昔は、筑豊から船で遠賀川を下り
若松へ石炭を運んできて
ここから全国へ出荷したのだそうです
沖の本船で石炭荷役をする仲士のことを
”ごんぞう” と呼びました。
その名残がごんぞう小屋と呼ばれる建物です
かって明治時代、石炭積出港として隆盛を極めた若松には、
そうした ”ごんぞう”さんが溢れていたそうです
炭鉱の発展を支えていた、ごんぞうたち
当時の炭鉱労働者の活気あふれる仕事ぶり、
力強さや明るさを伝えています
でも、ごんぞう小屋は、あんまりにもきれいな作りなので
どちらかといえば過酷な労働を強いられていた
当時の炭鉱労働者たちは、
果たしてちゃんと休憩をとっていたのかなぁと
疑問も感じられるような、、、(^_-ゞ
若松区は「麦と兵隊」を書いた火野葦平さんの故郷です
ちなみに、火野さんは石炭仲仕業の家に生まれ
従軍作家としての戦争体験をもとにして、戦争小説を描いた方です
故郷と河童を愛した葦平さんの足跡はあちこちでみられます
高塔山に上がってきました
葦平さんの愛した河童が祭られています
この日はアジサイ祭りの日でした