=萩生田文科相が昨春“旗振り”を組織・準備=
◆ 市民が阻止した天皇“奉迎”児童再動員 (月刊 紙の爆弾)
取材・文 永野厚男
広島アジア競技大会時の児童配布下敷を手に講演する、高嶋さん(筆者撮影)
二〇一九年四月二十三日、当時の明仁天皇夫妻が東京都八王子市にある昭和天皇の墓(武蔵野陵)に退位の報告に来た時、八王子市教育委員会の斉藤(いくお)郁央・指導担当部長(東京都教育委員会から主任指導主事として出向中)が電話・メールで沿道の市立小中学校の校長に働きかけ、同市立二小・横山二小・浅川小の児童を沿道での“天皇奉迎”に動員し、日の丸の小旗を振らせてしまった(浅川小は町会自治会からの情報を得、校長の判断で行なった、という)。
公教育の政治的中立性に違反するこの事案は、取材すると萩生田光一(はぎうだこういち)・文科相(当時は自民党幹事長代行。【注】参照)が実質、指示した可能性が高い。
◆ 市教委部長のメール等を受け校長が児童を動員
卒業式等の“君が代”不起立等を理由に、都教委から地方公務員法上の懲戒処分のうち、免職に次ぎ重い停職六カ月処分にされ、〇七年三月の処分に対しては最高裁で勝訴判決を勝ち取った、根津公子・元都立特別支援学校教諭ら市民が今年二月二十三日、八王子市内で「(19年)12月の『天皇奉迎』に子どもたちを動員させなかった報告集会」を開いた。
冒頭の明仁天皇夫妻の八王子訪問に先立つ一九年四月十五日夜、前記・八王子市教委の斉藤郁央氏は沿道の市立小中学校の校長に宛て、「件名“天皇皇后両陛下 昭和天皇山陵に親謁(しんえつ)の儀に伴う八王子奉迎(沿道お迎え)について」と題し、回答を求めるメールを送信した。メールの全文は以下の通り。
教員出身で五十歳代の斉藤氏が、学校多忙化の実態を知っているのに、忙しい学校にしつこく政治案件を持ちかけている実態が浮き彫りになっている。
また、動員した児童に振らせた日の丸の小旗についても、この根津さんのメールが「17日の副校長会において、市教委の指導主事が70本を二小、横山二小の副校長に渡した」旨、記述している。
斉藤氏の動員要請等に応じた三つの小学校校長らは、冒頭の四月二十三日当日、児童を沿道に並ばせ、天皇の車列通過時、日の丸の小旗を振らせたのだ(十二月四日の生活者ネット・前田佳子議員の八王子市議会一般質問で、五つの幼稚園、九つの保育園児も沿道に立たされたことが判明している)。
◆ 萩生田氏が「組織し準備」した旗振り動員
斉藤氏のメールに添付されたPDFのファイル名は、「天皇皇后両陛下八王子奉迎会実行委員会各団体への通知」となっている。
そして、実際このPDFを印刷した文書を見ると、内容は「今上天皇として、最後の御参拝となることからも、(略)市民の皆様と歓迎の意を表したく、(略)より多くの市民の皆様が沿道でお迎えいただけますよう、周知をお願いする(略)」と明記。
その上で、「八王子インター11:00頃、武蔵陵11:25頃」等、天皇の車のおおよその通過・到着点と、「国旗小旗は、当日沿道にて、町会自治連合会の方から配布します。子どもたちが前列でお迎えできるよう御配慮方、お願いします」と、注意書きしている。
