◎ 2,PISA2006を通して見えてきたものとは(2)
~ イギリスに見習うことはさらなる「低学力」への道だ
■ 体験と離れた学力持ちつつ
岡島 PISA〇六の結果では、どの分野も順位が下がったこと、また学習意欲が最下位であったことが指摘されているが、公表された結果で注目すべきことは。また、結果から見える課題は。
福田 日本の子どもたちの実力は下がっていない。PISA二〇〇三と〇六で科学の同一問題は二十二題あり、両者とも六〇%の正答率で変化はない。
下がったように見えるのは、日本より得点の高い新規加盟国があったことと、今までに測定されていない能力を詳しく調べた結果だ。
今回のPISA調査は、科学的リテラシーを特に詳しく調べた。「科学的な疑問を認識する」「現象を科学的に説明する」「科学的証拠を用いる」という三ステップにわけて学力(コンピテンシー)を測定した。
第一段階の「科学的な疑問を認識する」とは、科学で解決つくだろうか、何が科学なのか、科学が扱うものは何なのかと、科学で解決つくことを見極めることだ。この段階に関する日本の得点は五百二十二、順位は八位だ。
第二段階の「現象を科学的に説明する」とは、起こったことがらを科学のことば・概念を使って、科学の論理で考えること。日本の得点は五百二十七、順位は七位だ。
『東京新聞サンデー版』(2008年1月20日)【大図解】学力と教育環境(No.820)
第三段階の「科学的証拠を用いる」とは、結論や公式を指定された場面で応用、活用すること。日本の得点は五百四十四、順位は二位だ。この段階になると、教科書の中で科学的な知識として整理されており、それを覚えて練習問題を解いているので、日本や韓国はとてもよくできている。知識や公式を、指定された問題状況に対して応用・活用する力は高い。
日本の子どもは実体験から離れて、練習した問題に類似した設問を解く応用力はある。かつてのように、この部分だけを取り出せば、日本は依然、世界二位となる。順位が下がったと言うより、前からできなかっただけ、測っていなかっただけかも知れないわけだ。
深刻なのは、この点に関して、OECD事務総長は、「生徒が単に科学的知識を記憶し、その知識とスキルを再現することだけを学習しているのだとすれば、多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適した人材育成を主に行なうリスクを冒していることになる」と警告した点だ。
今はともかく二十年後の日本は心配だとも言っていた。こういうことを、日本の教育行政は学ぶべきだ。
岡島 フィンランドは、どの分野でも常に上位を占めた。福田さんはフィンランドの教育に関して、『競争をしなくても世界一』『競争をやめたら学力世界一』『競争しても学力行き止まり』などの著書があるが、フィンランドはどんな教育をしているのか。
福田 答えを教え込む教育とか、正解を覚える学習をしていない。十六歳まで他人と比べるようなテストはなく、点数や順位のための勉強はしない。子どもは将来や生活を考えながら自ら学び、教員は一人ひとりに合わせ支援する。教員が質の高い授業ができるように、工夫が生かされるように現場に自由が与えられ、授業準備に専念できる勤務条件になっている。
PISA調査は、これまで何を学んだかではなくこれから何ができるのかを測ろうとしたので、ちょうどこのフィンランドの子どもたちの学びが探求的かつ実践的であることを発見したというわけだ。
■ 点数主義こそ「低学力」の道
岡島 いま日本は、ナショナルテストの結果を公表、点数競争で「学力」をつけようとするイギリスのサッチャー「教育改革」の道を歩もうとしているようだが、イギリスの教育の現状は?PISA調査に成果が見られるのか。
福田 日本の学力は低下したと報道じられるが、PISA調査の十年を振返ると面白いことがわかる。
イギリスはPISA二〇〇〇年と〇六を比較すれば、読解力では五百二十三点(七位)から四百九十五点(十三位)へ、数学的リテラシーは五百二十九点(八位)から四百九十五点(十八位)へ、科学的リテラシーは五百三十二点(四位)から五百十五点(九位)へと、得点、順位とも下げた。
