【11・28君が代訴訟上告審弁論から】
最高裁判所第一小法廷 御中
1 東京の教育破壊は深化する
「教化」や「調教」ではない「教育の営み」を一刻もはやく取り戻したい
「教室」や「学校」に「憲法」や「子どもの権利条約」を一刻もはやく取り戻したい
私は現在、本裁判を含めて、8件の裁判を抱える身です。提訴がどんなに時間と裁判費用を必要とするか承知していましたが、提訴に踏み切らずにはいられませんでした。それ程、東京の教育破壊は深刻化していました。教員として決して見過ごすことができず、体を張って抵抗せざるをえませんでした。
2003年に、戦後の東京における学校教育史上、前代未聞の驚くべき「憲法否定」「人権無視」の事件が連続して2件起こりました。
ひとつの事件は、都立七生養護学校で子どもたちや青年たちの「命・人権」を守る学習として実践されていた「保健・性教育」「こころとからだの学習」に対する、東京都教育委員会〈都教委〉・三人の都議・サンケイ新聞による不当な介入でした。
当時、子どもたちや青年たちは「性被害」や「性加害」でもがき苦しんでいたのです。「先生助けて!」と叫び、助けを求めていたのです。
それらの状況を受け止め、「何とか未然に防ぎたい」と教員全体で論議のうえに論議を重ねて創りあげた「命の学習」「人権の学習」の授業でした。ここでは、「憲法」と「子どもの権利条約」がとっても大切にされていました。
「保健・性教育」こころとからだの学習」は「生きる権利の総体としての学習」「命の学習」として実践されていました。そしてさらに、保護者や七生福祉園の職員の方たちと共に検討された授業内容でした。
その授業をただの一度も授業参観することなく、「過激」「不適切」「いきすぎ」と決めつけ、教育内容を破壊し、手作り教材を持ち去り、二度と授業の実践ができなくなりました。子どもたちや青年たちの学習権を奪い去りました。
ここでは「学習指導要領の逸脱」として処分されたのですが、2011年9月16日、控訴審判決がでました。原審判決をそのまま認め、都教委・都議に違法の行為があったとして、原告に210万円の損害賠償をするという判決でした。また「学習指導要領逸脱」ではない「望ましい取り組み」と判示されました。教育実践を丁寧に検討された結果のようです。
他の7件の、2003年10.23通達関連の「日の丸・君が代の教育裁判」が思想良心の自由・教育の自由の核心部分に触れず、憲法裁決を避けて何も語ろうとしないのと対照的です。
高裁判決文を引用します。
「…本件学習指導要領が各教科に示す内容についても、示されていない内容を加えて指導することができるとされているほか、これを基に『児童・または生徒の知的発達の遅滞の状況や経験等に応じて、具体的に指導内容を設定する』ものとされているから、各学校の児童生徒の状態や経験に応じ教育現場の創意工夫に委ねる度合いが大きいと解する事ができる。」(判決書86~87頁)
「・・・学校全体として校長を含む教員全体が共通の理解の下に、生徒の実状を踏まえて保護者とも連携しながら、指導内容を検討して、組織的、計画的に性教育に取り組むことは『学校における性教育の考え方・進め方」性教育の手引き』等が奨励するところでありこれに適合した望ましい取り組みであったということができる・・・」(判決書90頁)
しかし、全都的に現在も、学校現場や教育現場では「保健・性教育」「こころとからだの学習」の授業は、不当介入前の創造的授業として再開されず、深刻な状況のままです。
子どもたちや青年たちの「学ぶ権利」が剥奪されたまま、なんと8年もの月日が流れようとしています。ここでも最大の被害者は子どもたちや青年たちです。わたしたちの責任は重大です。
そしてその3ヶ月後、もうひとつの事件が起こりました。2003年10.23通達の強行でした。
