じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

妻の近況

2009年01月23日 | 急性骨髄性白血病

お気楽に作ったブログですが、今では遠く心配している子供達や支えてくれている友人達に、妻の病状などをお知らせすることも、このブログの役割になっています。

    

最近の様子をかいつまんで報告します。09012212

地元の病院に転院してから、一度だけ酷い発熱に見舞われましたが、その後は比較的落ち着いています。

唯一の楽しみにしている週末の自宅外泊(一泊二日)は、これまでのところ一度も欠かさず出来ています。

気分転換になるから 熱がない限りOK、と主治医は言われます。

    

毎週月曜日に赤血球と血小板の輸血をし、週に2回の血液検査で監視しています。

WBC:10002000RBC:200300Hb:89PLT:23 で推移しています。

輸血で保持できているので、数値はのこぎりの刃のように変化しています。

      

ここのところは疼痛緩和治療に専念しています。

両肩から腕にかけての痛みが酷く、これが脚のほうにも出てき始めているようです。

ロキソニンでは効かなくなり、昨年の12月1日から強オピオイド系の鎮痛剤(オキシコンチン)を使い始めました。5mg×2回/日から始め徐々に増量して、今は20mg×2回/日になっています。

さらに痛みに応じてレスキューの頓服(オキノーム)を日に数回、ほぼ疼痛緩和管理はうまくいっているようですが、時折衣服を着るため腕を後ろに廻したときなど激しい痛みに悲鳴を上げることがあります。鈍痛のときなどは二の腕の辺りを摩ってやると気持ちよさそうにしています。

  

副作用による激しい嘔吐と便秘でしたが、よく出来た制吐剤と下剤で助かっています。

眠気は本人も苦にしていなくて、昼も夜も呆れるほど良く眠り、夢かうつつか、うなされていることが多いです。でも目を覚ましている時はしっかりと普通に元気です。

付けっぱなしテレビから音だけ聞いていて、出来事やニュースは良く知っています。  

目が疲れて本は読めません。テレビは「天地人」と「渡・鬼」と「島田紳助の番組」を横になったままで 欠かさず見ているようです。

  

一時は誰とも余り会いたくない、という時期もあったのですが、最近はお見舞いや面会を心待ちにしていて、今日は誰それが来てくれた、面白い話を一杯してくれた、と喜んでいます。病気になって知る友達のありがたさが身にしみて嬉しいと言っています。

笑顔も見せるようになりました(画像)

  

  

  

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週末外泊

2009年01月18日 | 急性骨髄性白血病

昨日きょうと暖かで、春雨のような雨に煙突山がけぶってみえる。

妻は今週も外泊が出来た。

 

昨夜半、二階で寝ている私の携帯が鳴った。

「直ぐに来て」階下の妻からである。

急いで駆け降りると、半泣きで横たわっていた。

ベッドから誤って落ち、手摺差込口の突起部でわき腹を強打したらしい。

見ると擦過傷で出血はしていないのでホッとする。後で内出血が出ないか少し心配。

なにしろ血小板が今 2×104 前後なので出血がもっとも怖い。

安全設計してある病人用ベッドも思わぬ突起(丸めてあるが)があるものだ。

痛み止めの薬を飲むため、起き上がろうとした際にバランスを崩して横へ落ちたのだと言う。

 

その痛みも重なって、昨夜は眠れなかったようだが、心配した内出血もなかった。

今日はお粥を少し食べた後、殆ど眠り続けている。

軽い譫妄なのか、手をかざしたり うわ言が多く、傍で見ていると哀れをよぶ。

目を覚ましている時は割りとしっかりとしていて、お見舞いの方はすっかり安心され

るのだが・・・・起き上がるにも時に介助が必要になっている。

時間の過ぎ去る恐怖と、一方では桜の季節を待ち望んでいる希望、この矛盾。

0901181

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幸せな風景

2008年12月13日 | 急性骨髄性白血病

今朝(土曜)も8時に病院まで迎えに行った。

今の妻はそれだけが唯一の楽しみだといって、週末を待ち望んでいる。

主治医から、「発熱がない限りは週末外泊してもいいですよ、くれぐれも風邪を引かないようにね」と言われ、この3ヶ月欠かさず外泊できてきた。冬場の外泊はリスクが高い。

一度だけ病院で輸血中に40度の高熱を出したことがあったが、それ以外は36度台で推移している。免疫力が極端に低下した中で、よく持ちこたえている。

  

一方、私の方も風邪など引くと、妻の外泊ができなくなるので、涙ぐましいまでに、風邪予防には神経質になっている。買い物など外出するときは必ずマスクをして、帰ってくると手洗いとうがいを絶対に忘れず励行している。喉がイガイガするようなことがあれば、すかさずイソジンでうがいをしている。もちろんインフルエンザ予防注射も済ませた。

0812131_2    

横道に逸れるが、

前の病院の看護師さんから教えてもらったうがいの仕方

うがい薬(水でもいい)を喉に含んで、あ~(ガラガラガラ・・・)、よりも「かーっ」と発音するほうが良いのだそうだ。やってみてなるほどと思った。

   

それほど楽しみにしている自宅での時間、最近はほとんどベッドでまどろんでいることが多い。痛みが減ったが、覚醒の時間が少なくなってきているようだ。

しかし時折、我慢しづらい痛みが襲ってくるそうで顔をしかめている。

早くも薬(オキシコンチン)が足りなくなってきたのかもしれない。

今度は早めに増量してもらうなど相談しなければと思っている。

  

少し調子がいいのよ、と二階の私の書斎? に上がってきた。

洗濯して干していた布団カバーの破れを見つけ、繕っている妻。

伸びてきた髪がモンチッチ風・・・

  

こんな時間が無性に幸せと思える、午後のひととき。

  

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今冬一番(最後?) の寒波

2008年12月06日 | 急性骨髄性白血病

朝の気温は3℃、風花が舞っていた。

部屋の暖房と加湿を早めにしておいて、

いつものように朝8時に病院へ妻を迎えに行く。

すでにパジャマの上にジャージを着て、帰り支度をして待っていた。

更にダウンコートを着てショールを頭から被って・・・もちろんマスクもして

   

地元に帰って3ヶ月、この間、毎週土日の外泊を続けられている。

妻は一週間が待ち遠しく、楽しみにしているのである。

   

今回は余りの寒さなので、「今週だけは外泊を止めようか」と言ったが、

「帰りたいよー!、これが最後になるかも知れないもの・・」いつもの口癖。

 

オキシコンチンは5mg錠 2回/日で始めたが、途中切れ目ができるので、3回/日になった。

さらに急速鎮痛剤のオキノーム散を持たされる。

 

薬のせいか、昼間も眠る時間が多くなった。

帰ると同時に自宅のベッドで穏やかな寝息をたて安心しきったように眠っている。

聞きながらブログを書いている。外は雪、初雪である。

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オキシコンチン

2008年12月02日 | 急性骨髄性白血病

強力な鎮痛剤といえばモルヒネ系のmsコンチン0812021_5

だとばかり思っていましたが、妻に処方されたのは「オキシコンチン」でした。

5mg錠剤を朝と夜の二回、効果は12時間以上持続するそうです。

  

実にロキソニンだけでは取れなかった痛みがほとんど取れて、久しぶりに夜ぐっすり眠れたという。酷かった肩こりや体のだるさも軽減されたようです。

  

紅葉さんが言われていたようにがん性疼痛の苦しみを我慢することは何一つ良いことはないことが実感されました。

  

オキシコンチン(塩酸オキシドコン徐放錠)は日本では2003年7月に発売された比較的新しい経口投与鎮痛剤。それまではmsコンチンが主に使われてきたようです。オキシコンチンはmsコンチンよりも副作用がやや少ないとのこと。どちらも強オピオイド(麻薬)系なので処方が厳格に管理される。

  

あわせてロキソニンも飲み続けるので、胃腸への負担は増し吐き気は相変わらず。便秘も酷くなるのでその薬も増えました。

  

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ロキソニンが効かなくなった

2008年11月30日 | 急性骨髄性白血病

妻が地元の病院へ転院して、2ヶ月半が経過した。月日の経つのが怖いほどに速い。

その間、毎日病院通いし、週末の自宅外泊も欠かさずできている。

  

岡山で治療していた頃に比べれば、本当に恵まれ充実している日々だと思う。

抗がん剤治療から開放されて、見かけ上は一時寛解というのであろうか、体調は落ち着いている。

痛みがないときの妻は顔色もよく、話し声も元気である。

入院以来、初めてお見舞いに来て下さった人たちは一様に驚いている。

多分やつれ果てた姿を想像してくれていたのだろう。

  

しかしいつ何時急変するか予断を許さないと医師からは釘を刺されており、外泊時は特に神経を使っている。免疫力が極端に落ちているので感染がもっとも怖い。とりわけ風邪を引かないこと。

常に室内の気温湿度を最適に保ち、清潔に努め、食事時以外は2人ともマスクをかけている。

それでもお互いにとって、この週末2日間はかけがえのない至福の時間といえる。

  

「私たちほど仲のいい夫婦はいないはずよ、本当に幸せだった」最近妻がよく口にする。

私もできるだけ傍を離れず話をすることにしている。

0811294_3    

しかしこのところは、家に帰っていても痛みや吐き気が周期的に襲ってくることが多い。少し前からロキソニンが余り効かなくなっているのである。

吐き気に苦しんでいるとき、見ているだけで何もしてやれないのは辛い。体力も落ちて座った後など抱えないと起き上がれなくなった。

  

妻も納得して、来週(12/1)から「オキシコンチン」を使うことになった。モルヒネとは違うが強オピオイド鎮痛除放製剤(いわゆる麻薬)である。痛みが取れ楽になってくれるといいが・・・・

  

