10月13日(日)、広島県庄原市で行われた自然観察指導員講習会終了後、広島自然観察会の吉岡さん・和田さんの車で,日本自然保護協会の福田さんもいっしょに北広島町へ。「高原の自然館」という地域のミニミニ博物館(=ビジターセンター)の学芸員白川さんと合流。泊まった民宿はタニモト。
(一番奥のうすむらさきの建物がタニモトです)
なんと北広島の芸北地区は「どぶろく特区」。民宿で仕込んだ自家製どぶろくをいただきました。とくに「生」どぶろくは,宿泊客にしか出さないのだそうです。おいしくて,飲みすぎました。
翌朝,民宿の近所を散歩しました。休耕田・・・といっても,見た目には「今年から作付けしなくなったのかな」と行った感じの田んぼに黒毛の牛が4頭います。きっと休耕田の草刈り要員として放し飼いされているのだと思いました。田んぼのまわりには細長い針金が張られていました。弱い電気が通っている電柵なのでしょう。
(電線が見えますか?)
朝食後,まず案内していただいたのは雲月という山。「うんげつ」とも「うずつき」とも呼ばれるそうです。「ひょっこりひょうたん島全体が草原になっている」といった感じの,なだらかな稜線です。標高911m。稜線の向こうは島根県で,天気が良ければ日本海も見えるそう。となると,標高が低いとはいえ,冬には日本海を渡ってきた季節風が上昇してくるのですから,ここは雪がいっぱい降る所です。
ここには火を入れている(いた)し,牛も放している(いた)そうです。それで,草原が保たれています。
今日は広島観察会のメンバーも数人来てくださいました。やっぱり大人数のほうがワイワイと楽しいですね。
歩き始めて,すぐに「?」と思ったのは,歩道の広さと平坦さ。山の歩道としては,この広さも平坦さも必要ないと思いました。それを察した白川さんがさっそく教えてくださいました。
「交流事業でここに来た子どもたちの中に車椅子の子がいました。その子はこの歩道を歩くことなく,バスに乗って別の場所に行ってしまいました。それを見た地元の子どもたちが『なんかかわいそうだね』と,歩道のバリアフリー化を提案したんです。歩道を広くし,チップ舗装する際には,子どもたち自身が歩道を調べ,アセスメントに取り組んだんですよ」
歩道を歩きながら,いろんな植物に会えました。
ヤマラッキョウ,リンドウ,ウメバチソウ,アキノキリンソウ,マツムシソウ,ワレモコウ,カワラナデシコ,シラヤマギク…など,乙女高原との共通種もいっぱいありました。ただ,どれも背がとても低かったです。
一方,サイヨウシャジン,カキラン,ショウジョウバカマ,リュウノウギク,ヤマハッカ,ムラサキセンブリなど,乙女では見られないものもありました。びっくりしたのは,斜面のちょっと濡れているところにモウセンゴケがあったこと。「なんでこんなところに?」と,不思議でした。
(サイヨウシャジンはツリガネニンジンそっくり)
(ムラサキセンブリ。センブリなら見たことあるけど)
(写真中央に見える「土が見えるところ」に下写真のモウセンゴケが・・・)
途中,ちょっと平らなところに出ました。おもしろいんです。歩いている途中は,種類こそ違うけど,雰囲気は乙女高原にとても似た草原(花野)だったのに,ここだけ,「田んぼのあぜ」みたいな登場人物(草)と生えている様子なんです。ヨモギがいっぱいで,クローバー(シロツメクサ)も見えます。「ここだけ雰囲気が違うでしょ?」と白川さん。「ここは少し平らになっていて,牛たちの休憩場所なんです。休憩場所だけあって,ここでウシたちは糞もします。それで,ここだけこんな植生になっているのです。ここから草原の景色を見ると,同じような場所が点々とあるでしょ?」