また、このPDF文書のタイトルは、「天皇皇后両陛下…」で始まる前記の斉藤氏のメールの「件名」とほぼ同じ(「昭和天皇山陵」の前に「武蔵陵」の三字が入り、「(沿道お迎え)」と「について」の問に「対応」の二字が入った)ものであり、右上の発出者名が「天皇皇后両陛下八王子奉迎会実行委員会代表 秋間利久(あきまとしひさ)」となっている。
だから、私的団体である”奉迎会実行委員会”から直(ちょく)で、市教委に”情報提供”があったのは明白だ。
だが市教委は、斉藤氏のメール送信後、根津さんたちに「町会自治連合会(町自連)→八王子市役所協同推進課→市教委」という迂回ルートで下りてきた、と変更する弁解をした。
市教委のこの弁解は、教育への「不当な支配」を禁じた教育基本法第十六条違反だと糾弾されるのを回避する、小賢(こざか)しい意図が見え見えだ(とはいえ、PDF文書の右下の「問い合わせ先」は、教育センターにある町自連の所在地と電話を明記しているため、”奉迎会実行委員会”と町自連は一体化していると認識している人は少なからずいるので、市教委の弁解は、”頭隠して尻隠さず”だと言えよう)。
「秋間家は私にとっては身内以上の間柄」と一八年三月十六日のプログ『永田町見聞録』に書いている、冒頭の自民党・萩生田光一衆院議員(選挙区は八王子市)は一九年四月二十六日の同プログで、「町自連(略)にも呼びかけ、『両陛下をお迎えする会』を組織し準備をしました。(略)日の丸の小旗4000本はたちまち無くなり、沿道の小学校、幼稚園、保育園の子供たちは手づくりの小旗で集まってくれました」と明記(赤文字は筆者。萩生田氏はこの後一九年九月十一日、文科相に就任)。
秋間氏は町自連の会長でもあるので、旗振りの児童動員はプログの通り、萩生田氏が「組織し準備をし」たと言える。
根津さんは前記二月二十三日の報告集会で、こうした経緯に加え、
①秋間氏との一九年十月四日の面会時、同氏が「町自連としては市教委に要望や要請、強制は一切していない。それはしてはならないことだ(と認識している)」と述べ、
②前記一九年十二月四日の市議会で前田議員の追及に、小柳悟・都市戦略部長が「奉迎活動を市は呼びかけていない。市はむしろ控えている」と答弁した事実も報告した。
①②で秋間・小柳両氏が本音とは思えない”控えめ”な主張をしている理由を根津さんが質すと、両氏とも「奉迎活動は政治的なことだから」と認めたという。
こうなると、市教委が前出の迂回ルートで弁解しても、旗振りの児童動員が前記・教育基本法違反の教育内容への政治介入、即ち政治的中立性違反である疑いは、ますます強まる。
◆ 市民の粘り強い取り組みで十二月三日は動員阻止
根津さんら市民は一九年九月、「『天皇奉迎』に子どもを動員することに反対する八王子市民の会」結成以降、前期①の面会や、市教委・三校校長らとの話し合い、三校の教職員への校門前チラシまき等に取り組んだ成果もあり、一九年十二月三日、現天皇・徳仁(なるひと)夫妻が昭和天皇・大正天皇の墓に即位の報告に来た時、斉藤氏は情報提供と称する動員指示を出さず、子どもたちは動員されなかった。
教育内容への政治介入は、「萩生田氏のような保守系政治家(や支持者)→行政(市役所・市教委)→校長」と下りてくる実態が今回ハッキリしたが、一九年十二月三日前後の萩生田氏プログ等を点検しても、同氏が「沿道に児童を立たせろ」と指示した形跡は一切ない。なぜか?