これまで、最初の授業として「入学式」を、最後の授業として「卒業式」をどう創っていくかは、全校的論議が不可欠でした。「教育の営み」の具現化だからです。
2003年10.23通達が強行されてない2003年度の入学式までは、教員、子どもたち、青年たち、保護者、七生福祉園の職員たちと論議を重ねながら、一つひとつ丁寧に内容を検討していました。
職員会議は論議の場であり、そこで「教化」や「調教」ではない「教育の営み」を具現化しようと、「入学式・卒業式実行委員会」の提案した実施(案)を丁寧に検討しながら「入学式」「卒業式」を具体的に練り上げていきました。
「入学式」「卒業式」での「日の丸・君が代」の扱いは世論も二分されていて、いろいろな考えがあり、大切な問題であるという全校的な確認があり、毎年9月から職員会議の議題として位置付けて論議を繰り返していました。いろんな人がいろんな意見を出し合い、「教育の営み」「教育論」が展開され充実していました。
管理職(案)から「日の丸を三脚で会場に、君が代はテープで流させてほしい」という案が出されると、異見・異論が飛び交い、論議は熱を帯びます。そして、毎年2月中旬頃に論議の結果、ひとつの結論に達します。
2002年度の「卒業式」や2003年度の「入学式」では、会場で「思想良心の自由があることをきちんと述べ『ご賛同できる方はお立ち下さい』とする」という結論でした。
しかし、2003年10.23通達が強行されますと、学校として一度も論議することなく、2003年度の「卒業式」は「10.23通達」「職務命令」通りのものになってしまったのです。
「教育の営み」から「教化」「調教」に一変させられてしまったのです。職員会議は論議の場でなくなりました。「教育の営み」を検討し具現化する大切な場ではなくなってしまいました。
当時、私は高等部生の担任でした。七生養護学校の高等部では、「日の丸・君が代」の学習が高等部生の全体学習や、学年毎の学年全体学習、各学級でのホームルームで実践されていました。「憲法」「子どもの権利条約」を基軸にしながら、ひとりひとりの思想・良心の自由を守るという視点で実践されていました。
わたしたち教員は、「保健・性教育」「こころとからだの学習」が目指したように、どの授業でも子どもたちや青年たちの「声」や「想い」に耳を傾け、共に学び合うという姿勢を共有していました。なぜなら完全無欠の完壁な授業など、どこにも存在しないからです。常に反省に立ち、論議して実践していく。「教育の営み」は命令や強制からは決して生み出すことはできません。
2003年10.23通達以降、都教委の命令と処分の脅しのなかで、「日の丸・君が代」の学習は制限され、教員たちは心身共に萎縮し、「憲法」や「子どもの権利条約」が揺らぎ始めました。最も大切にしていた*「教育の営み」が「教化」「調教」に一変させられてしまったのです。
現在子どもたちや青年たちへの「日の丸・君が代」の強制は強まり、「旗(日の丸)や・歌(君が代)」が子どもたちや青年たちの「命」や「人権」より尊重されている事実が何校かの養護学校から報告されています。
2 全国行脚からみえたもの
どうしても止めたい東京の教育破壊
全国に拡めたい「味噌づくりと憲法学習会」
私は、驚くべき東京の教育破壊の状況を全国の人たちと共有し、「今わたしたちは、何をしなければならないのか」をとことん対話して行動提起に繋げたいとの決意で、北は北海道から南は沖縄まで全国行脚をしています。
全国行脚をするなかで青年たちの発言から気付いたことがありました。「日の丸・君が代」の学習や「憲法」の学習、そして「子どもの権利条約」の学習をした人たちと、そうした機会がなかった人とはっきりと分かれました。
北海道で生まれ育った青年は、「日の丸・君が代」については憲法の観点で、アイヌ民族については差別の視点で大いに語りました。
