
画廊で客の来ない店番をしていると暇だからいろいろと考えてしまう。 例えばどんなにゆっくり時間を掛けて見ていく人でも一つの作品に何分も時間をかけているわけではない。 制作するときには、その何百倍、何千倍の時間がかかっている。

絵を購入するときに一番良い方法は、手元に置いてゆっくり観てから決めるのが理想的だろうが、そうは行かないので一番気に入った作品を第一印象で決める以外ないだろう。 その点、現代はネット上でゆっくり品定めが出来るので便利だ。 もちろんモニターに映し出された映像と原画を直接見るのとでは雰囲気が違うと思うが、選別して的を絞り込むまでは有効な手段だろう。

今回の展覧会の主張の一つは、絵を描かなくても芸術家になれるというものだが、それは別の見方をすれば、上手い下手は別として誰でも芸術作品を作れるということである。 しかも嗜好品という好みの問題を抱えるので、値段の付いた商品価値を持たせるのは難しくなる。

今回のバイセクル・ウィールのリプリカも同じだ、最初に作るのはコロンバスの卵と同じで想像力が必要だが、まったく同じでない似た複製なら誰でも出来る。 アイデアを伝えるための複製と金銭的利益を得るための複製とでは、製作する意図が根本的に違う、もちろん誰もバイセクル・ウィールのリプリカなど買う人はいないだろうが。

しかし製作するには費用がかかる、材料費、光熱費、人件費など必要経費は避けられない。デュシャンも含めて作った人は気に入ったから作ったのであって、始めから費用回収の目的は無かったのだが、かといって売れない作品ばかり作っていてはやっていけない。 などと下らないことを考えて気分が滅入ってきたので早々に画廊を閉めて家に帰ってきた。