根津さんは報告集会で「萩生田氏は(教育内容への政治介入が再度、問題になると)自分の政治生命に影響するから、これ以上何かやると得策ではない、と思ったのではないか」と、分析した。
ところで、根津さんが十二月三日夜発信した「今日の八王子『天皇奉迎』」と題するメールは、次のように述べている(一部要約。傍点は筆者)。
これは二校の校長が教育者としての”良心”を取り戻した一瞬であろう。一九年四月二十三日は、”上司”に当たる斉藤氏の言いなりになり、”天皇奉迎”という政治色の濃い動員をやってしまったが、今回は政治的動員に児童を駆り出さず、普通に授業をやれて、内心はほっとしていたのだろう。
◆ 昭和天皇の戦争責任と五輪聖火リレーのまやかし
二月二十三日の報告集会で、根津さんの報告後、講演した高嶋伸欣(のぶよし)琉球大名誉教授は、「一九四五年二月十四日の近衛(このえ)上奏文(急いで降伏し、これ以上の被害を防ぐようにという進言)を、昭和天皇が『もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思ふ』と述べ、『天皇制存続の一条件確認まで待て』と却下したため、同年八月二日の八王子空襲や、広島・長崎への原爆投下を招いてしまった」と、昭和天皇の戦争責任を指摘した(琉球放送が八八年六月二十五日に報じた『遅すぎた聖断~検証・沖縄戦への道』も紹介)。
高嶋さんは、その昭和天皇陵のある八王子でも強行される五輪聖火リレー(注、その後、東京大会組織委員会は延期を決定)について、「トーチを持つランナーが走るのは、せいぜい〇・三~数キロのインスタ映え区間だけ。三〇台八〇〇メートルのトヨタの車列(そのうちの一台に、トーチから火を移したランタンを載せる)が目立つ、五輪利用のまやかしの企業宣伝活動に、子どもたちを動員させないよう、こちらも監視が必要」と述べた。
そして高嶋さんは、「何人も」議会はもとより官公署への請願権がある旨規定した憲法第十六条に基づき、杉並区教委が採択し、一五年当時使用していた、新しい歴史教科書をつくる会系の扶桑社・社会科”教科書”の多くの誤った記述の修正を求めた請願が、同区教委に却下された事案を巡り、係争中の裁判を紹介。
「今回の根津さんらの市教委や校長らへの要請・話し合いは請願権行使の一つ。児童・生徒を含む市民による教委や学校への請願権行使は大切だ」と締め括った。
また”国旗”と書かず「OCA加盟の国・地域のNOC旗」と明記した、広島アジア競技大会組織委員会が一九九四年、児童に配布した下敷を手に、「五輪表彰式では国旗掲揚、国歌演奏」とウソを教える都教委の小中高校生用『五輪学習読本』を批判した。
◆ 指導要領や『解説』は行間に真実あり
ところで文科省が「大綱的基準として法的拘束力あり」とする学習指導要領(以下、指導要領)は、小学校6年社会の「内容」の「天皇の地位」に関し、「内容の取扱い」において、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」と記述。八王子市教委はこれを、昨春の児童旗振り動員”正当化”の根拠にしている。
指導要領のこの、「天皇への敬愛の念」強制の文言は六八年に明記以降、五十年以上変わっていないのに、文科省は○八年の指導要領改訂で、『小学校指導要領解説社会編』(以下、『解説』)の、6年の天皇についての文言を、「国事行為や国会開会式への出席、全国植樹祭・国民体育大会への出席や被災地への訪問・励ましといった各地への訪問などを通して、象徴としての天皇と国民との関係を取り上げ、天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることを理解できるようにする。また、…歴史学習との関連に配慮し、天皇が国民に敬愛されてきたことを理解できるようにすることも大切である」と、突如変更した(九八年の指導要領改訂までは、『解説』に「全国植樹祭…各地への訪問」はなかった)。
