パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

侵略戦争の定義をめぐって2件

2008年11月11日 | 人権
 ◎ 侵略と宣言する侵略はない

 十九世紀、ヨーロッパのアジアヘの植民地進出過程を研究していると、それが「国際貢献」や「開発支援」という美辞麗句に満ち溢れていることに、驚く。
 英国のインド進出は、その典型的な例だ。まずは英国の商交易の拡大に始まり、英国商人が現地社会とのトラブルに巻き込まれると、政府は自国民を守るべきだとの声が高まる。政府の庇護は領事業務から治安まで、最後は派兵して自国民を軍事的に守る。
 加えて、英国人がインド人を西欧式生活様式に導くことは、現地の住民にとって発展であり近代化であり、より良き道への指導だと考えて、その支配は正当化される。英国の支配は国際貢献であり、インドの人たちを救うことだと信じて、疑わない。

 皆さんは、こうした当時の記述を読んで、なんだ昔は案外良いことをしていたんじゃないかと思い直すだろうか。それとも、今行われている国際貢献も、実は怪しいかも、と疑問視するだろうか?他国への侵略の多くは、たいてい「良かれと思って」と言いながら行われる
 ブッシュ米大統領イラク戦争を行ったのはイラクを民主化するためだったし、イラク一九九〇年にクウェートを占領したのは、クウェートの民主化運動を支援するためだった。
 侵略する側が侵略と考えるかどうかが問題なのではない。相手に侵略と見なされることを自覚しないことが、問題なのだ。
 (酒井啓子=東京外国語大学大学院教授)

『東京新聞』(2008/11/8 【放射線】)


 ◎ 濡れ衣国家論


 航空自衛隊の空幕長が、「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」などと主張する論文を書いて、民間の懸賞論文に応募していた。

 「わが国は蒋介石により日中戦争に引き込まれた被害者である」「多くのアジア諸国が(日本の植民統治を)肯定的に評していることを認識しておく必要がある」などと空幕長は主張しているという。
 この「あの戦争は間違いではない。なぜなら侵略ではなく防衛だったのだから」式の論理展開に対しては、「ほとんどの戦争は防衛を大義にしているのだ」と言い返さねばならない。
 植民地主義が全盛である十九世紀までは、土地や労働力や資源の奪取を目論む侵略戦争は確かにあった。でも第一次世界大戦以降、ほとんどの戦争は「やらねばやられる」という危機管理を燃料にしている。少しでも誠実に歴史を学ぼうとする姿勢があるのなら、すぐにわかることのはずだ。
 この論文に対して麻生首相は、「立場が立場だから適切じゃない」と発言した。
 かつて北朝鮮に対して、「敵基地攻撃論」を唱えて先制攻撃を主張した人だけに、立場が違えば適切な発言だと思うとの本音が透けて見える。その意味では首相も同レベル。
 シビリアン・コントロールが聞いてあきれる。(空漠長)

『東京新聞』(2008/11/8 【大波小波】)

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