沖縄で生まれ育った青年は、「小学校時代『日の丸・君が代』に抵抗する先生たちの姿を見て多くの事を学ぶことができた」と言って、基地問題についても自分はどうするのかという視点で語りました。
青森で生まれ育った青年からは、こんな質問が出ました。「河原井さんどうして『君が代』で不起立するのですか?」そしてこう続けました。「学校で『日の丸・君が代』について何も学んでないし、先生も大きな声で歌ってました。」と。
私は、「河原井さん、どうして『君が代』で不起立するのですか?」の質問にきちんと応えていこうと思い、こんな提案をしました。「憲法を共に学んでみませんか。」
青年たちは、毎年私がしている味噌づくりにも関心を示したので、「味噌づくりと憲法学習会」として2011年1月にスタートしました。その内容は次の通りです。
1回目 「日の丸・君が代」について強制の歴史を学ぶ
2回目 味噌づくりと憲法学習会
「憲法を観る」DVD『はながゆく。』(障がいのあるはなさんが、基本的人権や労働権を行使している内容の記録映画)と討論会
3回目 味噌の天地返しと憲法学習会
「憲法を観る」DVDと討論会
4回目 味噌試食会と憲法学習会
紙芝居「憲法のあゆみ」と討論会 レポートづくり
ここで「憲法」を学んだ青年の一人が、ミニコミ新聞の読者欄に投稿しました(そのまま引用します)。
〈日本新聞2011年8月15日〉
● 憲法は身近なもの生きていくために必要なもの
河原井さん講師による憲法学習会は、一回目同様わかりやすい内容で良かったです。日本国憲法の中で団結権の話がありましたが、僕の会社では本当に社長をはじめとする上層部の恐怖圧力に怯えながら、団結のない環境だと、感じました。僕も会社入社10年目ですから、責任のある仕事を任されてますが、追込みが激しく辛い日々を送っています。
僕は仕事が遅いのでサービス残業で何とかまわってましたが、赤字や節電の影響で残業が出来なくなりました。ノルマが変わらないため休みに家で資料作りをしていますので、気が休まりません。朝の成果報告もあるので、始業時間の一時間半前に出社して、頑張っています。当初は会社にばれるのが怖いのでこっそり出社して30分前にタイムカードを押してましたが、段々あほらしくなり、今では堂々と押しています。会社に対するささやかな抵抗です。
最近「わたげの会」で学んだことを生かして職場いじめで苦しんでいる同僚や新人の人生相談や、カラオケなんかをして励ましています。やや高圧的になってしまって後悔したり、長電話でグッタリすることもありますが、頼りにされているのは嬉しいので続けていきたいです。
今日見たDVDの中で車椅子のハナちゃんの話がすごく印象的でした。障がい者と健常者の壁がほとんどなく、ハナちゃんと仲間たちが本当に仕事とかでも違和感なく過ごしていることに羨ましく感じました。僕の友達に車椅子の女性がいますが、まだ壁があります。コミュニケーションを深めて、ハナちゃんみたいになりたいです。
「憲法」って昔は難しく、右、左の論争の道具にしか感じていませんでしたが、もっと身近で弱者が生きていくために必要なものだと分かりました。「憲法は三回読め」同じことを繰り返して学習して大切な憲法をまもっていこう。
そしてある青年はこんなレポートを書きました(そのまま引用します)。
● 味噌づくりと憲法学習会
若い青年が、河原井さんなぜ「君が代」に不起立するのですか?と質問から、この憲法学習会が始まりました。私も実は同じ質問でした。それは小学生・中学生・高校時代に卒業式・入学式に何も疑問もなく起立していたからです。逆に何故不起立?と思いました。
でもそれが率直な疑問が今考えてみると、大切な事だと思いました。いろいろ話きいてみていくにつれ、不起立することは、実は、日の丸・君が代に反対していること。天皇制で多くの若者が戦争に行かされて命を落とされてしまい、心の中で戦争に行きたくないと思っても、赤紙一枚で行かされてしまった若者達は、その憲法の裏で決められ国の制裁のために、死んで行った若者が二度と戦争に行かなくていい世の中にするよう、反対することが大切だと思いました。
