◆ 13日、小田原近現代史講座「昭和天皇と東京裁判」
皆様
おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議(土屋は、もう悪都議としては半人前!?)と断固、闘う増田です! これはBCCで送信しています。重複・長文、ご容赦を。
件名第14回講座を、今月は13日(日)、14:00~16:00、小田原市民活動サポートセンター
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/ssc/odawara/accessmap/accessmap.html
で行います。昭和天皇は敗戦直後から、いかなる政治活動を行ったのか、それは現在の日本と天皇(明仁)にとってどういう意味を持っているのか、東京裁判と憲法制定過程を見ながら、考えていきます。以下、前回の感想の一部をご紹介します。小田原近辺で、ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください!
●第14回小田原近現代史講座「『武器なき闘い』と戦争責任PART2」の感想
*やはり「当時の日本の全ての人々に責任はあった」と思われます。平塚らいてうや市川房枝さえ、戦時中には「天皇に絶対帰一し奉ること。翼賛の臣道を実践すべき。」というような、そのような考えをしていたのかと、驚きと共に悲しみを覚えました。それだけ、自分の正しいと信じる考えを表現することが難しい時代だった、ということなのかもしれません。
そんな時代を繰り返さないためにも、正しい歴史を学び、今の憲法や本当の民主主義を守っていかなければと、あらためて思います。
*どうして戦争したがるのか、全く理解できないが、あの時代に自分が生きていたら、どうしても自分かわいさに戦争に反対する勇気はもてなかったと思う。これから戦争を起こさないために何を為すべきや? ヒントを歴史を学ぶ中から見つけていきたい。
*戦前・戦中に反戦の気持ちがあっても「口にするのは命がけ」だったことを思うと、現在、一応、意見を言える時代にいて、当時戦争に反対しなかった人たちを簡単に批判はできないと思う。
しかし、それでも命を懸けて戦争反対の発言をした人がいたことを、きちんと知る責任が今の私たちにはあることを痛感します。それを知り伝えることが、子どもに対する大人の責任でもあると思います。
*今日の映画「武器なき闘い」を見ても、すごい時代だったなと、思います。リアルタイムで生きていたら、自分はどうだったろう? 戦争に反対できたか? と思うと、なかなか自信がないです。けれど、私たちは真の歴史を学びましたので、「この過ちを繰り返してはならない」と強く思います。
日本敗戦時の「一億総懺悔」論は、一見「日本人みんなに責任がある」と言う論理のようで、「問題をごまかす言葉だな」と思います。しかも、「日本人が懺悔をするのは天皇に対してだ」とすると、アジアの人々に対しての、謝罪の気持ちも何もありませんね?
*前回の戦争責任についての皆さんの感想を読み、「当時を生きた日本人全てに、程度の差こそあれ、戦争責任はあったと、言うべきだなー」という気持ちになりました。
ただ、その責任を果たすことは、当時、極端に難しかった・・・それを「山宣」の映画で、今日は再確認しました。
*今回、初めて参加させていただきました。今までお誘いを受けていながら、他の用事を優先させて、この講座に参加しなかったことを後悔しています。確かなデータをもとに展開される「今まで私たちが知らなかった歴史の事実」には、ただただ驚くばかりです。
私は戦後生まれですが、私の太平洋線のイメージは、食卓を囲んで両親や祖母から聞かされた戦争の話によるところが大きい比重を占めています。「軍部が悪い」「天皇陛下は悪くない」という言葉を、そのまま受け入れそれを信じる・・・というより、私にとっては「それが本当のこと」と刷り込まれていた状態でした。
もう亡くなりましたが、昭和40年代に宮内庁に勤めることになった父も、ずっと、だまされていた一人なのだと知り、複雑な気持ちです。まだ元気でいる母に伝えたいです。
*前回の「戦争責任PART1」を読み、多くの方がいろいろな感想を書かれていることに感動しました。自分の考えていることを自由に表現できる社会を作っていくことが私たちに課せられていることを実感しました。
天皇の幼少期の教育を含め、教育の重大さ、ジャーナリズムのあり方に肝心を持つことが大事だと思います。
*今日の「武器なき闘い」の映画や、日本の終戦処理方法は、「いったい何が正しいのか?」「生きることは何か?」ということを考えさせられた。
あんな悲惨な結果をもたらした天皇制は、廃止すべきであると強く感じる。国は「国民あっての国」である、という原点は、今の政府にも言いたい。権力を持っている者が豊かな暮らしができる国は、おかしい! 正しい情報が入ってこない凡人にはマスコミの役割は大きい。凡人でも「おかしいのでは?」という目を持つことが大事ですね!
