昭和18年生まれ、農家育ちである。
当時は米麦の二毛作中心で、野菜は自家用だけでしたね。
麦は余り手間いらずだが、稲作は大変な手間暇がかかっていた。
唯一の僅かな現金収入で、どこも貧しかったように思います。
子供ながら、特に田植えと収穫の農繁期には手伝っていたものです。
学校も2,3 日間の農繁期休みと言うのがあった。
稲作は真夏の田圃作業が特に過酷であったように思います。
稲が枯れてしまう「いもち病」という厄介な病気が蔓延すると皆おろおろした。
ホテイアオイのような雑草は「手押し草取り器」を転がして除草するのです。
やがて稲作用除草剤で駆除できるようになるが、
稲と酷似したヒエは駆除できず、水田を徘徊し見つけ次第引き抜いていった。
夜になるとあちこちに青白い誘蛾灯が有りました。
やがて農薬登場、ウンカなどの害虫駆除には共同で「ホリドール」を散布していた。
もちろんこれだけは大人の仕事でしたが・・・、
真夏にマスク・ゴム手の完全防御でも作業後に体調を崩した人もいた。
強烈な薬剤で、この時期バッタや蛙など田圃や用水路の生き物が居なくなった。
水路もコンクリートで固められて、ホタルなどもこの頃から消えてしまった。
稲穂が実る時期には、当番制で竹筒カーバイド砲をかましながらあぜ道を廻った。
鎌での刈りとり収穫、脱穀も長らく手作業でした。
品定めして米俵に60kg詰めて出荷することでやっとこさ・・・・
今思えば何と過酷な時代でした、
昭和までの農作業は江戸時代のままでしたよ。
今日も手間暇かけて「煮しめ」を作りましたよ。
買い入れた材料を残さず使い切ると大量になりました。2,3日分・・・