じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

ひと時華やぐ

2009年03月07日 | 急性骨髄性白血病

歩くのもやっと、今週は無理か と考えていた週末外泊だったが、車椅子を使い帰った。

久しぶりの晴れ間となり風もない。

  

「午後に約束してあるの、どうしても出かけたいの」と言う。

友人の喫茶「レジュウノア」の仲間は妻にとって姉妹のような存在であった。

折に触れ本当に細やかで控えめな気遣いをしてくれる。

その喫茶店、今月限りで閉店するので是非行ってあげたいというのだった。

  

どうしてもと言うなら行かせてやりたい。

いつもならパジャマの上にダウンコートを羽織るだけなのに

妻の希望で、今回は娘と2人がかりで外出着に着替えさせる。

浮腫んだ足にストッキングを鋏で裂いて履かせたが、ついに靴は履けなかった。

ちぐはぐだがスリッパにする。

  

0903071_2 私も何度か行ったことがある、それはそれはセンスの良い洒落たお店だった。

今回ファイナルフェア、蒐集した何組もの古雛が飾られ、早咲きの桜がしつらえてあった。

  

仲間が揃って迎えてくれていた。

みんなに取り囲まれて、久しぶりの華やかな ひと時

妻の顔がほころび 目が生き生きしていて、私まで嬉しくて熱くなった。

  

ほんの10分か15分いて、名残惜しいが おいとまする。

「本当に良かったなあ、もっとゆっくりしたかった」

だが帰ってきた後、疲れてまた昏々と眠り続けていた。

0903074_2 0903073_2

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思い出のアルバム

2009年02月25日 | 急性骨髄性白血病

妻の要請で少し前からアルバムを作っていた。

数年分のデジカメ写真がろくに整理しないまま、外付けハードディスクに恐らく数千枚は保存されている。ところが探してみると、花や風景や孫の写真ばかりで、妻の写っているものが思いのほか少なかった。
ファイルの中身を開いて探し探し、やっとアルバム一冊分をプリントアウトした。

  

061015121 今日病室へもって行き、横になったままの妻に、
ゆっくりとページをめくり見せる。

旅行の写真、孫との写真が多く、1ページ毎に
目を閉じては想いを馳せているようだった。

中の1枚、この写真が好きだと言った。
           (2006年 大山麓にて)

  

がん細胞が爆発的に増加し始めて、二週間が経過している。

末梢血中の白血球数が3日単位で倍増し、芽球(がん細胞)が大部分を占めている。

一日の殆どを眠っていて、傍にいてもこのまま目が覚めなくなるのではないかと、声をかけると目覚める。痛みが無いのが救いである。

「面会謝絶にしようか」

「いえ、たとえ半分眠っていても 出来れば皆んなに会いたい・・・」

それが生きていることの証と感じられるから・・・

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嬉しい週末

2009年02月23日 | 急性骨髄性白血病

0902231_3 

雨上がりは煙突山が浮き立つ。

   

嬉しい週末であった。

娘たちが帰国しているのを聞いて、九州から息子達一家もとんぼ返りで帰ってくれた。

その上、たまたま東京出張に来ていた娘婿もフライトを遅らせ、土日を利用して寄ってくれる。私の一族?9人全員が集まれるのは稀なことである。

09022310   

マスクをかけることもあるまいと、ベッド横のテーブルで皆で賑やかに食事をし、記念写真を撮った。

妻は口にしない方が良い、と止められていた にぎり寿司を、なんと4個も食べた。

よほど嬉しかったのだろう。

  

日曜日の夜、病院へ送り届ける時もしきりに、

「楽しかったねえ、本当に嬉しくかった。

こんな機会はもう無いかもしれないね・・・。お父さんの計らいでしょう、有難う。」

妻は足の痛みも激しくなり、次第に歩くのも困難になってきている。

  

  

月曜日、又静かな日々に戻った。

先週から隣家に住む娘、Yuuのお弁当のついでに?作ったお昼ごはんを届けてくれる。

これから昼時は娘が病院に行ってくれるという。

助かる。

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嬉しい来訪

2009年02月19日 | 急性骨髄性白血病

旧知の先輩ご夫妻がわざわざ千葉からお見舞いに来てくださった。

 

独身時代に男女3カップルであちこちと登山や旅行していた。

40年も前のことである、船や列車を乗り継いで・・・

あの頃の話になると、あんなことこんなことと、

微にいり細にわたり覚えていたり思い出したりして、話が弾み楽しかった。

とりわけ久住山への登山の想い出が忘れられない。

とにかく皆 若かった。

   

妻もいつになく若返ったように目を輝かせ、生き生きと話していた。

話は尽きなく時間だけ過ぎた。

 