『解説』は法的拘束力が全くない参考資料に過ぎないが、(文科省は検定意見を付けていないのに)教科書会社は忖度したのか、一五年四月使用開始の小学校社会科教科書から、多くが天皇の写真キャプションに「れる・られる」「陛下」という尊敬語を用いるようになってしまった。
以上の事実を踏まえ、筆者は質疑の時間に「文科省の官僚は指導要領や『解説』を、政治動向を伺って勝手に書き換えている」と指摘した。
これに関し高嶋さんは、旧文部省が高校社会科解体(地理歴史科と公民科に分断)を強行した八九年の指導要領改訂時、同省の指導要領作成協力者会議(各科目ごとに一五名)のメンバーの一人が、「皆から批判される嫌な仕事もしなければならない」と言い訳しつつ、「あなた方が良いように読み替えられる玉虫色の表現も入れてあるから、それを行間から読み取り、どれだけあなた方が活用するか、です」と語っていたエピソードを紹介した。
【注】 萩生田氏は「日本会議国会議員懇談会」メンバー。ネットによれば一八年時点で事務局長とされる。政治評論家・有馬晴海氏は『週刊ポスト』一八年三月九日号で、「萩生田氏は安部晋三氏が白いといえば黒でも白というほど忠誠心が厚い」と述べている。
※ 永野厚男(ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『月刊 紙の爆弾』(2020年5月号)
◆ 市民が阻止した天皇“奉迎”児童再動員 (月刊 紙の爆弾)
取材・文 永野厚男
広島アジア競技大会時の児童配布下敷を手に講演する、高嶋さん(筆者撮影)
二〇一九年四月二十三日、当時の明仁天皇夫妻が東京都八王子市にある昭和天皇の墓(武蔵野陵)に退位の報告に来た時、八王子市教育委員会の斉藤(いくお)郁央・指導担当部長(東京都教育委員会から主任指導主事として出向中)が電話・メールで沿道の市立小中学校の校長に働きかけ、同市立二小・横山二小・浅川小の児童を沿道での“天皇奉迎”に動員し、日の丸の小旗を振らせてしまった(浅川小は町会自治会からの情報を得、校長の判断で行なった、という)。
公教育の政治的中立性に違反するこの事案は、取材すると萩生田光一(はぎうだこういち)・文科相(当時は自民党幹事長代行。【注】参照)が実質、指示した可能性が高い。
◆ 市教委部長のメール等を受け校長が児童を動員
卒業式等の“君が代”不起立等を理由に、都教委から地方公務員法上の懲戒処分のうち、免職に次ぎ重い停職六カ月処分にされ、〇七年三月の処分に対しては最高裁で勝訴判決を勝ち取った、根津公子・元都立特別支援学校教諭ら市民が今年二月二十三日、八王子市内で「(19年)12月の『天皇奉迎』に子どもたちを動員させなかった報告集会」を開いた。
冒頭の明仁天皇夫妻の八王子訪問に先立つ一九年四月十五日夜、前記・八王子市教委の斉藤郁央氏は沿道の市立小中学校の校長に宛て、「件名“天皇皇后両陛下 昭和天皇山陵に親謁(しんえつ)の儀に伴う八王子奉迎(沿道お迎え)について」と題し、回答を求めるメールを送信した。メールの全文は以下の通り。
関係小・中学校長 様この斉藤氏メールの「標記の件について、先日、私から情報提供させていただいたところですが」とは、一九年四月十二日頃、斉藤氏が学校に電話し、二小校長は「ぜひ学校で対応してもらえないか」と言われたと述べている旨、根津さんの一九年十月二十日の「市教委、横山二小に行った17日の報告」と題する市民の仲間宛のメールで、明らかになっている(二小校長の発言は、根津さんが六月十三日、市立二小に電話した時のこと)。
いつも、大変お世話になっております。
標記の件について、先日、私から情報提供させていただいたところですが、4/23(火)の行幸啓に関する実行委員会からの資料を入手しましたので、添付にてお送りいたします。
学校用の小旗が70本、事前に確保されているとのことです。当日についても、ある程度の小旗が用意されているようですが、必ず全員に配布されるとは限りません。
