます。



江戸に革命があったわけではないのですが、江戸の美食も究極、料亭が舞台でした。

人口密度の高く、富裕層の厚い都市にこそ、洗練された美食文化は育まれる、ということのようです。
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Unknown (みずのように)
2006-02-24 09:37:50
象犬鼠の料理を楽しみながら

包囲するプロシャ軍と戦ったのですか



「フランス革命後に花開いた美食文化」というのは

・食材が豊かになった

・どんな食材でも美味しく料理する技

・どんなに忙しくても食を楽しむ

どれが重要なのでしょね? 他にもあるかな?
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