=原発事故避難者 いわき訴訟が結審=
▼ 正義の司法判断求める
原告3人が陳述
福島地裁で10月10日に福島原発訴訟の一歩前進の判決が出たが、原発関連裁判は続いている。福島地裁いわき支部での原発避難者訴訟が10月11日結審した。その時に行われた原告3人の最終陳述要旨を紹介して、原発事故被災者の思いを共有する。
▼ 割りきれるなら自死などしない
元楢葉町在住Aさん男性(75歳)
原発事故によって私たちの住んでいた地域と社会、住んでいた人々の生活と人生の総てが奪われた。二度と再び元通りになることは、どう考えてもあり得ません。ふる里喪失です。
「原発さえなければ」「事故さえなかったら」、この言葉が胸に刺さらない。これが事故後も変わらない東京電力の正体です。しかし、心ある人間なら届くはずです。
利潤追求最優先が事故の根本原因であることも明らかにされてきました。それでも東電は責任を認めず、私たちが求める償いにも「争う」としています。
1971年福島第一原発1号機運転開始直後から、大小さまざまな事故を次々と起こし、大事故寸前の事故まで隠し、その度に通報遅れを指摘され、その上データーを改ざん・捏造等々が常態化し悪質化していました。
地震・津波がなくても大事故がいつ起きても不思議でない状態が40年、これが福島の原発でした。
原発被害者にも人生の多くの部分を注いできたもの、長い年月をかけてつくりあげてきたものがあります。それを瞬時にして無にさせられて、私たちは自分自身の人格まで否定されたようにも思えるのです。
ふる里を失って、残された人生をどう生きていくか、迷いに迷っています。
事故後一時帰宅した時、街の様子を見て唖然としました、全てを投げ捨てて逃げたそのままの街は死の街そのものでした。牛が、豚が、犬がうろうろしている。そんな様子をだれが想像できるでしょうか。
当初は戻る希望があったが、数年も過ぎると薄れてくる。小高区の自宅周辺は家の解体が進み、光景が変わってしまいました。
我が家はネズミと野生動物で手のつけようもなくなり、昨年11月に解体しました。この家は、家族全員の思いの詰まったものでしたから複雑です。賠償で家を建てればいいではないかでは済まない。そんなに簡単に割り切れるものであれば自死者まででないでしよう。
▼ 泣き寝入りの判決は考えられない
元小高町在住Bさん男性(73歳)
原発事故、そして放射能の恐怖は、先が見えないのが現実です。どんなに低い放射線量であっても、リスクは線量の増加に比例して増加すると思います。
放射性物質を消す、または0にする科学的方法は持ち得ていませんから、自然消滅を待つしかありません。これからも続く、放射能と向き合って生きていかなけれぱならない生涯を考えると、夢も希望もなくなります。
日本は世界で最も多い地震大国であり、台風、大雪と一年中自然災害が加わります。こんなことは原発建設前から分かっていたはずです。
つまり地震、津波は想定できるものであり、想定外などとは言い切れません。死のどん底まで追い詰め、責任も取らず想定外だと逃げ切るなど許されることではありません。
司法は被害者を守ってくれるものと信じて提訴したのです。被害者が泣き寝入りするような判決は考えられません。当裁判は公正な判断に基づいた判決であることを信じております。
私たちは、原発事故による避難生活が人生そのものを破壊してしまった大罪が、正義の司法判断で、正当な判決がされることを、心から信じています。
▼ 正当な判断を求めることが私たちの責任
元楢葉町Cさん女性(53歳)
1年目は無我夢中で、本当に着のみ着のまま逃げた、2年目は不安と葛藤だったと思います。3年目はそれでも先が見えなく、4年目になったらいい加減にしてほしいぐらい限界を超える。
本当にその心境の中でも生きていかなければならなくて、5年目から今日に至って絶望の中でも、やっぱり生きていかなきゃならないから、何とか歯を食いしばっている、皆さんがそういう状況だと思います。こんな惨めな思いをするなんて思いもしませんでした。
これは経験した当事者でなければ理解できないかも知れません。
私たちにとって、未だに避難生活は終了していないと断言いたします。この先、生活拠点定住の判断ができないことについて、当事者以外の方々が疑問に思ったとしても、当事者である私たちは判断できないのです。
歳だけはどんどんとっていく、5年先、10年先、20年先、それとも一生帰れないのか、ずっと悶々とした曖味な喪失感の中にいること自体がつらくて仕方ないのです。決断できない境遇そのものによる苦痛が常にあるのです。
すでに原発事故から7年目です。私たちも事故から7歳の年を取りました。結審・判決を見届けることなく亡くなった原告もいます。
裁判官の方々には、もう二度と私たちのような辛く悲しい原発箏故避難者をつくらせないことを、すべての電力会社に確実に約束させることができるような正義の司法判断をしていただくことが、せめてもの当事者となってしまった私たちの賛任と思い、心からのお願いと信頼をよせるものであります。
『週刊新社会』(2017年11月21日)
▼ 正義の司法判断求める
