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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「ここから裁判」原告たちの闘い

2010年02月27日 | ノンジャンル
 ☆ 「ここから裁判」高裁 第4回口頭弁論
 4月20日(火)15:00~ 東京高裁101号法廷


 ★ 「ここから裁判」原告たちの闘い
2月26日 「予防訴訟」「ここから裁判」交流集会
「ここから裁判」原告 日暮かをる

 1.はじめに

 七生養護学校が小学部、中学部、高等部の学校全体で性教育を実践するに至るには、背景がありました。
 年齢に関わらず、性の問題だけでなく暴力暴言をくり返す子どもたちの姿に、当時の教員たちは自分遠も傷つきながら、どうしたら荒れる子どもたちに声が伝わるのか、優しさが届くのか、試行錯誤の日々でした。
 「命」としてそこに存在している子どもたちを否定しない、「命」の意味を穏やかな空間や人間関係の中で実感させたい、教員たちのそんな願いが「こころとからだの学習」(性教育)を発展させていきました。
 教員たちの中にようやく実践の方向が見え始めた矢先、一方的な教育介入事件が起き、教材が持ち去られ、不適切な教育との烙印を押されてしまったのです。
 脅しと強権で教育現場を踏みにじることが、こんなにも簡単に出来てしまうか!そのことを毎日のように目の当たりにして、恐怖と怒りが職場には満ちていました。
 裁判を通し、原告一人ひとりが子どもに対する思い、教育観、事件の中で奪われてしまったものの大きさなどを文章にし、声にして訴えてきました。
 (略)

 《資料》 意見陳述抜粋
 私の子どもはダウン症です。知的障害があり、言葉だけでコミュニケーションをとることは難しく、身振り手振りを交えたり、よく聞き取れない言葉は書かせたり、それでもわからないときは普段の生活の中からいいたいことの見当をつけたりしています。
 子どもが中学部に入り性教育の授業が始まりました。まだ身障学級にいた小学生の頃、外出の際何かあっても一緒にトイレに入るわけにいかない女親として、排泄指導にも苦労していました。父親もあまり頼りにはならなかったので、より難しい対応が必要な年齢にもなり、ありがたいと思いました。
 私は、知的発達は遅れていても、ひげが生えてきたり、精通を迎える、思春期の身体の変化は年齢どおり順調に訪れていることに戸惑いを感じていました。一体この子たちにどんな授業をと思っていました。しかし、七生養護のこころとからだの学習は、子どもに、人として大切なことを教えてくれました。
 どの授業も、子どもの今の生活の中で生かされています。妊娠、出産で赤ちゃんを愛しむ気持ち、妊婦さんの大変さを学んだことは、彼の兄に子どもができたとき大いに発揮されました。
 その赤ちゃんを預かったときに、泣き止まない姪の背中を、彼は優しくとんとんとしていました。
 また、父親と旅行に行ったとき知らぬ間に、彼がお土産を買っていたこともありました。まだ赤ちゃんなのにキーホルダーでしたが、彼の兄は「気持ちが嬉しいよ」と言ってくれました。
 子どもだけではありません。こころとからだの学習は、親である私にも、大切なことを教えてくれました。
 私たち保護者は、「さわやかUP」という通信を通じて、こころとからだの学習の具体的な内容、そしてその授業の時の子どもの反応を、事前と事後にきちんと報告してもらい、どのような授業が行われているのかきちんと知ることができていました。
 障がい児は、お世話されるばかりの存在と見られ、「大変ね」「頑張ってね」といわれることが多いのが現状です。
 親自身、愛情はあっても時にはわが子のことを、お荷物に感じてしまうこともあり、そのことに、罪悪感を感じてしまったり、また何もかも丁寧に手をかけ続けることに疲れてしまうこともありました。
 七生養護学校のこころとからだの学習は、障がいを持つ子どもを、お世話されるだけじゃない、お荷物ではなく、ちゃんと心のある一人の人間として扱ってくれる授業でした。
 その授業は、子どもは障がいを持っていても決してお荷物なんかじゃない、ちゃんと心のある一人の人間なんだと、親である私にも教えてくれました。
 7月9日報道後、初めての全校保護者会がにありました。保護者会の中では、「なぜあのような取材を許したのか」「決して過激な内容ではなかった」等ほぼ全員が記事の内容に怒っていました。
 また、保護者会の後、問題にされた教材を見せて欲しいと保健室の先生にお願いをしましたが、すでに都教委が持っていってしまったということで、ファイルされていた写真を見ました。
 「何が問題なのか」「どこがいけないのか」「わかりやすくできている」という声が次々に出席した保護者の間からあがりました。
 どこが問題なのかわからず保健室の先生に聞くと「性器がついているからダメなんだって」ということでした。性器がついていなくてどうやって性教育するのだろうと、男女の違いや排泄指導はどうするのだろうと思いました。言葉だけではイメージできない子どもたちにどう説明するのかと思いました。
 その後数回開かれた全校保護者会の時も、保護者は、学習内容を理解していたことを伝え、教材の必要性を訴えました。
 「どこが不適切なのか教えて欲しい」「教材は早く返して欲しい」とお願いしました。しかし、その場に来ていた副参事は私たちが知りたいことには全く答えてくれませんでした。
 授業を見たこともないのに一方的に不適切と決め付ける態度に怒りを感じました。

 この事件の後、授業参観がありました。
 見てわかりやすい具体的な教材もなく、教頭先生立会いのもとまるで見張られているかのような授業が行われていた時もありました。
 わが子の学年は4グループあったので3人の教頭先生は出たり入ったりお忙しそうで子どもたちは落ち着かない様子でした。
 今、私が望むのは、七生養護のこころとからだの学習が、「過激性教育」などではなかったことを、多くの方に知っていただくことです。
 この事件がおきてから、子どもたちの問題行動がきっかけになり、きちんとした性教育をしなければならないということから「こころとからだの学習」が整備されたことを知りました。
 子どもたちが問題行動を起こしたり、性の被害者や加害者にならないように、また、子供たちが自分に自信を持ち、他人とのかかわり方、マナーを学び、他人を思いやる心を育むために、こころとからだの学習を正々堂々とおこなえるようになって欲しいと思います。

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