江戸期に「侘助」と呼ばれていたのは
この‘コチョウワビスケ’なんですって
特徴・・・極小輪・一重・猪口咲き
σ(^^)侘助大好きです
最初に侘助を知ったのは、多分お茶席
床の間に一輪
侘助 2題
胡蝶侘助
「侘助」という名の由来 いろいろ
「侘数奇(わびすき)」が転じたとする説
文禄・慶長の役の際、侘助という人物が朝鮮半島から持ち帰ったからという説
(『広辞苑』などはこの説を採用している)
利休と同じ時代の泉州堺の茶人法名吸松斎宗全(後に還俗侘助といつた)が
ひどくこの花を愛玩したところから
「千利休の下働きをしていた侘助という人物に由来する」など。
参照 「草木図譜」さん
「侘数奇(わびすき)」が転じたとする説
文禄・慶長の役の際、侘助という人物が朝鮮半島から持ち帰ったからという説
(『広辞苑』などはこの説を採用している)
利休と同じ時代の泉州堺の茶人法名吸松斎宗全(後に還俗侘助といつた)が
ひどくこの花を愛玩したところから
「千利休の下働きをしていた侘助という人物に由来する」など。
参照 「草木図譜」さん
紅侘助
この椿が咲いていたのは
白洲梅園の奥の隅っこ
あまり見る人も来ないような場所です
勿体ない、、、見てほしいなぁ
名札は見当たりません