あすから師走・・・そうでなくても矢のように過ぎていく時期である。

 

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疼痛の進行

2008年11月28日 | 急性骨髄性白血病

妻は首筋と両上腕の痛みがだんだん酷くなり、ロキソニンがあまり効かなくなってきた。

我慢できないような激しい痛みではなく、ひどく痺れたような違和感、動かすと痛みが走るという。

昼間はお見舞いの友人や看護師さんと話しているだけで少しまぎれるが、夜は痛みもさることながら、肩から腕といわず全身のだるさで眠れないらしい。

倦怠感だるさ、不眠、吐き気、食欲不振、気分の落ち込み、孤独感など訴える。

痛みよりも倦怠感だるさが酷いのが白血病の特徴ですと主治医

   

身体的痛みの苦痛は本人にしか解らないが、辛さは私にも見てとれる。

疼痛緩和ケアは最も適切に施されなければならないと希望している。

痛みは直接測定できない。

顔マークの描かれた「痛みの五(六?)段階表示」をもらっている。

表現が曖昧で、ひとりひとりの主観によっても感じ方違うだろうなあ。

  

 0  痛みがない   P1050799_2

1  少しだけ痛い

2  もう少し痛い

3  もっと痛い

4  かなり痛い 

5  もっとも痛い

  

妻の場合は少し控えめに、薬が効いていないと「3」ロキソニンが効くと「1」・・・くらいと言っ てあるらしい。

   

「ロキソニンが効かなくなればモルヒネ系のお薬を併用しましょう、心配ありません、正しく使えば害はありませんし楽になりますよ、でも多分だるさには効かないでしょう」とのこと・・・何とか痛みやだるさから解放して楽にしてやりたい。

フェニタルパッチは「次の段階です」と言われた。

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ハグ

2008年11月23日 | 急性骨髄性白血病

妻は日ごとに弱っていくのが傍目にも感じられる。

両上腕の痛みはだんだん酷くなり、ロキソニン3回/日では効かなくなってきた。

マッサージや肩もみをしてやると一時的に気持ちがいいらしいが、つかの間である。

吐き気も度々起こり、頭痛も訴えるようになった。

やはり早晩には医師の薦めるオピオイド系(モルヒネ)に頼らなければならなくなるだろう。

昨夜、外泊の日の夕方、吐き気が酷く余りにも辛そうな様子を見かねて、病院へ帰ろうかと言うと

「それは嫌、病院では親身に看てくれる人などいない、1人ぼっちで我慢するだけなんだ

から・・・・」

「一日一日弱っていくのが自分でわかる、・・・怖い」と珍しく涙を流した。

鼻をかむと血が滲んでいた。皮膚に出血痕もあり出血しやすくなってきている。

感染を危惧して、めったに手も握らないようにしていたが、そんなことは無視してその時

はぎこちないが思わず「hug」してやった。少し落ち着いて横になった。

古い日本人には欠けているが、これってとても大事なことだね。

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小春日和の午後

2008年11月12日 | 急性骨髄性白血病

かみさんは、このところ胃がもたれて食欲がない。

抗生物質や抗菌剤など10種類にも及ぶ薬を飲んでいるので無理もない。

肩や腕の痛みも日ごとに酷くなってきて、痛み止めを飲むようになった。

「身のおき所がない、しんどい・・・」と訴え滅入ることが多くなった。

窓の外は小春日和、どうせなら病院に居るよりもどこかへ連れてって・・・

外出許可を得て連れ出した。

別子ラインをドライブし、マイントピアへ立ち寄る。

少し歩いただけで疲れる、それでも気分転換できたと喜んでいた。

散策路のこの一隅の景色が好きである。

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小康状態

2008年11月04日 | 急性骨髄性白血病

幸いにも妻はその後、小康状態*が続いていて、唯一の楽しみである週末の外泊もできている。唯一の楽しみといっても、ただソファを並べて日がな一緒にテレビを見ながらぽつぽつと思い出話をしたり、疲れるとベッドに横になるというだけなのだが、なじみの家具に囲まれて、住み慣れた居間に居られるだけで幸せなのだという。

残された一生、一日を一ヶ月と思い大事に生きていきたいと言いながらも、こうして時間は矢のように過ぎ去っていく。

私はこの貴重な時間をどうすればいいか、いかに過ごせば妻にとって一番いいのか考え続けたが、何も思い浮かばない。ただ、二日間はできるだけ傍にいてやるだけ、時に肩を揉んでやったり、だいぶ生え揃ってきた髪を切り揃えてやったりした。

胃もたれがして食欲は小さい。

リクエストで夕食は牛シャブにした。

最上の肉なのに少ししか箸をつけなくて、白菜とスープが美味しいといって食べていた。いつも私が2人分食べる羽目になる。

*白血球 1500前後(好中球 20%程度)

  赤血球 250~280 万、 Hb 7~8

  血小板 2.5~3.5

 ( 1/週 赤血球、血小板輸血 )

0810271

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