戦争中、鹿児島駅の知らんで特攻隊で多くの青年達が、飛行機で、ガソリン片道だけの燃料だけで、敵の艦隊に人間攻撃で死んでいった“特攻隊”の若者には、死ぬのが日本のため、愛する人の為だと教育され、“自分にあるのは愛する人の為に死ぬこと”だと教えられ、最年少15歳の少年もいたという。“死にたくないと心の中での抵抗しか自由がない“と思う自由しかなかった。だから、憲法9条は決してなくしてはならない、学習して思いました。(H.Y女子)
どんなにすばらしい内容の憲法でも、子どもの権利条約でも、よく学んで日常生活に職場に生かさなければただの紙切れ同様と、青年たちと確認しあっています。
今、私は裁判のみに頼ることなく、教育の破壊によって人権侵害されている「教室」や「学校」の「人権・権利の回復」を求めて全国行脚を続けていきたいと考えています。
3 さいごに
子どもたちや青年たちの人権を守ろうとすればする程累積加重処分
「教室」「学校」から排除される
退職までの4年間は都立八王子東養護学校(特別支援学校)が勤務校でした。肢体不自由の子どもたちや青年たちが学ぶ学校です。4年間という短い間に不当な停職処分を受けて、「子どもたちや青年たち」「授業」から、何と1年3ヶ月半もの間排除されていました(停職1ヶ月〈半月は前任校のもの〉のうちの半月、停職3ヶ月、停職6ヶ月が2回)。精神的にも経済的にも厳しく辛い日々でした。
しかし、残る2年8ヶ月半の間は、子どもたちや青年たちと向き合い、精一杯の授業をしました。一時間一時間を、大切に大切に、授業づくりをしていきました。
その間に社会科見学があり、裁判所に出掛けました。裁判所内で黒色の法衣を着る体験をしました。「法衣はなぜ黒い色なのか」で意見交換をしました。わたしたちの結論は「裁判官は不当な支配や権力に絶対染まらないから」ということになりました。
私が提訴中ということもあり、「裁判について」語る機会がありました。裁判所は「司法の役割としての憲法の具現化」「人権の砦」「三権分立」「法の番人」であると残念ながら語れませんでした。
私は、本件とは別に、最高裁第一小法廷において本年12月12日に弁論日が指定されている裁判の上告人のひとりでもあり、予防訴訟の上告人でもあります。今年の5月30日から7月19日まで、立て続けに9件の最高裁判決(そのうち7件は10・23通達関連の裁判の判決)が出ました。反対意見や補足意見はありますが、それらが判決とはなりえずに、いずれの多数意見も「国旗・国歌に対する起立・斉唱命令を憲法19条に反するものではない」と判断しました。
教育の自由を根拠とする10.23通達・職務命令・懲戒処分の違憲・違法の主張に対しては徹底して判断を避け、何も語ろうとしていません。懲戒権の濫用・逸脱の主張についても、判決のなかで具体的に判断しません。
これらの一連の不当判決が、教育基本条例案等の「大阪の橋下知事による暴走」を助長しています。
裁判所は、原発関連裁判でも、地元の人たちの叫びに耳を傾けず、警告を発している異見・異論を退け、「原発は安心安全」という結論に持ち込みました。今回の福島原発事故は想定内の人災です。それでもまだ「原発は安心安全」と言い続けるのでしょうか。
私はここで強く要望致します。
「10,23通達」及びそれに基づく校長の職務命令が、憲法、教育基本法、子どもの権利条約、国際人権条約等に違反するという点について慎重に審理し、原判決を破棄し、私たちに対する停職処分を取り消してください。
「日の丸・君が代」強制の「10.23」通達関連裁判を、大法廷を開いてロ頭弁論を行い、真摯に審理を尽くしてください。
最高裁判所第一小法廷 御中
◎ 陳 述 書
上告人 河原井純子
1 東京の教育破壊は深化する
「教化」や「調教」ではない「教育の営み」を一刻もはやく取り戻したい
「教室」や「学校」に「憲法」や「子どもの権利条約」を一刻もはやく取り戻したい
私は現在、本裁判を含めて、8件の裁判を抱える身です。提訴がどんなに時間と裁判費用を必要とするか承知していましたが、提訴に踏み切らずにはいられませんでした。それ程、東京の教育破壊は深刻化していました。教員として決して見過ごすことができず、体を張って抵抗せざるをえませんでした。
2003年に、戦後の東京における学校教育史上、前代未聞の驚くべき「憲法否定」「人権無視」の事件が連続して2件起こりました。
ひとつの事件は、都立七生養護学校で子どもたちや青年たちの「命・人権」を守る学習として実践されていた「保健・性教育」「こころとからだの学習」に対する、東京都教育委員会〈都教委〉・三人の都議・サンケイ新聞による不当な介入でした。
当時、子どもたちや青年たちは「性被害」や「性加害」でもがき苦しんでいたのです。「先生助けて!」と叫び、助けを求めていたのです。
それらの状況を受け止め、「何とか未然に防ぎたい」と教員全体で論議のうえに論議を重ねて創りあげた「命の学習」「人権の学習」の授業でした。ここでは、「憲法」と「子どもの権利条約」がとっても大切にされていました。
「保健・性教育」こころとからだの学習」は「生きる権利の総体としての学習」「命の学習」として実践されていました。そしてさらに、保護者や七生福祉園の職員の方たちと共に検討された授業内容でした。
その授業をただの一度も授業参観することなく、「過激」「不適切」「いきすぎ」と決めつけ、教育内容を破壊し、手作り教材を持ち去り、二度と授業の実践ができなくなりました。子どもたちや青年たちの学習権を奪い去りました。
ここでは「学習指導要領の逸脱」として処分されたのですが、2011年9月16日、控訴審判決がでました。原審判決をそのまま認め、都教委・都議に違法の行為があったとして、原告に210万円の損害賠償をするという判決でした。また「学習指導要領逸脱」ではない「望ましい取り組み」と判示されました。教育実践を丁寧に検討された結果のようです。
他の7件の、2003年10.23通達関連の「日の丸・君が代の教育裁判」が思想良心の自由・教育の自由の核心部分に触れず、憲法裁決を避けて何も語ろうとしないのと対照的です。
高裁判決文を引用します。
「…本件学習指導要領が各教科に示す内容についても、示されていない内容を加えて指導することができるとされているほか、これを基に『児童・または生徒の知的発達の遅滞の状況や経験等に応じて、具体的に指導内容を設定する』ものとされているから、各学校の児童生徒の状態や経験に応じ教育現場の創意工夫に委ねる度合いが大きいと解する事ができる。」(判決書86~87頁)
「・・・学校全体として校長を含む教員全体が共通の理解の下に、生徒の実状を踏まえて保護者とも連携しながら、指導内容を検討して、組織的、計画的に性教育に取り組むことは『学校における性教育の考え方・進め方」性教育の手引き』等が奨励するところでありこれに適合した望ましい取り組みであったということができる・・・」(判決書90頁)
しかし、全都的に現在も、学校現場や教育現場では「保健・性教育」「こころとからだの学習」の授業は、不当介入前の創造的授業として再開されず、深刻な状況のままです。
子どもたちや青年たちの「学ぶ権利」が剥奪されたまま、なんと8年もの月日が流れようとしています。ここでも最大の被害者は子どもたちや青年たちです。わたしたちの責任は重大です。
そしてその3ヶ月後、もうひとつの事件が起こりました。2003年10.23通達の強行でした。
これまで、最初の授業として「入学式」を、最後の授業として「卒業式」をどう創っていくかは、全校的論議が不可欠でした。「教育の営み」の具現化だからです。
