パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ピアノ不伴奏人事委審理陳述書

2007年05月24日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ♪ もの言える自由裁判 第9回口頭弁論 ♪
  東京地裁620号法廷(20席です)
  6月14日(木)13:30集合(正面玄関前で傍聴抽選)14:00開廷


 ピアノ不伴奏処分取消請求人事委審理(2007/1/27)
陳述書

都立羽村高校 音楽科教諭 池田幹子

 限られた時間の中ですが、少し長い陳述になることをお許しください。私がまず始めに言わなければならないことは、伴奏することにより「君が代」を強制する立場に立たされる音楽教員の苦しさと、東京都教育行政の攻撃の執拗さです。
 「君が代」強制に苦しんで病気になった音楽教員を何人も知っていますが、私自身も病休をとらなければならないのではないかと度々考える状態の中にいます。この問題を考えると涙が止まらなくなり、食事が咽を通らなくなる今の状態は、2003年度の卒業式についての職務命令から始まっています。心身ともに不安にさらされ自分が疲れていると感じます。
 野田正彰教授(関西学院大学:比較文化精神医学)が私の精神状態は「外傷体験が繰り返し繰り返し襲い、遷延化したうつ状態になっている。「日の丸」「君が代」強制は、卒業式、入学式、それ以外の行事でも、毎年毎年繰り返し行われているために、状態が遷延化している。」と国歌斉唱義務等不存在確認訴訟における意見書」に書かれました。
 2003年度を境に教職をやめていった人達、健康を害して病休を取った人たちなどのことを考えると、定年まで残り少ない私は、むしろ恵まれているのかもしれないと考えていましたが、最近は残り2年間をつとめ続けられるかどうかという不安が大きくなっています。

 処分説明書の誤りと手続きの瑕疵について述べます。
処分説明書には、事実と異なる点があります。
 「国歌斉唱の際は定められた楽譜によりピアノによる国歌の伴奏を行うこと」とありますが、「定められた楽譜」というものを渡されもしませんでした。2003年度に前任の豊多摩高校に於いても、2004年度、2005年度に羽村高校に於いても、この戒告処分の時点で一度も「定められた楽譜」というものを私は渡されなかったのであり、その意味では「定められた楽譜による伴奏」はやりようもなかったと言えます。渡されるのを拒否したのではなく、そもそも渡されませんでした。
 4月7日の入学式での「国歌斉唱」の際、教頭は私の隣に来て「弾いて下さい」と言いましたが、私が弾かないと確認するとすぐに放送担当の教員に合図して用意されていたCDを流し、支障なく「国歌斉唱」の伴奏は行われました。校長は入学式後に職員室で教員達に「おかげさまで入学式がとどこおりなく終わりました、ありがとうございました。」とねぎらいました。校長だけでなく他の参列者から見ても滞りなく入学式は行われ、入学式に出席した生徒、保護者、来賓、などの人たちの中で、入学式に何らかの「事故」があったと認識した人はいなかったはずです。来賓として都教委から来ていた指導主事も、入学式後、「君が代」伴奏に何ら言及することもなく平穏に帰っていったと校長から聞いています。
 都立高校全体の3割ほどで、「君が代」伴奏はピアノの生伴奏ではなくCD伴奏で行われています。羽村高校においても前年度(2004年度)の入学式・卒業式ともに私が休んだときにはCD伴奏でした。ピアノの生伴奏でなければ式に支障があるとか公務員としての信用が傷つくというのは、何ら根拠がありません。
 処分手続きにも問題があります。私は弁護士立ち会いのもとでの「事情聴取」を求めて、事前に「申入書」も提出し、呼び出し当日は弁護士とともに事情聴取に臨みましたが、事情聴取は行われませんでした。「本人に対する告知弁明の機会」を奪われたまま、戒告処分が発令されました。私の事情聴取を担当した佐伯指導主事は「公正を確保するための立会人は校長である」と言いましたが、私に対し「服務事故」だと認定して事故報告書を書いたのは校長自身であり、その同じ人物が「公正な立会人」にはなりえない、という私の疑問に何ら答えずに、事情聴取を行いませんでした。つまりこの処分は、正確な事実の把握と適正な手続きを欠いて出されたものであり、その点だけをとっても取り消されるべきものです。

