こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と、断固、闘う増田です!
東京都教職員人権侵害センターが作成してくれた、なんとも拙劣なるレポート課題と、私の「回答」です。
「インターネットでは、情報の伝わる速さと範囲が大きく、日常会話と異なり相手がその場で反論や弁明を行う機会がないまま一方的に意見等を述べる形になりやすいこと、社会に及ぼす影響が予想以上に大きくなる場合があることなどがあります。そのため、情報発信者は、相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要があります。
こうした内容を生徒に指導する教師が情報モラルを見につけることは、極めて重要な課題です。
このことについて、あなたはどう考えますか。」
*1200字から2000字程度で記述することとします。
<回答>
実に拙劣な「課題」である。このような授業をすれば、生徒は、一回で、いやになってしまい、このような拙劣なる課題を出す教師の授業には、以後は乗ってこなくなるであろうと思量される。この「課題」作成者が、己の極めて拙劣なることに今以て気付いていないとすれば、教師の資質にきわめて不足した者(達)であったに違いないとも思量される。
では、どこがきわめて拙劣なのであるか? 正解を自分で言ってしまっているからである!?
曰く、「このことについて、あなたはどう考えますか」と。さすれば「全く同感です。インターネットでは、情報の伝わる速さと範囲が大きく、日常会話と異なり相手がその場で反論や弁明を行う機会がないまま一方的に意見等を述べる形になりやすいこと、社会に及ぼす影響が予想以上に大きくなる場合があることなどがあります。そのため、情報発信者は、相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要があります。こうした内容を生徒に指導する教師が情報モラルを見につけることは、極めて重要です」という以外の正答はないではないか!?
そこで、これではあまりにもつまらないので、次に、このような拙劣なる「課題」を作成できる能力の持ち主(達)の精神構造の分析をしてみよう!
「相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要」は、「情報発信者」ならずとも、通常の社会生活をする人として必要なことである。ところが、この「課題」作成者達は「増田用、見張り番日誌」に「職務」として、たとえば「トイレに立った時間」も「9:39~9:42 離席」「10:46~10:50 離席」とか明記して恥じない人たちである。それどころか「休息時間」である「時間」でさえも「12:00~12:15 離席」とか「15:00~15:15 離席」とか、「命じられた」ままに明記するなどして恥じない人たちである。まったく「相手の気持ちを考える」こともない「とともに社会的責任を自覚」することもなく、不「適切な情報を」、どうやら心底「適切な情報を発信」していると心底考えているらしい事実がある。
中でも、女性指導主事の二人などは、「どこに行くんですか?」「トイレに行くんですか?」などということまで厚顔無恥にも口に出して聞いてくるなど、まったく「相手の気持ちを考える」こともない「とともに社会的責任を自覚」することもなく、不「適切な情報を発信する必要が」あると心底考えていたらしい事実が存在する。つまり、この課題作成者(達)の精神構造においては、他人に対しては「相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要」などと明記することはできるのであるが、自分の実践においては「相手の気持ちを考え」ることなど全くない「とともに社会的責任を自覚」することもなく「して」、不「適切な情報を発信する」ことを「必要」と考えることができる、という精神構造の持ち主達なのである。したがって、指導主事達が「通常の人」としての「モラルを見につけることは、極めて重要である」と思量される。さらに彼らには近現代史学習が「極めて重要である」と思量される。アイヒマンも、東京裁判におけるA級戦犯達も「職務」を遂行しただけなのである、「命じられた」ので。
そこで生徒を指導する場合、アイヒマン・トレーニングの話は実に「適切な課題」となるだろう。また、これに関連して、歴史的分野における大日本帝国皇軍の侵略戦争の学習及び現代の「侵略戦争正当化」論について学習することは、「情報の真偽」「情報発信者のモラル」について、生徒自身が「インターネット」で情報を発信する場合も受信する場合も「情報モラルを身に付ける」ために「極めて重要である」。したがって、「こうした内容を生徒に指導する教師」及び指導主事は、歴史的分野における大日本帝国皇軍の侵略戦争の学習及び現代の「侵略戦争正当化」論、及びアイヒマン・トレーニングについての「情報モラルを見につけることは、極めて重要である」と思量される。
東京都教職員人権侵害センターが作成してくれた、なんとも拙劣なるレポート課題と、私の「回答」です。
「インターネットでは、情報の伝わる速さと範囲が大きく、日常会話と異なり相手がその場で反論や弁明を行う機会がないまま一方的に意見等を述べる形になりやすいこと、社会に及ぼす影響が予想以上に大きくなる場合があることなどがあります。そのため、情報発信者は、相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要があります。
こうした内容を生徒に指導する教師が情報モラルを見につけることは、極めて重要な課題です。
このことについて、あなたはどう考えますか。」
*1200字から2000字程度で記述することとします。
<回答>
実に拙劣な「課題」である。このような授業をすれば、生徒は、一回で、いやになってしまい、このような拙劣なる課題を出す教師の授業には、以後は乗ってこなくなるであろうと思量される。この「課題」作成者が、己の極めて拙劣なることに今以て気付いていないとすれば、教師の資質にきわめて不足した者(達)であったに違いないとも思量される。
では、どこがきわめて拙劣なのであるか? 正解を自分で言ってしまっているからである!?