稜線に出ました。こっち側は広島県。あっち側は島根県です。県が違うのですから,土地の管理も違っています。こっち側は火を入れているので,見ていて気持ちのいい草原=花野になっていますが,あっち側は火を入れてないので,一面の笹原です。両方で2m四方のコドラート内の植物を調べたところ,広島側は40種の植物が見つかりましたが,島根側はたった3種だったそうです。
「島根側に延焼してしまったことがあって,たいへんだったんですよ」とのこと。確かに,「白骨化」している立ち枯れの木が群れていました。
ピークまで歩いてきたら,「野外お茶会」が始まりました。広島観察会の方が準備してくださいました。いやー,野原に座ってのお抹茶…おいしいですねー! 口の中ばかりでなく,気分までさっぱりしました。
山から降りながらも,いろいろな植物が観察できました。場所場所によって,咲いている花が違っていました。少しずつ環境が違い,条件が違うんでしょうね。遊歩道には,乙女高原のような『ここから入っては,いけません』という杭とロープがありませんでした。それがとても心にひっかかりました。
楽しい雲月山ハイキングが終わり,車で移動しました。車中でのお話もとてもオモシロイものでした。それはまた別の機会に…。
途中,道の真ん中に大きなくろっぽい塊が。クマの糞です。車を降りて,さっそく観察。小枝でホジホジしましたが,臭いにおいはまったくありませんでした。で,中からドングリの殻の破片が出てきました。食べているんですね,ドングリ。
白川さんの勤め先『高原の自然館』に到着。棟続きの隣がレストランになっていて,白川さんがそこに予約してくださった地域の食材を使ったおいしいおいしいお弁当を,横に建てられた古民家の座敷でいただきました。予約をしたお客さんは,この座敷で食べることができるそうです。トマトをジューサーにかけ,レモン汁を入れて,固めたゼリーがとてもおいしかったです。
高原の自然館は,資料がとても充実していました。それもそのはず。ちゃんと学術調査を行っていて,その成果をここで展示しているのです。それに,ここにいる動植物をただ単に紹介しているだけでなく,彼らがここにいる存在価値を展示しようという意図が感じられました。展示を見ていて,頭にパッと浮かんだフレーズは「これは普通名詞の展示ではなく,固有名詞の展示だな」。なんか理屈っぽくてすみません。でも,そう思っちゃったんです。
でっかいホワイトボードが目につきました。教室の黒板くらい大きいです。そこに,観察会の予定が書いてありました。「ハハン,これも大切な展示なんだな」
こんなに小さな施設なのに(失礼),販売物がいっはいで,充実していたのにも目を見張りました。たくさん買ってしまいました。
中に,午前中に歩いた雲月山の写真集がありました。「この著者の女の人(淀渕可菜とあります)って,どんな人だと思います?」と白川さん。ぼくが「?…」としていると,写真集の後ろのほうのページを出して,「小学校6年生です」ショックでした。小さな小学校が学校みんなで雲月山の学習をし,その集大成がこの本だったのです。学校での環境教育(学習)として,こういうことがやりたかったんだよなあ。
なんでも,広島県には青少年育成広島県民会議という公益社団法人が行っている『夢配達人プロジェクト』というのがあるんだそうです。これは「県内の小学生から夢を募集し,その中から選ばれた夢の実現に向けて,子ども達と地域の人たちが夢配達人(夢の実現をサポートする専門家など)と一緒に行う活動を支援する」というもので,これにかなちゃんが「カメラマンに手伝ってもらって,雲月山の植物の写真集を出したい」という『夢』を応募し当選したのだそうです。 (淀渕可菜・編『雲月のたから』(NPO)西中国山地自然史研究会,2010)