 次に、ピアノ伴奏命令は音楽教員に踏み絵を踏ませるためにほかならないことを述べます。
 「君が代」の音楽としての不自然さ、拙劣さについての違和感を語る時間がないことは残念ですが、私は、音楽家としての良心からも、教育者としての良心からも、「君が代」伴奏をして生徒たちに歌わせたいとは考えません。また「君が代」は高校音楽の教科書にもないし学習指導要領にもなく、「君が代」伴奏は「音楽科教員の職務」ではありません。出来ないといっている人間に無理にやらせなくても、他にも伴奏の出来る教員はいます。1回だけなら自分が伴奏しても良いと言ってくれた教員が羽村高校にも、また前任の豊多摩高校にもいました。羽村高校の清原校長(当時)は2005年度入学式において、「やってもよい」と言っている他の教員に伴奏を頼もうとしました。私はこの話について悩み続けました。自分が弾かずに他の人が弾けばそれでよい、と考えるわけにはゆかず、生徒への強制をどう考えるか、「君が代を弾ける人」としてその人に累を及ぼす結果にならないか、等々、思い悩みました。しかし東京都教育委員会は「音楽教員がいる学校では音楽教員でなければだめ」という返答だったそうで、入学式の何日か前に、「他の人に伴奏を頼む」という話はなくなったと校長から聞きました。
 結局、都教委が「君が代」のピアノ伴奏にこだわるのは、ピアノの生伴奏の方が優れているという考え方によるのではなく、ただ、教員が服従しているかどうかを一人でも見逃さず確認するため、音楽教員に踏み絵を踏ませるために他ならないということだと思います。

 私の心が「君が代・日の丸」を受け入れられない原因のひとつに、戦争の悲惨に対する思いがあります。私の祖父は戦争中に中国東北部で手広く「貿易商」を営んでいたそうですが、敗戦時に民間人ながら捕まり、コーリャン畑を馬で引かれて処刑されたそうです。死後10年くらいたってそのことを祖父の出身県の新聞に書いた人がいて、祖母に伝わりました。小学生だった私もその記事を読みました。家族の衝撃の様子を忘れられませんが、現地の人たちにそれほどに憎まれていたということを次第に考えるようになりました。小学校卒で旧満州での「商売」で大もうけし、軍隊に多額の寄付もして表彰状を沢山飾っていたという祖父の姿は、当時の賛沢な生活を懐かしがる家族たちとともに、まさに大日本帝国の侵略を支えた皇国臣民の姿だったのだろうと思います。この祖父の息子の一人は、長崎の医大で原爆の直撃を受けてなくなりました。父方の別の伯父は軍医でしたが捕虜の生体解剖に関与していたと思われます。祖父や伯父達のことを考えるとき、加害者であることの無頓着と悲惨というものを私は繰り返し考えます。それを考えても「日の丸」に敬礼し「君が代」を伴奏したり起立斉唱することはできないと感じます。

 「君が代」は戦時下に天皇のために死ぬことが最高の国民道徳だと学校で教えた時代に使われた歌です。これを寸分変わらない歌のまま復活させて、意味も曖昧なまま変遷させて学校教育の中で生徒に歌えと教え込むことは、主権在民の憲法に反するだけでなく、生徒たちを騙すことだと感じます。
 この歌を起立斉唱することが強制されるとなれば、大人として、教師として警戒心を持って対処しなければならないのは当然のことだと思います。「国家のために命を投げ出してもかまわない日本人を生み出す」と公言する国会議員たちによって「教育基本法改悪」の道筋が作られ、「防衛省」昇格と新教育基本法が同時に決められた今の時代の流れの中で、学校で「君が代」を強制的に歌わせることの危険性は飛躍的に高まっています。
 強制の目的は生徒たちにあることは明らかです。黙って服従することは結局、生徒たちを権力の前に差し出すことに他なりません。私の仕事は音楽の教員であり、人間の育ちの場にいます。「内心と外部的行為は別だ」などと言う面従腹背の理屈に屈して、自分が人間であることを奪われて、人間の育ちの場の仕事が全うできるとは思えません。
 この思いは、2004年3月の卒業式に直面したときから変わりませんが、度重なる理不尽な強制と処分を経験する中で、自分が人間として立ち続けることの困難さ、精神の危機を感じるようになりました。

 最後に昨年11月の羽村高校30周年記念式典に関して述べます。昨年9月21日に「予防訴訟」の東京地裁判決が出されたにもかかわらず、違憲違法な「君が代」伴奏、起立斉唱の職務命令が出されました。
 この違憲違法な命令に従わなかったことについて、校長は事故報告書を出させられ、人事部服務係による「事情聴取」の呼び出しがありました。12月14日の事情聴取当日、呼び出しておきながら、弁護士立ち会いを私が求めたために事情聴取は行わないまま、担当者は校長を連れていなくなってしまいました。
 そしてその直後に私が弁護士とともに、窓口だと言われた教育情報課に「弁護士立ち会いの下で人権が保障される事情聴取を行ってほしい」と申し入れたことに対して、「職務専念義務違反」だとしてさらに校長に事故報告書を出させる、ということが行われました。二重の処分が予想される事態となっています。
 職務だとして事情聴取に呼び出されている中で突然、「適正な事情聴取」を求める行動が「職務専念義務違反」だとされる、そこまでして人を陥れなければならないものでしょうか。
 仮にも「教育」を名乗る機関がこのようなあり方でよいものなのでしょうか?
 心穏やかに教員が仕事に専念できるよう援助してくれるのが、本来の教育委員会の役割ではないのでしょうか?
 私の思いを述べ尽くすことができませんが、これで陳述を終わります。

コメント    この記事についてブログを書く
« 処分撤回を求めて(40) | トップ | 『君が代・強制』解雇裁判通信 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事