その後3カップルとも結婚し幸せな夫婦になり歳を重ねた。

離れ離れになりながら忘れられない仲。

リタイアしたが、1人は請われてなお海外(サウジ)で活躍している。

一時帰国の際に来ていただいた。近くやっと肩の荷を降ろすらしい、ご苦労様。

  

0902191_4    

    

(先日お見舞い頂いた「ひばり園」

              重見弥生さんのことば です)

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春一番

2009年02月13日 | 急性骨髄性白血病

午後の一時 生暖かい突風が吹いた。春一番だったという。

だが来週からはまた強い冬型に戻るらしい。

三寒四温、春はもうすぐ

 

最近の日課は昼食時と夕食時にほぼ1~2時間ずつ妻の病室へ出かける。

余り食欲のない妻だが一緒に食事をすることで、何がしか口にさせられる。

もう少し居てやりたいが、疼痛管理のせいで食事時以外はうとうとと半ば眠っている。

   

今日も昼時と午後にかけて何人かの友人のお見舞いがあったという。

「その間もうつらうつらしてばかりよ、自分でも呆れるわ」と笑って言う。

でも気のおけない友達はお構いなくいろいろと語りかけてくれていて、私が行くと、こんなこと、あんなことと断片的にした会話のことを楽しげに話してくれる。

今日はうわさの「白いたい焼きくん」を買ってきてくれて美味しかったと。

人と会うこと、聞いていることだけでも嬉しいのだろう。

  

P1020701 ある友からは「買うことが出来ないでしょうから・・、お父さんに上げて」

チョコを戴いたと感激していた。

   

明日はバレンタインデーだったか、そういえば今まで貰うのは妻からだけだったなあ。

それも忘れてしまっていた。

思いがけないことで私からも感謝。

 

幸い熱は出ていない、平穏が続いている。

明日も外泊できる。

   

   

   

             芽吹きの成長は早い。

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ある看護師さんからのメール

2009年02月11日 | 急性骨髄性白血病

今日、病室で妻の携帯をチェックしていて、こんなメールを頂いていた。

最近では妻自身がメールをチェックできていないことも多く、了解を得ている。

そして読み聞かせてやることが多くなった。

他にも同様のメールを沢山頂いている中で紹介させていただきます。

メール主さん無断でごめんなさい。そしてなによりもありがとう。

こんなメールをもらえる妻は幸せです。(匿名の他は 原文のまま)

  

Ukです。

先日は電話をしてくれてありがとう、うれしかったです。

あのあと婦長さんのことをずっと考えてて…

  

私がH病院に就職して12年、ホントに婦長さんに可愛がってもらったなぁ~と。

おいしい料理を持ってきてくれたり、

私の分までお昼のお弁当を作ってくれて、二人で婦長室で良く食べてたなぁ…とか

  

カテーテルのことも教えてもらった、

長男を妊娠したころは私達の要望に応え託児所も作ってくれました。

おかげで今までなんとか育児と仕事を両立してくることができました。

  

婦長さん感謝しているよ

優しい婦長さんにいつも甘えっぱなしで、なんにも恩返しできてなくてごめんなさい。

こんな時にも力になれないのが悔しいです。

婦長さんの笑顔 ずっと見ていたいのに…。

  

今はただ、穏やかな日が一日でも長く続いてくれるよう願ってます。

また逢いにいくね。

病室で淋しくなった時や眠れない時、いつでも電話してね。

  

P.S.うちのやんちゃ坊主達成長しました!写メール送るので見て。

(画像割愛)

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少しだけ元気に

2009年02月10日 | 急性骨髄性白血病

昨日の夕方、

「ご主人だけ主治医のところに来てください」と看護師さんから連絡をもらう。

それは甚だ容易ならない内容だった。

「急性転化期に入ったこと、それがどういう事態かということ」を詳しく説明された。

続けて「まだご本人には告げないほうがよろしいかと・・」

「そうですね、そうします」

  

病室に帰ると、妻はすぐに察したようだ。

「お父さんは平気な顔をしておられないものね。でも大丈夫よ! 私は何が何でも桜の季節までは頑張ってみせるからね」

  

今日の昼時に再度主治医に呼ばれた。

「昨日の内容と同じですが、奥様はある意味ご専門ですし、白血球の増加がどういう事態かの察しはついていると思いますから、私からも概要を説明することにします」

  

私は「愚問だと承知で伺いますが、何か新しい治療法は無いのですか? インターフェロンとかイマニチブとかはダメですか・・・」

「それは慢性白血病の場合のお薬で使えません。考えられる治療はすべて大学病院でやり尽くしています」と冷たい。

確かにその通りで、これまでの治療には納得しているのだが・・・

  

妻はどう見ても外見上はまだまだ元気である。

眠りの時間は相変わらずだが、食事も摂れているし、最近はむしろ顔色など良くなった。

友人にも頻繁に携帯で電話している。まるで回復してきたようにさえ見える。

  