「低学力」批判論者が理想とする、実力と競争の国アメリカも得点、順位とも下げた。日本の順位が下がったと、言うなら、米英の「学力低下」はもっと深刻なわけだ。
テスト競争で成績管理する教育は失敗と明言できる。サッチャー教育改革はテスト競争、成果主義、個人・学校・地域の序列付け、教員評価、学校選択の一連の教育システムをつくり出した。しかし、国際学力調査で見る限り、得点と順位の向上を目的とし、得点を唯一の教育指標とした二十年に及ぶテスト教育体制、いわゆるサッチャー教育改革は失敗したと見る他ない。これを見習おうというのは、さらなる「低学力」への道だ。
岡島 いま「教育再生」と称して、全国学力・学習状況調査、学校の第三者評価さらには教育バウチャー制など競争を煽る教育施策が打出されているが、PISA〇六をふまえ、学校現場で大切にしていかなければならないことは。
福田 長い目で見て、人間を育てていくという教育制度が必要だ。教員が教えることに意欲的にとりくみ、感動をもって教えられるように、教材研究・開発、授業準備など教員の学びを十分に保障することが大切だ。少人数学級にして、個々の子どもの学力を日々把握し、つまずきにはいつでも対応できるようにすることが土台だ。
また、授業の基本原則は、答えを押しつけない、問いを起こさせ考え抜く授業をする、基礎・基本を底上げする、長い目で人を育てる、ということでよいと思う。その先は知識はオープンであるという哲学が待っているが、日本ではそれを議論するのはまだ難しい。
知識を覚える教育が、考えさせない教育になっていたのではないか、日本の子どもたちは考えないよう育てられているのではないか、この点が、PISA調査が一貫して明らかにしたことではないか。
岡島 競争に拍車をかける「教育改革」の流れの中で、「点数学力」に一喜一憂せず、子どもたちが自立し、生活・社会で生きてはたらく「ゆたかな学力」を大切にすることが重要だと再確認できた。狭義の「学力」に特化した動きに対し、地域や子どもの実態に応じ、子どもが主体となる学びや、意欲につながる実践をすすめたい。(了)
『月刊JTU』FEB/2008(Special Edition)
~ イギリスに見習うことはさらなる「低学力」への道だ
■ 体験と離れた学力持ちつつ
岡島 PISA〇六の結果では、どの分野も順位が下がったこと、また学習意欲が最下位であったことが指摘されているが、公表された結果で注目すべきことは。また、結果から見える課題は。
福田 日本の子どもたちの実力は下がっていない。PISA二〇〇三と〇六で科学の同一問題は二十二題あり、両者とも六〇%の正答率で変化はない。
下がったように見えるのは、日本より得点の高い新規加盟国があったことと、今までに測定されていない能力を詳しく調べた結果だ。
今回のPISA調査は、科学的リテラシーを特に詳しく調べた。「科学的な疑問を認識する」「現象を科学的に説明する」「科学的証拠を用いる」という三ステップにわけて学力(コンピテンシー)を測定した。
第一段階の「科学的な疑問を認識する」とは、科学で解決つくだろうか、何が科学なのか、科学が扱うものは何なのかと、科学で解決つくことを見極めることだ。この段階に関する日本の得点は五百二十二、順位は八位だ。
第二段階の「現象を科学的に説明する」とは、起こったことがらを科学のことば・概念を使って、科学の論理で考えること。日本の得点は五百二十七、順位は七位だ。
『東京新聞サンデー版』(2008年1月20日)【大図解】学力と教育環境(No.820)
第三段階の「科学的証拠を用いる」とは、結論や公式を指定された場面で応用、活用すること。日本の得点は五百四十四、順位は二位だ。この段階になると、教科書の中で科学的な知識として整理されており、それを覚えて練習問題を解いているので、日本や韓国はとてもよくできている。知識や公式を、指定された問題状況に対して応用・活用する力は高い。
日本の子どもは実体験から離れて、練習した問題に類似した設問を解く応用力はある。かつてのように、この部分だけを取り出せば、日本は依然、世界二位となる。順位が下がったと言うより、前からできなかっただけ、測っていなかっただけかも知れないわけだ。
深刻なのは、この点に関して、OECD事務総長は、「生徒が単に科学的知識を記憶し、その知識とスキルを再現することだけを学習しているのだとすれば、多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適した人材育成を主に行なうリスクを冒していることになる」と警告した点だ。
今はともかく二十年後の日本は心配だとも言っていた。こういうことを、日本の教育行政は学ぶべきだ。
岡島 フィンランドは、どの分野でも常に上位を占めた。福田さんはフィンランドの教育に関して、『競争をしなくても世界一』『競争をやめたら学力世界一』『競争しても学力行き止まり』などの著書があるが、フィンランドはどんな教育をしているのか。
福田 答えを教え込む教育とか、正解を覚える学習をしていない。十六歳まで他人と比べるようなテストはなく、点数や順位のための勉強はしない。子どもは将来や生活を考えながら自ら学び、教員は一人ひとりに合わせ支援する。教員が質の高い授業ができるように、工夫が生かされるように現場に自由が与えられ、授業準備に専念できる勤務条件になっている。
PISA調査は、これまで何を学んだかではなくこれから何ができるのかを測ろうとしたので、ちょうどこのフィンランドの子どもたちの学びが探求的かつ実践的であることを発見したというわけだ。
■ 点数主義こそ「低学力」の道
岡島 いま日本は、ナショナルテストの結果を公表、点数競争で「学力」をつけようとするイギリスのサッチャー「教育改革」の道を歩もうとしているようだが、イギリスの教育の現状は?PISA調査に成果が見られるのか。
福田 日本の学力は低下したと報道じられるが、PISA調査の十年を振返ると面白いことがわかる。
イギリスはPISA二〇〇〇年と〇六を比較すれば、読解力では五百二十三点(七位)から四百九十五点(十三位)へ、数学的リテラシーは五百二十九点(八位)から四百九十五点(十八位)へ、科学的リテラシーは五百三十二点(四位)から五百十五点(九位)へと、得点、順位とも下げた。
「低学力」批判論者が理想とする、実力と競争の国アメリカも得点、順位とも下げた。日本の順位が下がったと、言うなら、米英の「学力低下」はもっと深刻なわけだ。
テスト競争で成績管理する教育は失敗と明言できる。サッチャー教育改革はテスト競争、成果主義、個人・学校・地域の序列付け、教員評価、学校選択の一連の教育システムをつくり出した。しかし、国際学力調査で見る限り、得点と順位の向上を目的とし、得点を唯一の教育指標とした二十年に及ぶテスト教育体制、いわゆるサッチャー教育改革は失敗したと見る他ない。これを見習おうというのは、さらなる「低学力」への道だ。
岡島 いま「教育再生」と称して、全国学力・学習状況調査、学校の第三者評価さらには教育バウチャー制など競争を煽る教育施策が打出されているが、PISA〇六をふまえ、学校現場で大切にしていかなければならないことは。
福田 長い目で見て、人間を育てていくという教育制度が必要だ。教員が教えることに意欲的にとりくみ、感動をもって教えられるように、教材研究・開発、授業準備など教員の学びを十分に保障することが大切だ。少人数学級にして、個々の子どもの学力を日々把握し、つまずきにはいつでも対応できるようにすることが土台だ。
また、授業の基本原則は、答えを押しつけない、問いを起こさせ考え抜く授業をする、基礎・基本を底上げする、長い目で人を育てる、ということでよいと思う。その先は知識はオープンであるという哲学が待っているが、日本ではそれを議論するのはまだ難しい。
知識を覚える教育が、考えさせない教育になっていたのではないか、日本の子どもたちは考えないよう育てられているのではないか、この点が、PISA調査が一貫して明らかにしたことではないか。
岡島 競争に拍車をかける「教育改革」の流れの中で、「点数学力」に一喜一憂せず、子どもたちが自立し、生活・社会で生きてはたらく「ゆたかな学力」を大切にすることが重要だと再確認できた。狭義の「学力」に特化した動きに対し、地域や子どもの実態に応じ、子どもが主体となる学びや、意欲につながる実践をすすめたい。(了)
『月刊JTU』FEB/2008(Special Edition)
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