2003年10.23通達が強行されてない2003年度の入学式までは、教員、子どもたち、青年たち、保護者、七生福祉園の職員たちと論議を重ねながら、一つひとつ丁寧に内容を検討していました。
職員会議は論議の場であり、そこで「教化」や「調教」ではない「教育の営み」を具現化しようと、「入学式・卒業式実行委員会」の提案した実施(案)を丁寧に検討しながら「入学式」「卒業式」を具体的に練り上げていきました。
「入学式」「卒業式」での「日の丸・君が代」の扱いは世論も二分されていて、いろいろな考えがあり、大切な問題であるという全校的な確認があり、毎年9月から職員会議の議題として位置付けて論議を繰り返していました。いろんな人がいろんな意見を出し合い、「教育の営み」「教育論」が展開され充実していました。
管理職(案)から「日の丸を三脚で会場に、君が代はテープで流させてほしい」という案が出されると、異見・異論が飛び交い、論議は熱を帯びます。そして、毎年2月中旬頃に論議の結果、ひとつの結論に達します。
2002年度の「卒業式」や2003年度の「入学式」では、会場で「思想良心の自由があることをきちんと述べ『ご賛同できる方はお立ち下さい』とする」という結論でした。
しかし、2003年10.23通達が強行されますと、学校として一度も論議することなく、2003年度の「卒業式」は「10.23通達」「職務命令」通りのものになってしまったのです。
「教育の営み」から「教化」「調教」に一変させられてしまったのです。職員会議は論議の場でなくなりました。「教育の営み」を検討し具現化する大切な場ではなくなってしまいました。
当時、私は高等部生の担任でした。七生養護学校の高等部では、「日の丸・君が代」の学習が高等部生の全体学習や、学年毎の学年全体学習、各学級でのホームルームで実践されていました。「憲法」「子どもの権利条約」を基軸にしながら、ひとりひとりの思想・良心の自由を守るという視点で実践されていました。
わたしたち教員は、「保健・性教育」「こころとからだの学習」が目指したように、どの授業でも子どもたちや青年たちの「声」や「想い」に耳を傾け、共に学び合うという姿勢を共有していました。なぜなら完全無欠の完壁な授業など、どこにも存在しないからです。常に反省に立ち、論議して実践していく。「教育の営み」は命令や強制からは決して生み出すことはできません。
2003年10.23通達以降、都教委の命令と処分の脅しのなかで、「日の丸・君が代」の学習は制限され、教員たちは心身共に萎縮し、「憲法」や「子どもの権利条約」が揺らぎ始めました。最も大切にしていた*「教育の営み」が「教化」「調教」に一変させられてしまったのです。
現在子どもたちや青年たちへの「日の丸・君が代」の強制は強まり、「旗(日の丸)や・歌(君が代)」が子どもたちや青年たちの「命」や「人権」より尊重されている事実が何校かの養護学校から報告されています。
2 全国行脚からみえたもの
どうしても止めたい東京の教育破壊
全国に拡めたい「味噌づくりと憲法学習会」
私は、驚くべき東京の教育破壊の状況を全国の人たちと共有し、「今わたしたちは、何をしなければならないのか」をとことん対話して行動提起に繋げたいとの決意で、北は北海道から南は沖縄まで全国行脚をしています。
全国行脚をするなかで青年たちの発言から気付いたことがありました。「日の丸・君が代」の学習や「憲法」の学習、そして「子どもの権利条約」の学習をした人たちと、そうした機会がなかった人とはっきりと分かれました。
北海道で生まれ育った青年は、「日の丸・君が代」については憲法の観点で、アイヌ民族については差別の視点で大いに語りました。
沖縄で生まれ育った青年は、「小学校時代『日の丸・君が代』に抵抗する先生たちの姿を見て多くの事を学ぶことができた」と言って、基地問題についても自分はどうするのかという視点で語りました。