また、参加の場合、どこでお迎えをするかとのことですが、沿道に出ると、警察等の方からの指示があるとのことですので、そちらに従ってくださいますよう、お願いいたします。
なお、子供は、優先して前列にしてくださるようです。
小旗の対応について検討しますので、お手数ですが、4/18(木)までに斉藤まで、以下の内容についてお知らせ願います。
1 参加の可否
2 参加の場合の人数
3 小旗についての希望(複数校が希望される場合は、70本をお渡しできない場合があります。)
教員出身で五十歳代の斉藤氏が、学校多忙化の実態を知っているのに、忙しい学校にしつこく政治案件を持ちかけている実態が浮き彫りになっている。
また、動員した児童に振らせた日の丸の小旗についても、この根津さんのメールが「17日の副校長会において、市教委の指導主事が70本を二小、横山二小の副校長に渡した」旨、記述している。
斉藤氏の動員要請等に応じた三つの小学校校長らは、冒頭の四月二十三日当日、児童を沿道に並ばせ、天皇の車列通過時、日の丸の小旗を振らせたのだ(十二月四日の生活者ネット・前田佳子議員の八王子市議会一般質問で、五つの幼稚園、九つの保育園児も沿道に立たされたことが判明している)。
◆ 萩生田氏が「組織し準備」した旗振り動員
斉藤氏のメールに添付されたPDFのファイル名は、「天皇皇后両陛下八王子奉迎会実行委員会各団体への通知」となっている。
そして、実際このPDFを印刷した文書を見ると、内容は「今上天皇として、最後の御参拝となることからも、(略)市民の皆様と歓迎の意を表したく、(略)より多くの市民の皆様が沿道でお迎えいただけますよう、周知をお願いする(略)」と明記。
その上で、「八王子インター11:00頃、武蔵陵11:25頃」等、天皇の車のおおよその通過・到着点と、「国旗小旗は、当日沿道にて、町会自治連合会の方から配布します。子どもたちが前列でお迎えできるよう御配慮方、お願いします」と、注意書きしている。
また、このPDF文書のタイトルは、「天皇皇后両陛下…」で始まる前記の斉藤氏のメールの「件名」とほぼ同じ(「昭和天皇山陵」の前に「武蔵陵」の三字が入り、「(沿道お迎え)」と「について」の問に「対応」の二字が入った)ものであり、右上の発出者名が「天皇皇后両陛下八王子奉迎会実行委員会代表 秋間利久(あきまとしひさ)」となっている。
だから、私的団体である”奉迎会実行委員会”から直(ちょく)で、市教委に”情報提供”があったのは明白だ。
だが市教委は、斉藤氏のメール送信後、根津さんたちに「町会自治連合会(町自連)→八王子市役所協同推進課→市教委」という迂回ルートで下りてきた、と変更する弁解をした。
市教委のこの弁解は、教育への「不当な支配」を禁じた教育基本法第十六条違反だと糾弾されるのを回避する、小賢(こざか)しい意図が見え見えだ(とはいえ、PDF文書の右下の「問い合わせ先」は、教育センターにある町自連の所在地と電話を明記しているため、”奉迎会実行委員会”と町自連は一体化していると認識している人は少なからずいるので、市教委の弁解は、”頭隠して尻隠さず”だと言えよう)。
「秋間家は私にとっては身内以上の間柄」と一八年三月十六日のプログ『永田町見聞録』に書いている、冒頭の自民党・萩生田光一衆院議員(選挙区は八王子市)は一九年四月二十六日の同プログで、「町自連(略)にも呼びかけ、『両陛下をお迎えする会』を組織し準備をしました。(略)日の丸の小旗4000本はたちまち無くなり、沿道の小学校、幼稚園、保育園の子供たちは手づくりの小旗で集まってくれました」と明記(赤文字は筆者。萩生田氏はこの後一九年九月十一日、文科相に就任)。
秋間氏は町自連の会長でもあるので、旗振りの児童動員はプログの通り、萩生田氏が「組織し準備をし」たと言える。
根津さんは前記二月二十三日の報告集会で、こうした経緯に加え、
①秋間氏との一九年十月四日の面会時、同氏が「町自連としては市教委に要望や要請、強制は一切していない。それはしてはならないことだ(と認識している)」と述べ、