夕食後、病室に見えた主治医は、いつもの優しい顔で

「がん細胞が 少しだけ元気に なってきたようですね、でも基本的に今までと同じですよ」

そしていつものように、「頑張ってください」と・・・それだけだった。

  

それだけだったが妻はほっと安堵の表情になった

「先生もああ言ってくれている、大丈夫よ、大丈夫」

「そうだね・・・大丈夫に決まっているよ」

  

ちょっとした言葉遣いにもすがっている。。”少しだけ・・””今までと同じ・・”

私はダメだなあ、すぐに深刻な表情になってしまい妻の顔を曇らせる。

妻と約束した、これから出来るだけ明るくしていこう。

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それは言っちゃダメ

2009年02月07日 | 急性骨髄性白血病

0902051 この土曜日は、春を思わせる暖かな一日であった。

妻は今週も自宅外泊を果たせたが、帰り着くと同時に横になり、昼に起すまで眠り続けた。 

昨夜は一時間毎にレスキューの鎮痛薬(オキノーム)を飲み、眠れなかったようだ。

  

暖かいので少し散歩に出てみないかと声をかけたが、その気力は無い。 

ブログで振り返ってみると1,2ヶ月ほど前には、短時間ながら散歩もしていたのだが。

  

かろうじて1人で入浴は出来ている。 

風呂上りにドライヤーで髪を乾かしてやりながら、

「俺もこうしてお母さんに面倒みてもらい、看取ってもらいたかったなあ・・・」 

と言ってしまってハッとした。

黙した妻の目が涙で潤んでいた。

   

本音ながら、言ってはならないことだった。                   

                                               タカサゴユリ

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ふれ合いが免疫力

2009年02月06日 | 急性骨髄性白血病

Imgp0020_2  ジャスコへ行き、ちょうど昼時だったので、その足で妻の病院へ行く。

  

一緒に食べようと、私はおにぎりを買っていった。

妻はちょうどお膳を前に、躊躇しているところであった。

いつもはお粥食なのに、今日の病院の昼食は「うどん」

ゆで固まったうどんに 別の冷えただし汁をかけ、よくよ

くほぐして食べねばならない。

よほど食欲のある人ならともかく、病人には食指が動かないはずだ。

交換して妻はおにぎりを食べた。コンビニのおにぎりはなかなか美味いのである。

お腹のすいていた私はそのうどんを平らげた。

  

食後にかけて、1人又1人とお見舞いに来てくれて、病室の椅子が3つとも埋まったところへ又1人来てくださった。

別々にだけど、お互いみんな妻の仕事(病院)関係の方たちだったので、話も合うようだったから私はそこで引き上げた。

  

このところ毎日のように誰かが訪ねて来てくれている。

私は毎日夕食前の時間に行って食事をはさんで2時間ほど居るのだけれど、

思うに、昼間誰か見えてくれた日は夕方も嬉しそうに話し、元気に見える。

私と違い、妻はもともと人と触れ合うのが好き、根っからの社交家だった。

  

変化も楽しみも少なく、出歩くことも制約されたクリーンルームだもの、

こうしたことがきっと免疫力の糧になっているのかもしれない。

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やはりストレスのせいかなあ

2009年01月28日 | 急性骨髄性白血病

月曜日の輸血後に一日元気だった妻は、翌日はもう元気がなくなり、その翌日(今日)昼食時に寄ったが眠り続けていた。

無理やりに起して食べさせれば、お粥半分と私の買っていたカップラーメンを美味しいと食べたあと、また直ぐに眠った。

   

ゆうべ回診の主治医、指折り数えながら、

「入院時に申し上げた余命の時期がそろそろ来ようとしていますが、今のところは落ち着いています。白血球もキープされていますし、末梢血中の芽球も5~10%を上下しています。

輸血の効果だと思いますが、これが何時までも続くとはいえません。

スイッチが入ると急激に悪化を辿ることになるかもしれません、

(覚悟しておいてください)・・・・・・・

どうか頑張ってください。」

   

この医師の最後の言葉はいつも「頑張ってください」・・・

患者に何を頑張れというのか? 私はいつも引っかかっている。

それでも妻は「先生のお陰で、こうして今も無事でいられる。はっきり言ってくれるのがいい」

とこの主治医を心底 信頼しているのである。・・・それしかないのだけれど。

  

  

昨夜、自宅に帰ってすぐの事、AFの発作が起こった。

常用薬のカプセルを割って飲む自己流の方法、30分経っても効かない。

止む無くかかりつけの病院へ駆けつけ抗不整脈の点滴をしてもらったら治まった。

何だかまたAFが頓発の気配である、やれやれ。

  

今日そのことを妻に言ったら

「大丈夫よ! AFで死ぬことはないから」と腹が据わっている。  

妻は心臓病看護のプロである。

  

梅の花の蕾が膨らみかけていた、春はもう直ぐ・・・

0901281

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