青森で生まれ育った青年からは、こんな質問が出ました。「河原井さんどうして『君が代』で不起立するのですか?」そしてこう続けました。「学校で『日の丸・君が代』について何も学んでないし、先生も大きな声で歌ってました。」と。
私は、「河原井さん、どうして『君が代』で不起立するのですか?」の質問にきちんと応えていこうと思い、こんな提案をしました。「憲法を共に学んでみませんか。」
青年たちは、毎年私がしている味噌づくりにも関心を示したので、「味噌づくりと憲法学習会」として2011年1月にスタートしました。その内容は次の通りです。
1回目 「日の丸・君が代」について強制の歴史を学ぶ
2回目 味噌づくりと憲法学習会
「憲法を観る」DVD『はながゆく。』(障がいのあるはなさんが、基本的人権や労働権を行使している内容の記録映画)と討論会
3回目 味噌の天地返しと憲法学習会
「憲法を観る」DVDと討論会
4回目 味噌試食会と憲法学習会
紙芝居「憲法のあゆみ」と討論会 レポートづくり
ここで「憲法」を学んだ青年の一人が、ミニコミ新聞の読者欄に投稿しました(そのまま引用します)。
〈日本新聞2011年8月15日〉
● 憲法は身近なもの生きていくために必要なもの
河原井さん講師による憲法学習会は、一回目同様わかりやすい内容で良かったです。日本国憲法の中で団結権の話がありましたが、僕の会社では本当に社長をはじめとする上層部の恐怖圧力に怯えながら、団結のない環境だと、感じました。僕も会社入社10年目ですから、責任のある仕事を任されてますが、追込みが激しく辛い日々を送っています。
僕は仕事が遅いのでサービス残業で何とかまわってましたが、赤字や節電の影響で残業が出来なくなりました。ノルマが変わらないため休みに家で資料作りをしていますので、気が休まりません。朝の成果報告もあるので、始業時間の一時間半前に出社して、頑張っています。当初は会社にばれるのが怖いのでこっそり出社して30分前にタイムカードを押してましたが、段々あほらしくなり、今では堂々と押しています。会社に対するささやかな抵抗です。
最近「わたげの会」で学んだことを生かして職場いじめで苦しんでいる同僚や新人の人生相談や、カラオケなんかをして励ましています。やや高圧的になってしまって後悔したり、長電話でグッタリすることもありますが、頼りにされているのは嬉しいので続けていきたいです。
今日見たDVDの中で車椅子のハナちゃんの話がすごく印象的でした。障がい者と健常者の壁がほとんどなく、ハナちゃんと仲間たちが本当に仕事とかでも違和感なく過ごしていることに羨ましく感じました。僕の友達に車椅子の女性がいますが、まだ壁があります。コミュニケーションを深めて、ハナちゃんみたいになりたいです。
「憲法」って昔は難しく、右、左の論争の道具にしか感じていませんでしたが、もっと身近で弱者が生きていくために必要なものだと分かりました。「憲法は三回読め」同じことを繰り返して学習して大切な憲法をまもっていこう。
そしてある青年はこんなレポートを書きました(そのまま引用します)。
● 味噌づくりと憲法学習会
若い青年が、河原井さんなぜ「君が代」に不起立するのですか?と質問から、この憲法学習会が始まりました。私も実は同じ質問でした。それは小学生・中学生・高校時代に卒業式・入学式に何も疑問もなく起立していたからです。逆に何故不起立?と思いました。
でもそれが率直な疑問が今考えてみると、大切な事だと思いました。いろいろ話きいてみていくにつれ、不起立することは、実は、日の丸・君が代に反対していること。天皇制で多くの若者が戦争に行かされて命を落とされてしまい、心の中で戦争に行きたくないと思っても、赤紙一枚で行かされてしまった若者達は、その憲法の裏で決められ国の制裁のために、死んで行った若者が二度と戦争に行かなくていい世の中にするよう、反対することが大切だと思いました。
