個別支援級で自画像の授業1回目。
個別支援は3年前に、美術と作業の授業でお手伝いに入ったことはあったけど、
自分がメインになって教えるのははじめてだった。
知的、情緒の障がいを持つ7人の子ども達は、
強いこだわりなどを持つ子もいるけれど、転勤されてきた先生の努力によって、
かなりこだわりが減ってきていた。すごい。
何時間も小さなゴミを拾っていたり、物の位置を直していたりするこだわり。
こだわりって減らせるんだとはじめて知った。
きちんと座って挨拶をして、普通級と同じように授業が始まる。
難しすぎないように、けれど基本的なところは押さえられるように心がけた。
昨日、「酒井式」の絵の描き方を夜に復習していた。昔、勉強会で学習した。
リアルな描き方を、ちゃんと一つひとつ順序立てて教えていく酒井式だと、
絵が苦手な子でもある程度のところまで描けるからいいのだけど、
全部が似たような絵になるのが難点だった。というか個別支援級でこの方法が使えるのか。
ただ、個別支援がはじめてだから、どういうアプローチが一番いいのかわからないところもあり、
ある一定のレベルまで持って行ける酒井式をやってみようかと思ったけどやはり迷った。
顔を触りながら描かせるというのをやっていたので、そのことだけを採用した。
あとは出たとこ勝負だ。布団に入りながら、腹をくくった。
朝、そのクラスの子が職員室まで迎えにきてくれる。
鏡と画用紙を持っていたのを、持ってくれようとするのだけど、
手元が危ない感じだった。鏡は自分で持ち、画用紙だけを持ってもらった。
途中で、予想通りその子は画用紙を落としてしまう。鏡だときっと割れていた。
うまく物を持てない子も個別支援級には多い。
自画像というより、似顔絵といったスタンスで始めることにした。
丸い顔かな、四角い顔かな。鏡を見ながら、かつ自分の顔を触ってもらう。
じーっと興味深そうに鏡の中の自分の顔に見入る。
耳はどんな形かな、目はどのへんかな、と触りながら確認したあと、自画像開始。
知的レベルの差はあるから、技能面での差はどうしても出るけれど、
一生懸命描いていた。よく見て描いているせいか、口や鼻、顔があらぬ方向に曲がっていても、
ものすごく特徴をつかんでいてびっくりした。
ほとんど話すことのできない子が笑っている顔を描いた。
あまりに良く特徴をとらえていたので、「すごいね!!!!すごく似てる!」と褒めると、
ものすごく嬉しそうに笑った。心が温かくなる笑顔だった。
そのあともこの子は、黒板に貼られた自分の絵を、何度も何度も見にきたらしい。
ある子は、自分の顔の後ろに何かギザギザしたものを描いた。
「これはなあに?」と聴くと、
「ファイヤー!」と答えた。炎が立ち上っている様子らしい。なるほど。
鏡の中の自分に、赤いオーラが見えたのかもしれない。
ある女の子は、髪の毛がなかなか描けなくて顔だけで止まってしまって、
ハゲてるおじさんみたいになっていた。
可愛いピンで前髪を留めていたから、
ピン描いてないね、ピンで髪を留めてるよね。
髪の毛はいっぱいあるけど、まだ描いてないのね、
髪の毛描かないと、はげちょびんだからピンできない、
というと、こく、とうなずいて、髪の毛を、それを留めてるピンをなんとか描いた。
ピン描けたね、髪の毛生えてきたね~!!というと、髪生えた~!と笑った。
個性豊かな自分の顔が描けた。
でも一人だけ、普通級との境界線にいる子は、うまくないと一人悩みながら描いていた。
これは知的に高いレベルにいるからかなと思っていたけれど、
個別支援の先生は、でも社会に一番なじみにくいのはこういう子なのよ、と後で教えてくれた。
自分の今持っている力や個性を最大限に生かして絵を描いていた子たちは、知的発達の遅れがあったとしても
その個性で生きて行く場があるという。
しかし、境界線上にある子は一番、社会の中で自分が出せず、
引きこもってしまう可能性が高いらしい。
20年以上、個別支援に関わってきた先生のこの言葉は、重い。
今日ほど、自己表現の大切さをひしひしと感じた日はなかった。
しかも、とても楽しかった。
思春期のややこしい子どもたちばかり相手にしているから、素直な感情表現が、心地よかった。
絵の具を使うのも、彫刻刀を使うのも大変かもしれない。
3年前は、本当に大変だった。けど、何か大事なことをいつももらう気がしていた。
ややこしくしてしまった思考をシンプルにして、大切なことを浮き彫りにしてくれる。
これから週1回、この子たちと何かを作っていくけど、
私の中にも、何かが作られていくに違いない。
この人たちに関われて嬉しい、と思う。
英文和訳のようなこの文章が、今日の気持ちに一番ぴったりあてはまる。
はじめまして。
あなた方に会えて、私はとても嬉しいです。