②前記一九年十二月四日の市議会で前田議員の追及に、小柳悟・都市戦略部長が「奉迎活動を市は呼びかけていない。市はむしろ控えている」と答弁した事実も報告した。
①②で秋間・小柳両氏が本音とは思えない”控えめ”な主張をしている理由を根津さんが質すと、両氏とも「奉迎活動は政治的なことだから」と認めたという。
こうなると、市教委が前出の迂回ルートで弁解しても、旗振りの児童動員が前記・教育基本法違反の教育内容への政治介入、即ち政治的中立性違反である疑いは、ますます強まる。
◆ 市民の粘り強い取り組みで十二月三日は動員阻止
根津さんら市民は一九年九月、「『天皇奉迎』に子どもを動員することに反対する八王子市民の会」結成以降、前期①の面会や、市教委・三校校長らとの話し合い、三校の教職員への校門前チラシまき等に取り組んだ成果もあり、一九年十二月三日、現天皇・徳仁(なるひと)夫妻が昭和天皇・大正天皇の墓に即位の報告に来た時、斉藤氏は情報提供と称する動員指示を出さず、子どもたちは動員されなかった。
教育内容への政治介入は、「萩生田氏のような保守系政治家(や支持者)→行政(市役所・市教委)→校長」と下りてくる実態が今回ハッキリしたが、一九年十二月三日前後の萩生田氏プログ等を点検しても、同氏が「沿道に児童を立たせろ」と指示した形跡は一切ない。なぜか?
根津さんは報告集会で「萩生田氏は(教育内容への政治介入が再度、問題になると)自分の政治生命に影響するから、これ以上何かやると得策ではない、と思ったのではないか」と、分析した。
ところで、根津さんが十二月三日夜発信した「今日の八王子『天皇奉迎』」と題するメールは、次のように述べている(一部要約。傍点は筆者)。
3日が近づいた先週半ば、3校の校長と市教委に問い合わせたところ、校長は「市教委から情報を受けていない。立たせるつもりはない」と述べ、市教委は「情報を提供していない」との回答だった。2校の校長は接客中とのことで、夕刻再び電話を入れようとしていた矢先、両校長が私に電話をくれた。お二人とも非常に明るい声だった。筆者が注目したいのは、二校の校長が十二月三日は児童を動員しなくてすむ旨、根津さんに電話した時の「非常に明るい声」だ。
市教委には毎日問い合わせた。2日19時の返事は、「市道路交通部長名で、『3日の9時から12時は安全に気を付けるように』とのメールが市教委に来たので、それをそのまま全小中学校に転送した」
「4月の時は、斉藤氏の名で参加の有無、参加人数、小旗についての希望を市教委に報告するよう書いたが、今回はどうしたのか」と問うと、「今回は書いていない。そのまま転送した」。
3日の朝、「学校から質問や報告は上がったか」と問うと、「何も来ていない」とのことだった。
これは二校の校長が教育者としての”良心”を取り戻した一瞬であろう。一九年四月二十三日は、”上司”に当たる斉藤氏の言いなりになり、”天皇奉迎”という政治色の濃い動員をやってしまったが、今回は政治的動員に児童を駆り出さず、普通に授業をやれて、内心はほっとしていたのだろう。
◆ 昭和天皇の戦争責任と五輪聖火リレーのまやかし
二月二十三日の報告集会で、根津さんの報告後、講演した高嶋伸欣(のぶよし)琉球大名誉教授は、「一九四五年二月十四日の近衛(このえ)上奏文(急いで降伏し、これ以上の被害を防ぐようにという進言)を、昭和天皇が『もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思ふ』と述べ、『天皇制存続の一条件確認まで待て』と却下したため、同年八月二日の八王子空襲や、広島・長崎への原爆投下を招いてしまった」と、昭和天皇の戦争責任を指摘した(琉球放送が八八年六月二十五日に報じた『遅すぎた聖断~検証・沖縄戦への道』も紹介)。