戦争中、鹿児島駅の知らんで特攻隊で多くの青年達が、飛行機で、ガソリン片道だけの燃料だけで、敵の艦隊に人間攻撃で死んでいった“特攻隊”の若者には、死ぬのが日本のため、愛する人の為だと教育され、“自分にあるのは愛する人の為に死ぬこと”だと教えられ、最年少15歳の少年もいたという。“死にたくないと心の中での抵抗しか自由がない“と思う自由しかなかった。だから、憲法9条は決してなくしてはならない、学習して思いました。(H.Y女子)
どんなにすばらしい内容の憲法でも、子どもの権利条約でも、よく学んで日常生活に職場に生かさなければただの紙切れ同様と、青年たちと確認しあっています。
今、私は裁判のみに頼ることなく、教育の破壊によって人権侵害されている「教室」や「学校」の「人権・権利の回復」を求めて全国行脚を続けていきたいと考えています。
3 さいごに
子どもたちや青年たちの人権を守ろうとすればする程累積加重処分
「教室」「学校」から排除される
退職までの4年間は都立八王子東養護学校(特別支援学校)が勤務校でした。肢体不自由の子どもたちや青年たちが学ぶ学校です。4年間という短い間に不当な停職処分を受けて、「子どもたちや青年たち」「授業」から、何と1年3ヶ月半もの間排除されていました(停職1ヶ月〈半月は前任校のもの〉のうちの半月、停職3ヶ月、停職6ヶ月が2回)。精神的にも経済的にも厳しく辛い日々でした。
しかし、残る2年8ヶ月半の間は、子どもたちや青年たちと向き合い、精一杯の授業をしました。一時間一時間を、大切に大切に、授業づくりをしていきました。
その間に社会科見学があり、裁判所に出掛けました。裁判所内で黒色の法衣を着る体験をしました。「法衣はなぜ黒い色なのか」で意見交換をしました。わたしたちの結論は「裁判官は不当な支配や権力に絶対染まらないから」ということになりました。
私が提訴中ということもあり、「裁判について」語る機会がありました。裁判所は「司法の役割としての憲法の具現化」「人権の砦」「三権分立」「法の番人」であると残念ながら語れませんでした。
私は、本件とは別に、最高裁第一小法廷において本年12月12日に弁論日が指定されている裁判の上告人のひとりでもあり、予防訴訟の上告人でもあります。今年の5月30日から7月19日まで、立て続けに9件の最高裁判決(そのうち7件は10・23通達関連の裁判の判決)が出ました。反対意見や補足意見はありますが、それらが判決とはなりえずに、いずれの多数意見も「国旗・国歌に対する起立・斉唱命令を憲法19条に反するものではない」と判断しました。
教育の自由を根拠とする10.23通達・職務命令・懲戒処分の違憲・違法の主張に対しては徹底して判断を避け、何も語ろうとしていません。懲戒権の濫用・逸脱の主張についても、判決のなかで具体的に判断しません。
これらの一連の不当判決が、教育基本条例案等の「大阪の橋下知事による暴走」を助長しています。
裁判所は、原発関連裁判でも、地元の人たちの叫びに耳を傾けず、警告を発している異見・異論を退け、「原発は安心安全」という結論に持ち込みました。今回の福島原発事故は想定内の人災です。それでもまだ「原発は安心安全」と言い続けるのでしょうか。
私はここで強く要望致します。
「10,23通達」及びそれに基づく校長の職務命令が、憲法、教育基本法、子どもの権利条約、国際人権条約等に違反するという点について慎重に審理し、原判決を破棄し、私たちに対する停職処分を取り消してください。
「日の丸・君が代」強制の「10.23」通達関連裁判を、大法廷を開いてロ頭弁論を行い、真摯に審理を尽くしてください。
以上
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