午後からは自然館のすぐ近くの霧ヶ谷湿原を案内していただきました。
この湿原の履歴はおもしろくて,1960年代に「開発」されて牧場になったのだそうです。1986年に牧場は閉鎖され,その後,放置されました。すると,ススキ・ハルガヤ・ヨモギなどの草原とカンボク・カラコギカエデなどの低木林が広く見られるようになってしまいました。なんとかしてこの地に湿原を復元させたいという自然再生事業が2007~2009年の3年間行われ,湿原がもどりつつある場所だそうです。この再生事業のキーマンである和田さんに「熱く」案内していただきました。
車を降りて,歩いたところはカンボク・カラコギカエデの林の中。土は…乾いていて,湿地のおもかげはどこにもありません。「この様子を覚えておいてくださいね」と和田さん。
しばらく歩くと,湿原に出ました。今まで歩いてきたところと雰囲気が全然違います。「ここも再生事業までは,さっきの林みたいだったんですよ」
ススキやノイバラなど乾いたところに見られる植物もありましたが,イ,ミゾソバ,ママコノシリヌグイ,エゾシロネなど湿ったところが好きな植物もありました。
(マアザミ(キセルアザミ)にオオマルハナバチが来ているのを見逃しません! )
どのようにして湿地を再生したか,和田さんが熱く話してくださいました。
湿地を牧場にする,つまりは土地を乾燥化させるためには排水が必要です。そのため,湿地の中に深い排水路が作られました。この地を湿地に戻すために,まずは深い排水路を埋めて,浅くする必要があります。ですが,浅くするためによその場所から石や土を持ってきたら,よその植物も連れてくる可能性があります。そこで,水路のコンクリートの上半分を壊して,壊したコンクリートの破片を水路に埋めるという工法で浅くしたそうです。これなら外からいろいろ持ってくる必要はなく,水があふれやすくなりますし,重機を入れるのも最小限で済みます。次に,水路の途中に堰を作って流路を分け,枝流が湿原の中を流れるようにしたそうです。さらに,等高線に沿って溝を切り,枝流からあふれた水が湿地全体に行きわたりやすくしたそうです。これらの工法は,実際に予備実験を行い,効果を検証してから大規模導入しているそうです。また,再生事業が終わったあともモニタリングをずっと続けていて,湿地全体の動向を詳しく把握していました。そのきめ細やかさに感心しました。
(深い排水路を崩して、底を浅くしている)
(堰の向こう側が深くなっているのがわかりますか?(大きな石も落ちてるけど) そこは昔の排水路のまま)
たった1日でしたが,とても密度の濃い自然観察ができ,大満足で夕方の新幹線に乗って帰ってきました。家に着いたのは,ぎりぎりその日のうちでした。
すごく充実した1日になったのも,白川さんや和田さんなど案内してくださる方々がいたからです。あらためて,案内人の大切さを感じた1日でもありました。
(一番奥のうすむらさきの建物がタニモトです)
なんと北広島の芸北地区は「どぶろく特区」。民宿で仕込んだ自家製どぶろくをいただきました。とくに「生」どぶろくは,宿泊客にしか出さないのだそうです。おいしくて,飲みすぎました。
翌朝,民宿の近所を散歩しました。休耕田・・・といっても,見た目には「今年から作付けしなくなったのかな」と行った感じの田んぼに黒毛の牛が4頭います。きっと休耕田の草刈り要員として放し飼いされているのだと思いました。田んぼのまわりには細長い針金が張られていました。弱い電気が通っている電柵なのでしょう。
(電線が見えますか?)