高嶋さんは、その昭和天皇陵のある八王子でも強行される五輪聖火リレー(注、その後、東京大会組織委員会は延期を決定)について、「トーチを持つランナーが走るのは、せいぜい〇・三~数キロのインスタ映え区間だけ。三〇台八〇〇メートルのトヨタの車列(そのうちの一台に、トーチから火を移したランタンを載せる)が目立つ、五輪利用のまやかしの企業宣伝活動に、子どもたちを動員させないよう、こちらも監視が必要」と述べた。
そして高嶋さんは、「何人も」議会はもとより官公署への請願権がある旨規定した憲法第十六条に基づき、杉並区教委が採択し、一五年当時使用していた、新しい歴史教科書をつくる会系の扶桑社・社会科”教科書”の多くの誤った記述の修正を求めた請願が、同区教委に却下された事案を巡り、係争中の裁判を紹介。
「今回の根津さんらの市教委や校長らへの要請・話し合いは請願権行使の一つ。児童・生徒を含む市民による教委や学校への請願権行使は大切だ」と締め括った。
また”国旗”と書かず「OCA加盟の国・地域のNOC旗」と明記した、広島アジア競技大会組織委員会が一九九四年、児童に配布した下敷を手に、「五輪表彰式では国旗掲揚、国歌演奏」とウソを教える都教委の小中高校生用『五輪学習読本』を批判した。
◆ 指導要領や『解説』は行間に真実あり
ところで文科省が「大綱的基準として法的拘束力あり」とする学習指導要領(以下、指導要領)は、小学校6年社会の「内容」の「天皇の地位」に関し、「内容の取扱い」において、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」と記述。八王子市教委はこれを、昨春の児童旗振り動員”正当化”の根拠にしている。
指導要領のこの、「天皇への敬愛の念」強制の文言は六八年に明記以降、五十年以上変わっていないのに、文科省は○八年の指導要領改訂で、『小学校指導要領解説社会編』(以下、『解説』)の、6年の天皇についての文言を、「国事行為や国会開会式への出席、全国植樹祭・国民体育大会への出席や被災地への訪問・励ましといった各地への訪問などを通して、象徴としての天皇と国民との関係を取り上げ、天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることを理解できるようにする。また、…歴史学習との関連に配慮し、天皇が国民に敬愛されてきたことを理解できるようにすることも大切である」と、突如変更した(九八年の指導要領改訂までは、『解説』に「全国植樹祭…各地への訪問」はなかった)。
『解説』は法的拘束力が全くない参考資料に過ぎないが、(文科省は検定意見を付けていないのに)教科書会社は忖度したのか、一五年四月使用開始の小学校社会科教科書から、多くが天皇の写真キャプションに「れる・られる」「陛下」という尊敬語を用いるようになってしまった。
以上の事実を踏まえ、筆者は質疑の時間に「文科省の官僚は指導要領や『解説』を、政治動向を伺って勝手に書き換えている」と指摘した。
これに関し高嶋さんは、旧文部省が高校社会科解体(地理歴史科と公民科に分断)を強行した八九年の指導要領改訂時、同省の指導要領作成協力者会議(各科目ごとに一五名)のメンバーの一人が、「皆から批判される嫌な仕事もしなければならない」と言い訳しつつ、「あなた方が良いように読み替えられる玉虫色の表現も入れてあるから、それを行間から読み取り、どれだけあなた方が活用するか、です」と語っていたエピソードを紹介した。
【注】 萩生田氏は「日本会議国会議員懇談会」メンバー。ネットによれば一八年時点で事務局長とされる。政治評論家・有馬晴海氏は『週刊ポスト』一八年三月九日号で、「萩生田氏は安部晋三氏が白いといえば黒でも白というほど忠誠心が厚い」と述べている。
※ 永野厚男(ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『月刊 紙の爆弾』(2020年5月号)
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