講演(要旨)
◆ CEART調査団来日の意義とこれから
◆ ILO・ユネスコ勧告とは何か
66年に「教員の地位に関する勧告」(※1)としたのは、条約のように批准にかかる手間を避け、直ちに守ろう、実行しようと言うことである。また条約のように拘束力が強すぎると現場に政府から押しつけられる。ゆえに自主性を尊重するもの。言わばボランタリーコード(自発的意志による規範)とした。
この勧告の監視、促進機構がつくられている。共同専門家委員会は訴えがあった事例を含め、3年に一度世界における状況を分析し、今後に向けてレポート(報告)を発表している。
※1「教員の地位に関する勧告」は1966年フランスのパリでひらかれた特別政府間会議で日本政府も賛成し採択され、教員の専門性の尊重をはじめ労働条件の改善から教育活動における教職員組合の役割などを積極的に位置づけている。
勧告だが、ILO、ユネスコの専門委員て構成された「共同専門家委員会」略称:CEART<セアート>と呼ばれる監視・促進機構を設けた。セアートは各国の労働組合からの「勧告」違反につぃての申立て[申立権](Allegathion:アリゲーション)を調査し、ILO理事会、ユネスコ執行委員会の承認を経て、各国政府、関係者に勧告などを行ってきている。
◆ 世界で初めてのダイレクトコンタクト(訪問調査)
CEARTはアリゲーション(申し立て)を受けて調査するか、書類調査だけでなく、訪問して調査するミッション(特使)によるダイレクトコンタクトがある。今回は、これである。
ILOは新自由主義の動きに批判的であり、どこかを訪問し、問題を明らかにしたい、と考えていた節がある。
調査はその国だけでなく、全世界に発信される。それだけ影響がある。勤評の問題はイギリス、ポルトガル、韓国と広がっている。
CEART調査団の来日は、後述する第8回CEART報告・勧告の実現にむけて行われた単なる「中立的調査団」ではない。勧告・報告の見直しではなく、報告内容の実現のため更に、より具体的た提案を行うためである。
ILO・ユネスコ勧告の実現の為に障碍となっているのは何か、実現する為にはどうしたらよいのかを明らかにする為のものである。
◆ 国際機関による検証の意味
CEART調査団(ミッション)の訪問により、日本の教育行政は、より上位の国際機関から、厳密な検証を受けることとなる。
国際機関の検証は、その国の法律にとらわれることなく、むしろ、法律のあり方そのものの適否まで分祈するものである。
CEARTは、既に、全教の申立にもとづいて、第8回会議で日本の教育行政について分析をしている。
今回は更に、法制度だけでたく、実際の運用状況(practice)にまで及んで調査し報告書にまとめる。世界で始めてのことであり、世界的な影響がある。
◆ 第8回CEART勧告(2005年12月)の重要な内容
05年にCEARは、既に厳しい評価をしている。以下の3つの事項を見て頂きたい。
①交渉事項に関して
報告は、「ある事項が管理運営事項にあたると分類することをもって、機械的に『勧告』の適用を免れるとの主張は無益である。」とする。
「無益」という厳しい言葉を使っている。いかなる協議・交渉であっても、それは、改革の契機となる。その拒否は、前進的機会さえ放棄するものであり、何のプラスも与えたいとしている。
今回この問題について重視している。来たメンバーを見ても分かる。ビルラットリーは教育局だが、オーツは条約局で交渉問題の担当である。交渉、協議のルールにCEART、ILOは関心を持っている。
②指導力不足教員について
「『勧告』の水準を到底満たしえないと考える」(勧告18項)との指摘は、文部科学省の教育行政は、水準を「満たしていない」、つまり「水準以下」ということが指摘された。
「共同専門家委員会の経験に照らすと、専門職としての教員の指導や能力に関するような非常に重要な決定を行う機関から現職教員が排除されているのは、不可解であり、通常認められているやり方に反する。」(19項)とする。
現場の教職員を入れないのは「不可解」とまで言っている。この国の行政の異常さを端的に明るみにだしている。
③勤務評定について
「結論」からではなく、とりあえず教員評価を前提として、それは「真に客観的な基準」により、「誰から見ても」「透明性の高い」「公正な」運用制度を確立しなければならないと枠をはめ、「公正かつ有効」に運用されなければ、「共同専門家委員会が知りうる範囲において、過去に実施された多くの勤務評定制度は公正かつ有効に運用されず、結局は廃止されている。」(22項)との認識を明らかにしている。
廃止されたものと日本の制度がどう違うのか証明しない限り、「廃止」なのである。
◆ 民主主義の原則の遵守
これらの指摘にあわせて、重要だとおもったことが2点ある。