朝食後,まず案内していただいたのは雲月という山。「うんげつ」とも「うずつき」とも呼ばれるそうです。「ひょっこりひょうたん島全体が草原になっている」といった感じの,なだらかな稜線です。標高911m。稜線の向こうは島根県で,天気が良ければ日本海も見えるそう。となると,標高が低いとはいえ,冬には日本海を渡ってきた季節風が上昇してくるのですから,ここは雪がいっぱい降る所です。
ここには火を入れている(いた)し,牛も放している(いた)そうです。それで,草原が保たれています。
今日は広島観察会のメンバーも数人来てくださいました。やっぱり大人数のほうがワイワイと楽しいですね。
歩き始めて,すぐに「?」と思ったのは,歩道の広さと平坦さ。山の歩道としては,この広さも平坦さも必要ないと思いました。それを察した白川さんがさっそく教えてくださいました。
「交流事業でここに来た子どもたちの中に車椅子の子がいました。その子はこの歩道を歩くことなく,バスに乗って別の場所に行ってしまいました。それを見た地元の子どもたちが『なんかかわいそうだね』と,歩道のバリアフリー化を提案したんです。歩道を広くし,チップ舗装する際には,子どもたち自身が歩道を調べ,アセスメントに取り組んだんですよ」
歩道を歩きながら,いろんな植物に会えました。
ヤマラッキョウ,リンドウ,ウメバチソウ,アキノキリンソウ,マツムシソウ,ワレモコウ,カワラナデシコ,シラヤマギク…など,乙女高原との共通種もいっぱいありました。ただ,どれも背がとても低かったです。
一方,サイヨウシャジン,カキラン,ショウジョウバカマ,リュウノウギク,ヤマハッカ,ムラサキセンブリなど,乙女では見られないものもありました。びっくりしたのは,斜面のちょっと濡れているところにモウセンゴケがあったこと。「なんでこんなところに?」と,不思議でした。
(サイヨウシャジンはツリガネニンジンそっくり)
(ムラサキセンブリ。センブリなら見たことあるけど)
(写真中央に見える「土が見えるところ」に下写真のモウセンゴケが・・・)
途中,ちょっと平らなところに出ました。おもしろいんです。歩いている途中は,種類こそ違うけど,雰囲気は乙女高原にとても似た草原(花野)だったのに,ここだけ,「田んぼのあぜ」みたいな登場人物(草)と生えている様子なんです。ヨモギがいっぱいで,クローバー(シロツメクサ)も見えます。「ここだけ雰囲気が違うでしょ?」と白川さん。「ここは少し平らになっていて,牛たちの休憩場所なんです。休憩場所だけあって,ここでウシたちは糞もします。それで,ここだけこんな植生になっているのです。ここから草原の景色を見ると,同じような場所が点々とあるでしょ?」
稜線に出ました。こっち側は広島県。あっち側は島根県です。県が違うのですから,土地の管理も違っています。こっち側は火を入れているので,見ていて気持ちのいい草原=花野になっていますが,あっち側は火を入れてないので,一面の笹原です。両方で2m四方のコドラート内の植物を調べたところ,広島側は40種の植物が見つかりましたが,島根側はたった3種だったそうです。
「島根側に延焼してしまったことがあって,たいへんだったんですよ」とのこと。確かに,「白骨化」している立ち枯れの木が群れていました。
ピークまで歩いてきたら,「野外お茶会」が始まりました。広島観察会の方が準備してくださいました。いやー,野原に座ってのお抹茶…おいしいですねー! 口の中ばかりでなく,気分までさっぱりしました。
山から降りながらも,いろいろな植物が観察できました。場所場所によって,咲いている花が違っていました。少しずつ環境が違い,条件が違うんでしょうね。遊歩道には,乙女高原のような『ここから入っては,いけません』という杭とロープがありませんでした。それがとても心にひっかかりました。
楽しい雲月山ハイキングが終わり,車で移動しました。車中でのお話もとてもオモシロイものでした。それはまた別の機会に…。
途中,道の真ん中に大きなくろっぽい塊が。クマの糞です。車を降りて,さっそく観察。小枝でホジホジしましたが,臭いにおいはまったくありませんでした。で,中からドングリの殻の破片が出てきました。食べているんですね,ドングリ。
白川さんの勤め先『高原の自然館』に到着。棟続きの隣がレストランになっていて,白川さんがそこに予約してくださった地域の食材を使ったおいしいおいしいお弁当を,横に建てられた古民家の座敷でいただきました。予約をしたお客さんは,この座敷で食べることができるそうです。トマトをジューサーにかけ,レモン汁を入れて,固めたゼリーがとてもおいしかったです。