個別支援は3年前に、美術と作業の授業でお手伝いに入ったことはあったけど、
自分がメインになって教えるのははじめてだった。
知的、情緒の障がいを持つ7人の子ども達は、
強いこだわりなどを持つ子もいるけれど、転勤されてきた先生の努力によって、
かなりこだわりが減ってきていた。すごい。
何時間も小さなゴミを拾っていたり、物の位置を直していたりするこだわり。
こだわりって減らせるんだとはじめて知った。
きちんと座って挨拶をして、普通級と同じように授業が始まる。
難しすぎないように、けれど基本的なところは押さえられるように心がけた。
昨日、「酒井式」の絵の描き方を夜に復習していた。昔、勉強会で学習した。
リアルな描き方を、ちゃんと一つひとつ順序立てて教えていく酒井式だと、
絵が苦手な子でもある程度のところまで描けるからいいのだけど、
全部が似たような絵になるのが難点だった。というか個別支援級でこの方法が使えるのか。
ただ、個別支援がはじめてだから、どういうアプローチが一番いいのかわからないところもあり、
ある一定のレベルまで持って行ける酒井式をやってみようかと思ったけどやはり迷った。
顔を触りながら描かせるというのをやっていたので、そのことだけを採用した。
あとは出たとこ勝負だ。布団に入りながら、腹をくくった。
朝、そのクラスの子が職員室まで迎えにきてくれる。
鏡と画用紙を持っていたのを、持ってくれようとするのだけど、
手元が危ない感じだった。鏡は自分で持ち、画用紙だけを持ってもらった。
途中で、予想通りその子は画用紙を落としてしまう。鏡だときっと割れていた。
うまく物を持てない子も個別支援級には多い。
自画像というより、似顔絵といったスタンスで始めることにした。
丸い顔かな、四角い顔かな。鏡を見ながら、かつ自分の顔を触ってもらう。
じーっと興味深そうに鏡の中の自分の顔に見入る。
耳はどんな形かな、目はどのへんかな、と触りながら確認したあと、自画像開始。
知的レベルの差はあるから、技能面での差はどうしても出るけれど、
一生懸命描いていた。よく見て描いているせいか、口や鼻、顔があらぬ方向に曲がっていても、
ものすごく特徴をつかんでいてびっくりした。
ほとんど話すことのできない子が笑っている顔を描いた。
あまりに良く特徴をとらえていたので、「すごいね!!!!すごく似てる!」と褒めると、
ものすごく嬉しそうに笑った。心が温かくなる笑顔だった。
そのあともこの子は、黒板に貼られた自分の絵を、何度も何度も見にきたらしい。
ある子は、自分の顔の後ろに何かギザギザしたものを描いた。
「これはなあに?」と聴くと、
「ファイヤー!」と答えた。炎が立ち上っている様子らしい。なるほど。
鏡の中の自分に、赤いオーラが見えたのかもしれない。
ある女の子は、髪の毛がなかなか描けなくて顔だけで止まってしまって、
ハゲてるおじさんみたいになっていた。
可愛いピンで前髪を留めていたから、
ピン描いてないね、ピンで髪を留めてるよね。
髪の毛はいっぱいあるけど、まだ描いてないのね、
髪の毛描かないと、はげちょびんだからピンできない、
というと、こく、とうなずいて、髪の毛を、それを留めてるピンをなんとか描いた。
ピン描けたね、髪の毛生えてきたね~!!というと、髪生えた~!と笑った。
個性豊かな自分の顔が描けた。
でも一人だけ、普通級との境界線にいる子は、うまくないと一人悩みながら描いていた。
これは知的に高いレベルにいるからかなと思っていたけれど、
個別支援の先生は、でも社会に一番なじみにくいのはこういう子なのよ、と後で教えてくれた。
自分の今持っている力や個性を最大限に生かして絵を描いていた子たちは、知的発達の遅れがあったとしても
その個性で生きて行く場があるという。
しかし、境界線上にある子は一番、社会の中で自分が出せず、
引きこもってしまう可能性が高いらしい。
20年以上、個別支援に関わってきた先生のこの言葉は、重い。
今日ほど、自己表現の大切さをひしひしと感じた日はなかった。
しかも、とても楽しかった。
思春期のややこしい子どもたちばかり相手にしているから、素直な感情表現が、心地よかった。
絵の具を使うのも、彫刻刀を使うのも大変かもしれない。
3年前は、本当に大変だった。けど、何か大事なことをいつももらう気がしていた。
ややこしくしてしまった思考をシンプルにして、大切なことを浮き彫りにしてくれる。
これから週1回、この子たちと何かを作っていくけど、
私の中にも、何かが作られていくに違いない。
この人たちに関われて嬉しい、と思う。
英文和訳のようなこの文章が、今日の気持ちに一番ぴったりあてはまる。
はじめまして。
あなた方に会えて、私はとても嬉しいです。