曰く、「このことについて、あなたはどう考えますか」と。さすれば「全く同感です。インターネットでは、情報の伝わる速さと範囲が大きく、日常会話と異なり相手がその場で反論や弁明を行う機会がないまま一方的に意見等を述べる形になりやすいこと、社会に及ぼす影響が予想以上に大きくなる場合があることなどがあります。そのため、情報発信者は、相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要があります。こうした内容を生徒に指導する教師が情報モラルを見につけることは、極めて重要です」という以外の正答はないではないか!?
そこで、これではあまりにもつまらないので、次に、このような拙劣なる「課題」を作成できる能力の持ち主(達)の精神構造の分析をしてみよう!
「相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要」は、「情報発信者」ならずとも、通常の社会生活をする人として必要なことである。ところが、この「課題」作成者達は「増田用、見張り番日誌」に「職務」として、たとえば「トイレに立った時間」も「9:39~9:42 離席」「10:46~10:50 離席」とか明記して恥じない人たちである。それどころか「休息時間」である「時間」でさえも「12:00~12:15 離席」とか「15:00~15:15 離席」とか、「命じられた」ままに明記するなどして恥じない人たちである。まったく「相手の気持ちを考える」こともない「とともに社会的責任を自覚」することもなく、不「適切な情報を」、どうやら心底「適切な情報を発信」していると心底考えているらしい事実がある。
中でも、女性指導主事の二人などは、「どこに行くんですか?」「トイレに行くんですか?」などということまで厚顔無恥にも口に出して聞いてくるなど、まったく「相手の気持ちを考える」こともない「とともに社会的責任を自覚」することもなく、不「適切な情報を発信する必要が」あると心底考えていたらしい事実が存在する。つまり、この課題作成者(達)の精神構造においては、他人に対しては「相手の気持ちを考えるとともに社会的責任を自覚して適切な情報を発信する必要」などと明記することはできるのであるが、自分の実践においては「相手の気持ちを考え」ることなど全くない「とともに社会的責任を自覚」することもなく「して」、不「適切な情報を発信する」ことを「必要」と考えることができる、という精神構造の持ち主達なのである。したがって、指導主事達が「通常の人」としての「モラルを見につけることは、極めて重要である」と思量される。さらに彼らには近現代史学習が「極めて重要である」と思量される。アイヒマンも、東京裁判におけるA級戦犯達も「職務」を遂行しただけなのである、「命じられた」ので。
そこで生徒を指導する場合、アイヒマン・トレーニングの話は実に「適切な課題」となるだろう。また、これに関連して、歴史的分野における大日本帝国皇軍の侵略戦争の学習及び現代の「侵略戦争正当化」論について学習することは、「情報の真偽」「情報発信者のモラル」について、生徒自身が「インターネット」で情報を発信する場合も受信する場合も「情報モラルを身に付ける」ために「極めて重要である」。したがって、「こうした内容を生徒に指導する教師」及び指導主事は、歴史的分野における大日本帝国皇軍の侵略戦争の学習及び現代の「侵略戦争正当化」論、及びアイヒマン・トレーニングについての「情報モラルを見につけることは、極めて重要である」と思量される。
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