原告3人が陳述
福島地裁で10月10日に福島原発訴訟の一歩前進の判決が出たが、原発関連裁判は続いている。福島地裁いわき支部での原発避難者訴訟が10月11日結審した。その時に行われた原告3人の最終陳述要旨を紹介して、原発事故被災者の思いを共有する。
▼ 割りきれるなら自死などしない
元楢葉町在住Aさん男性(75歳)
原発事故によって私たちの住んでいた地域と社会、住んでいた人々の生活と人生の総てが奪われた。二度と再び元通りになることは、どう考えてもあり得ません。ふる里喪失です。
「原発さえなければ」「事故さえなかったら」、この言葉が胸に刺さらない。これが事故後も変わらない東京電力の正体です。しかし、心ある人間なら届くはずです。
利潤追求最優先が事故の根本原因であることも明らかにされてきました。それでも東電は責任を認めず、私たちが求める償いにも「争う」としています。
1971年福島第一原発1号機運転開始直後から、大小さまざまな事故を次々と起こし、大事故寸前の事故まで隠し、その度に通報遅れを指摘され、その上データーを改ざん・捏造等々が常態化し悪質化していました。
地震・津波がなくても大事故がいつ起きても不思議でない状態が40年、これが福島の原発でした。
原発被害者にも人生の多くの部分を注いできたもの、長い年月をかけてつくりあげてきたものがあります。それを瞬時にして無にさせられて、私たちは自分自身の人格まで否定されたようにも思えるのです。
ふる里を失って、残された人生をどう生きていくか、迷いに迷っています。
事故後一時帰宅した時、街の様子を見て唖然としました、全てを投げ捨てて逃げたそのままの街は死の街そのものでした。牛が、豚が、犬がうろうろしている。そんな様子をだれが想像できるでしょうか。
当初は戻る希望があったが、数年も過ぎると薄れてくる。小高区の自宅周辺は家の解体が進み、光景が変わってしまいました。
我が家はネズミと野生動物で手のつけようもなくなり、昨年11月に解体しました。この家は、家族全員の思いの詰まったものでしたから複雑です。賠償で家を建てればいいではないかでは済まない。そんなに簡単に割り切れるものであれば自死者まででないでしよう。
▼ 泣き寝入りの判決は考えられない
元小高町在住Bさん男性(73歳)
原発事故、そして放射能の恐怖は、先が見えないのが現実です。どんなに低い放射線量であっても、リスクは線量の増加に比例して増加すると思います。
放射性物質を消す、または0にする科学的方法は持ち得ていませんから、自然消滅を待つしかありません。これからも続く、放射能と向き合って生きていかなけれぱならない生涯を考えると、夢も希望もなくなります。
日本は世界で最も多い地震大国であり、台風、大雪と一年中自然災害が加わります。こんなことは原発建設前から分かっていたはずです。
つまり地震、津波は想定できるものであり、想定外などとは言い切れません。死のどん底まで追い詰め、責任も取らず想定外だと逃げ切るなど許されることではありません。
司法は被害者を守ってくれるものと信じて提訴したのです。被害者が泣き寝入りするような判決は考えられません。当裁判は公正な判断に基づいた判決であることを信じております。
私たちは、原発事故による避難生活が人生そのものを破壊してしまった大罪が、正義の司法判断で、正当な判決がされることを、心から信じています。
▼ 正当な判断を求めることが私たちの責任
元楢葉町Cさん女性(53歳)
1年目は無我夢中で、本当に着のみ着のまま逃げた、2年目は不安と葛藤だったと思います。3年目はそれでも先が見えなく、4年目になったらいい加減にしてほしいぐらい限界を超える。
本当にその心境の中でも生きていかなければならなくて、5年目から今日に至って絶望の中でも、やっぱり生きていかなきゃならないから、何とか歯を食いしばっている、皆さんがそういう状況だと思います。こんな惨めな思いをするなんて思いもしませんでした。
これは経験した当事者でなければ理解できないかも知れません。
私たちにとって、未だに避難生活は終了していないと断言いたします。この先、生活拠点定住の判断ができないことについて、当事者以外の方々が疑問に思ったとしても、当事者である私たちは判断できないのです。
歳だけはどんどんとっていく、5年先、10年先、20年先、それとも一生帰れないのか、ずっと悶々とした曖味な喪失感の中にいること自体がつらくて仕方ないのです。決断できない境遇そのものによる苦痛が常にあるのです。
すでに原発事故から7年目です。私たちも事故から7歳の年を取りました。結審・判決を見届けることなく亡くなった原告もいます。
裁判官の方々には、もう二度と私たちのような辛く悲しい原発箏故避難者をつくらせないことを、すべての電力会社に確実に約束させることができるような正義の司法判断をしていただくことが、せめてもの当事者となってしまった私たちの賛任と思い、心からのお願いと信頼をよせるものであります。
『週刊新社会』(2017年11月21日)
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