人になにか(情報)を伝えるのは、とても難しい。
そのことを痛感しております。
身内に不幸のあった方に手紙を書きました。
とても落ち込んでいるようだったので、少しでも切り替えるきっかけになればと思い、聞きかじったことを書いたのです。
松浦はこうみえて、実は山寺に修行合宿に行ったこともあるし、パリからポルトガルまで巡礼の旅もしています。
宗教の違いはあまり気にせず、その精神を学ぼうというスタンスです。
佛教は、そのスタートからして少しほかの宗教とは違うな、と思うことがあります。
何しろ、救いを求めて来る人を助けようとか、勢力を押し広げようとか、人々をひとつにまとめようとか。そういうものではないからです。
とにかく、「なんか生きにくいから悟りたいね」というところがスタートなのです。
悟ためのひとつの方法が座禅で、「余計なことは考えないようにしよう」ということです。
漫画家の小林よしのりなどは、「無になるんじゃなくて、バランスのとれた状態になるんだ」というような趣旨のことを書いていました。
松浦はバランス感覚は悪いのですが、心がけているのは「憶測と事実をしっかり区別する」ということです。
連想や憶測はたいてい、負のイメージです。そしてそれは妄想です。事実ではありません。
とまあ、こんなことを伝えようとしたのだから、うまくいかなくても仕方がないですね。
いずれ時が来たら、謝罪の手紙を書くとしましょう。
そのことを痛感しております。
身内に不幸のあった方に手紙を書きました。
とても落ち込んでいるようだったので、少しでも切り替えるきっかけになればと思い、聞きかじったことを書いたのです。
松浦はこうみえて、実は山寺に修行合宿に行ったこともあるし、パリからポルトガルまで巡礼の旅もしています。
宗教の違いはあまり気にせず、その精神を学ぼうというスタンスです。
佛教は、そのスタートからして少しほかの宗教とは違うな、と思うことがあります。
何しろ、救いを求めて来る人を助けようとか、勢力を押し広げようとか、人々をひとつにまとめようとか。そういうものではないからです。
とにかく、「なんか生きにくいから悟りたいね」というところがスタートなのです。
悟ためのひとつの方法が座禅で、「余計なことは考えないようにしよう」ということです。
漫画家の小林よしのりなどは、「無になるんじゃなくて、バランスのとれた状態になるんだ」というような趣旨のことを書いていました。
松浦はバランス感覚は悪いのですが、心がけているのは「憶測と事実をしっかり区別する」ということです。
連想や憶測はたいてい、負のイメージです。そしてそれは妄想です。事実ではありません。
とまあ、こんなことを伝えようとしたのだから、うまくいかなくても仕方がないですね。
いずれ時が来たら、謝罪の手紙を書くとしましょう。