根津公子 著『自分で考え判断する教育を求めて
~「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』(影書房)
評者 永尾俊彦 ルポライター
◆ 教育はだれのもの 現場から問う
教育は児童・生徒のためなのか、国家のためなのか。これが象微的に問われているのが「日の丸・君が代」強制問題だ。
東京都で中学などの教諭だった著者は、卒業式・入学式での「君が代」起立斉唱の職務命令に従わなかったことなどで11回も処分を受ける。
式の主人公は生徒だが、その意見は採り入れず「起立・斉唱しなさい」と指導するのみでは調教だ。日の丸・君が代の歴史を教えた上で、子どもたち自身が考え判断するのが教育だとの信念を著者は貫く。
だが、ある校長は生徒に「君たちの卒業式ではない。日本国の卒業式だ」と言ったという。
校長や都教育委員会は著者を何とか「指導力不足等教員」に仕立て上げようと画策。不起立を繰り返す著者への処分は、減給から停職へと苛酷を極める。
だが、停職処分にされても著者は校門に「出勤」し、教育を諦めない。登校してくる生徒や近隣住民たちと、なぜ起立できないのか対話を続ける。
ある生徒は「先生を見ていて、まちがいと思うことには従わなくていいのだと知った」と著者に語る。
しかし、ついには免職が予測されるまで追い詰められる。だが、教え子や保護者らが著者の支援に連日、都庁に駆け付け、免職にするなと訴え、メディアも都教委を批判、結局、免職は阻止した。都の教育長は地団駄を踏んで悔しがったという。
現行の学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」をうたう。これは著者の言う「自分で考え判断する教育」に似ている。だが、前者は行政が子どもや教員を管理・支配するのが前提だ。
著者は、教員不足が深刻化しているのも文部行政の管理・支配で教員が多忙化、魅力ある職業ではなくなったからだと断じる。忙しい教員はいじめなどに対応できず、不登校の子どもが増える悪循環に陥っている。
子どもが自分で考え、判断する力を引き出す教育こそ公教育の崩壊を防ぎ、復興への道だと著者は身をもって示している。
『しんぶん赤旗(読書欄)』(2024年1月21日)
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