高原の自然館は,資料がとても充実していました。それもそのはず。ちゃんと学術調査を行っていて,その成果をここで展示しているのです。それに,ここにいる動植物をただ単に紹介しているだけでなく,彼らがここにいる存在価値を展示しようという意図が感じられました。展示を見ていて,頭にパッと浮かんだフレーズは「これは普通名詞の展示ではなく,固有名詞の展示だな」。なんか理屈っぽくてすみません。でも,そう思っちゃったんです。
でっかいホワイトボードが目につきました。教室の黒板くらい大きいです。そこに,観察会の予定が書いてありました。「ハハン,これも大切な展示なんだな」
こんなに小さな施設なのに(失礼),販売物がいっはいで,充実していたのにも目を見張りました。たくさん買ってしまいました。
中に,午前中に歩いた雲月山の写真集がありました。「この著者の女の人(淀渕可菜とあります)って,どんな人だと思います?」と白川さん。ぼくが「?…」としていると,写真集の後ろのほうのページを出して,「小学校6年生です」ショックでした。小さな小学校が学校みんなで雲月山の学習をし,その集大成がこの本だったのです。学校での環境教育(学習)として,こういうことがやりたかったんだよなあ。
なんでも,広島県には青少年育成広島県民会議という公益社団法人が行っている『夢配達人プロジェクト』というのがあるんだそうです。これは「県内の小学生から夢を募集し,その中から選ばれた夢の実現に向けて,子ども達と地域の人たちが夢配達人(夢の実現をサポートする専門家など)と一緒に行う活動を支援する」というもので,これにかなちゃんが「カメラマンに手伝ってもらって,雲月山の植物の写真集を出したい」という『夢』を応募し当選したのだそうです。 (淀渕可菜・編『雲月のたから』(NPO)西中国山地自然史研究会,2010)
午後からは自然館のすぐ近くの霧ヶ谷湿原を案内していただきました。
この湿原の履歴はおもしろくて,1960年代に「開発」されて牧場になったのだそうです。1986年に牧場は閉鎖され,その後,放置されました。すると,ススキ・ハルガヤ・ヨモギなどの草原とカンボク・カラコギカエデなどの低木林が広く見られるようになってしまいました。なんとかしてこの地に湿原を復元させたいという自然再生事業が2007~2009年の3年間行われ,湿原がもどりつつある場所だそうです。この再生事業のキーマンである和田さんに「熱く」案内していただきました。
車を降りて,歩いたところはカンボク・カラコギカエデの林の中。土は…乾いていて,湿地のおもかげはどこにもありません。「この様子を覚えておいてくださいね」と和田さん。
しばらく歩くと,湿原に出ました。今まで歩いてきたところと雰囲気が全然違います。「ここも再生事業までは,さっきの林みたいだったんですよ」
ススキやノイバラなど乾いたところに見られる植物もありましたが,イ,ミゾソバ,ママコノシリヌグイ,エゾシロネなど湿ったところが好きな植物もありました。
(マアザミ(キセルアザミ)にオオマルハナバチが来ているのを見逃しません! )
どのようにして湿地を再生したか,和田さんが熱く話してくださいました。
湿地を牧場にする,つまりは土地を乾燥化させるためには排水が必要です。そのため,湿地の中に深い排水路が作られました。この地を湿地に戻すために,まずは深い排水路を埋めて,浅くする必要があります。ですが,浅くするためによその場所から石や土を持ってきたら,よその植物も連れてくる可能性があります。そこで,水路のコンクリートの上半分を壊して,壊したコンクリートの破片を水路に埋めるという工法で浅くしたそうです。これなら外からいろいろ持ってくる必要はなく,水があふれやすくなりますし,重機を入れるのも最小限で済みます。次に,水路の途中に堰を作って流路を分け,枝流が湿原の中を流れるようにしたそうです。さらに,等高線に沿って溝を切り,枝流からあふれた水が湿地全体に行きわたりやすくしたそうです。これらの工法は,実際に予備実験を行い,効果を検証してから大規模導入しているそうです。また,再生事業が終わったあともモニタリングをずっと続けていて,湿地全体の動向を詳しく把握していました。そのきめ細やかさに感心しました。
(深い排水路を崩して、底を浅くしている)
(堰の向こう側が深くなっているのがわかりますか?(大きな石も落ちてるけど) そこは昔の排水路のまま)
たった1日でしたが,とても密度の濃い自然観察ができ,大満足で夕方の新幹線に乗って帰ってきました。家に着いたのは,ぎりぎりその日のうちでした。
すごく充実した1日になったのも,白川さんや和田さんなど案内してくださる方々がいたからです。あらためて,案内人の大切さを感じた1日でもありました。
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