皆様
おはようございます。犯罪都教委&1.5悪都議(土屋は、もう悪都議としては半人前!?)と断固、闘う増田です! これはBCCで送信しています。重複・長文、ご容赦を。
件名第14回講座を、今月は13日(日)、14:00~16:00、小田原市民活動サポートセンター
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/ssc/odawara/accessmap/accessmap.html
で行います。昭和天皇は敗戦直後から、いかなる政治活動を行ったのか、それは現在の日本と天皇(明仁)にとってどういう意味を持っているのか、東京裁判と憲法制定過程を見ながら、考えていきます。以下、前回の感想の一部をご紹介します。小田原近辺で、ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください!
●第14回小田原近現代史講座「『武器なき闘い』と戦争責任PART2」の感想
*やはり「当時の日本の全ての人々に責任はあった」と思われます。平塚らいてうや市川房枝さえ、戦時中には「天皇に絶対帰一し奉ること。翼賛の臣道を実践すべき。」というような、そのような考えをしていたのかと、驚きと共に悲しみを覚えました。それだけ、自分の正しいと信じる考えを表現することが難しい時代だった、ということなのかもしれません。
そんな時代を繰り返さないためにも、正しい歴史を学び、今の憲法や本当の民主主義を守っていかなければと、あらためて思います。
*どうして戦争したがるのか、全く理解できないが、あの時代に自分が生きていたら、どうしても自分かわいさに戦争に反対する勇気はもてなかったと思う。これから戦争を起こさないために何を為すべきや? ヒントを歴史を学ぶ中から見つけていきたい。
*戦前・戦中に反戦の気持ちがあっても「口にするのは命がけ」だったことを思うと、現在、一応、意見を言える時代にいて、当時戦争に反対しなかった人たちを簡単に批判はできないと思う。
しかし、それでも命を懸けて戦争反対の発言をした人がいたことを、きちんと知る責任が今の私たちにはあることを痛感します。それを知り伝えることが、子どもに対する大人の責任でもあると思います。
*今日の映画「武器なき闘い」を見ても、すごい時代だったなと、思います。リアルタイムで生きていたら、自分はどうだったろう? 戦争に反対できたか? と思うと、なかなか自信がないです。けれど、私たちは真の歴史を学びましたので、「この過ちを繰り返してはならない」と強く思います。
日本敗戦時の「一億総懺悔」論は、一見「日本人みんなに責任がある」と言う論理のようで、「問題をごまかす言葉だな」と思います。しかも、「日本人が懺悔をするのは天皇に対してだ」とすると、アジアの人々に対しての、謝罪の気持ちも何もありませんね?
*前回の戦争責任についての皆さんの感想を読み、「当時を生きた日本人全てに、程度の差こそあれ、戦争責任はあったと、言うべきだなー」という気持ちになりました。
ただ、その責任を果たすことは、当時、極端に難しかった・・・それを「山宣」の映画で、今日は再確認しました。
*今回、初めて参加させていただきました。今までお誘いを受けていながら、他の用事を優先させて、この講座に参加しなかったことを後悔しています。確かなデータをもとに展開される「今まで私たちが知らなかった歴史の事実」には、ただただ驚くばかりです。
私は戦後生まれですが、私の太平洋線のイメージは、食卓を囲んで両親や祖母から聞かされた戦争の話によるところが大きい比重を占めています。「軍部が悪い」「天皇陛下は悪くない」という言葉を、そのまま受け入れそれを信じる・・・というより、私にとっては「それが本当のこと」と刷り込まれていた状態でした。
もう亡くなりましたが、昭和40年代に宮内庁に勤めることになった父も、ずっと、だまされていた一人なのだと知り、複雑な気持ちです。まだ元気でいる母に伝えたいです。
*前回の「戦争責任PART1」を読み、多くの方がいろいろな感想を書かれていることに感動しました。自分の考えていることを自由に表現できる社会を作っていくことが私たちに課せられていることを実感しました。
天皇の幼少期の教育を含め、教育の重大さ、ジャーナリズムのあり方に肝心を持つことが大事だと思います。
*今日の「武器なき闘い」の映画や、日本の終戦処理方法は、「いったい何が正しいのか?」「生きることは何か?」ということを考えさせられた。
あんな悲惨な結果をもたらした天皇制は、廃止すべきであると強く感じる。国は「国民あっての国」である、という原点は、今の政府にも言いたい。権力を持っている者が豊かな暮らしができる国は、おかしい! 正しい情報が入ってこない凡人にはマスコミの役割は大きい。凡人でも「おかしいのでは?」という目を持つことが大事ですね!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます