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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

横山証言傍聴記~異次元の法廷

2005年10月13日 | 日の丸・君が代関連ニュース
96席に対して約300人近い行列。傍聴券を手にした幸運に感謝して印象を記す。
インベーダー(古い譬え!?)横山洋吉元教育長に刮目。さすがただものではない。
言っていることは、単純ないくつかのフレーズ
なのに、弁護団の120分に及ぶ反対尋問にも、微動だにしない偶像崇拝ぶりにはただただ恐れ入ってしまう。
嘘も100回繰り返せば真実になると言う、和製ゲッペルスか。

一つめのキーワードは、「学習指導要領の『趣旨』に則り」というフレーズ。
 これは、日の丸を三脚に立てることや、フロア形式でやることなどが、何故いけないか、教員の座席指定や座席の向きまで決めることは、「学習指導要領」のどこに書いているか、の類の質問に対して、誰が見ても「学習指導要領」には一言も触れていないところを、「趣旨」に則ればそうなるはずだと、強弁するのである。

二つめのキーワードは、「教育指導上の課題だから強制ではない」というフレーズ。
 教師に職務命令を発し、次いで古賀都議の質問(04/10/28)に呼応して、生徒に起立を指導する職務命令まで出しておきながらながら、それは「強制」には当たらないという、強弁の根拠がこれだ。政府答弁の曲解であるとの澤藤弁護士の指摘にも、動ずる風無く強弁を繰り返す。論理の通用しない世界だ。
「野中国務大臣 …児童生徒の内心にまで立ち入って『強制』しようとする趣旨のものではなく、あくまでも『教育指導上の課題』として指導を進めていくことを意味するものでございます。」(99/7/21内閣文教委員会)

三つ目のキーワードは、「内心の自由を、これから歌おうとする直前に言うのは、歌わなくても良いというようなもので、不適切である」という言い回し。
 これも「国歌斉唱」が憲法上の「内心の自由」に先行するという倒錯した論理だ。

四つ目のキーワードは、「国歌斉唱が、学校経営上の最大の課題である」と言い切る傲岸さ。
 いじめ、不登校など深刻な課題に対して真摯に取り組む教師が教育者としての良心から不起立をしていても、処分や解雇しても恬として恥じない。上司の「職務命令に従うこと」が教育者に求められる最大の資質といいたいらしい。教育者と言うより明らかに政治屋でしかない。

五つ目のキーワードは、「嘱託の取消は、事前に告知してある」と「量定の基準は『職務命令違反』が重い(交通違反や管理監督責任違反より)」というフレーズ。
 他府県の事例との比較も一切顧慮の範囲外で、自らの判断が絶対に正しいという傲岸不遜な思い上がり。あんたはいつから三権の長かそれとも天皇様になったのか、と問いつめたくなる問答無用の自信家ぶり。

判例で言えば、旭川学テ最高裁判決の「戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的・画一的に流れ、時に軍国主義的又は国家主義的傾向を帯びる面があったことに対する反省によるもの」の文言や、
学習指導要領で言えば、特別活動の中の「学校の創意工夫を生かすとともに,学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮し,教師の適切な指導の下に,生徒による自主的,実践的な活動が助長されるようにすること」の文言や音楽の「音楽の歴史を考察させるとともに,音楽の文化的意義を理解させる」の文言、
国会の政府答弁で言えば、「政府としては、今回の法制化にあたり、国旗の掲揚等に関し、義務づけを行うことは考えておらず、従って国民生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものです」(99/6.19衆院本会議小渕首相)の文言も、
弁護士の問いかけに対して、法理論で切り結ぶことが出来ない無知と無能ぶりをさらけだしながら、自己のワンパターンの決まり文句のみを繰り返すという頑迷な恥知らずぶり。
澤藤弁護士が「一部国家主義的偏った主張を持つ地方議員に引きずり回されているのが東京都の教育の実態ではないか」の指摘には、色をなして「失礼な言い方」と反発していたが、澤藤さんよくぞはっきり言ってくれた、というのが傍聴席の感想である。

英経験論の祖ベーコンの4つのイドラの4番目に、「劇場のイドラ」と言うのがある。
論理や理性によらずして、伝統や既成の権威に盲目的に従ってしまう偏見のことだが、横山洋吉をリーディングアクターにして、都教委及び東京都の教育公務員6万5千人が劇場のイドラに踊らされ、かつ司法=三代川裁判長も幻影に染まってしまうとするなら、IT産業や新幹線など物質面では世界の最先端を行く日本も、精神面ではルネサンス以前の「前近代」のまんま、ということになってしまうのではないだろうか。400年も時代をさかのぼってやり直さなければならないのだろうか、今の日本は。
「良心」や「良識」という言葉が意味をなさない、異次元の世界にいるような違和感を感じた法廷であった。

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