一つは、教員の異議甲立権を「general right」としていることである。generalとは、「どこからみても」ということであり、社会を発展させるために必要としている「権利」であり、民主主義を標榜する国家において、当然認められるべき権利が日本にはないという指摘である。
2つ目は、報告が全教の申立に関して、conceptual issues(原則的諸問題)の解決を求めて、その問題の解決があれば、他の事実関係上争いも緩和されるだろうとしたことである。「conceptual」と言う言葉は、基本構想=骨格と言った言葉で、日本の教育行政は、その基本において、間違いがあると指摘されたこととなる。
CEARTから見て、日本は、民主主義の基本骨格において改革しなければいけないと見えるのである。
◆ 社会対話の基準
日本の行政の水準で大きな問題は、国際機関の勧告は強制力がないとするものである。
これまでの勧告は、法的拘束力はあるのかないのか。結論的には「ある」。違反したから刑務所に入るということが無いだけ。
ILOで働いていた九州大学の吾郷眞一教授は、憲法98条にも「確立された国際法規は、これを遵守することを必要とする」とあることを指摘している。
日本の裁判で国際法に照らしてどろかと言うことをもっととりあげることが重要とも言っている。
実際に、CEARTは、次のように表明している。
「勧告は、各国が批准したり署名したりすることを条件としていません。しかしながら、ILOとユネスコ加盟国は、その勧告に賛成票を投じたり、承認したりしていようといまいと、その条項を熟知していなければならず、IL0とユネスコにより、それぞれの国での適用が求められています。ですから、勧告は、強い説得的効果をもっています。」(ILO・ユネスコ公式パンフ、2頁)
勧告は、国際基準であり、遵守されるべきものである。そのことは、強制力の問題とは別である。そして、仮に遵守しえないとすれば、その理由、根拠を合理的、説得的に明らかにすることが求められる。
例えば、管理運営事項だから交渉しない、とするなら、なぜ管理運営事項なのか。法律だからと言うなら、なぜ改正できないのか。指導力不足教員の決定をする委員会になぜ現場教員の代表を入れないのか、合理的な説明を求められる。
国際機関の勧告を遵守しないでもよしとする、この国の水準の変更がもとめられるのである。守らないなら、日本はモラルのない国として極めて低い評価を受ける。
◆ 今後に向けて
3つの努力が重要である。①いい勧告が出るように努力する。②勧告の内容をもっと広める。③新たな勧告が出たら、直ちに広める。
2008年5月16日「人事考課・業績評価を検証・告発する5・16集会」講演から
◆ CEART調査団来日の意義とこれから
弁護士 牛久保秀樹
◆ ILO・ユネスコ勧告とは何か
66年に「教員の地位に関する勧告」(※1)としたのは、条約のように批准にかかる手間を避け、直ちに守ろう、実行しようと言うことである。また条約のように拘束力が強すぎると現場に政府から押しつけられる。ゆえに自主性を尊重するもの。言わばボランタリーコード(自発的意志による規範)とした。
この勧告の監視、促進機構がつくられている。共同専門家委員会は訴えがあった事例を含め、3年に一度世界における状況を分析し、今後に向けてレポート(報告)を発表している。
※1「教員の地位に関する勧告」は1966年フランスのパリでひらかれた特別政府間会議で日本政府も賛成し採択され、教員の専門性の尊重をはじめ労働条件の改善から教育活動における教職員組合の役割などを積極的に位置づけている。
勧告だが、ILO、ユネスコの専門委員て構成された「共同専門家委員会」略称:CEART<セアート>と呼ばれる監視・促進機構を設けた。セアートは各国の労働組合からの「勧告」違反につぃての申立て[申立権](Allegathion:アリゲーション)を調査し、ILO理事会、ユネスコ執行委員会の承認を経て、各国政府、関係者に勧告などを行ってきている。
◆ 世界で初めてのダイレクトコンタクト(訪問調査)
CEARTはアリゲーション(申し立て)を受けて調査するか、書類調査だけでなく、訪問して調査するミッション(特使)によるダイレクトコンタクトがある。今回は、これである。
ILOは新自由主義の動きに批判的であり、どこかを訪問し、問題を明らかにしたい、と考えていた節がある。
調査はその国だけでなく、全世界に発信される。それだけ影響がある。勤評の問題はイギリス、ポルトガル、韓国と広がっている。
CEART調査団の来日は、後述する第8回CEART報告・勧告の実現にむけて行われた単なる「中立的調査団」ではない。勧告・報告の見直しではなく、報告内容の実現のため更に、より具体的た提案を行うためである。
ILO・ユネスコ勧告の実現の為に障碍となっているのは何か、実現する為にはどうしたらよいのかを明らかにする為のものである。
◆ 国際機関による検証の意味
CEART調査団(ミッション)の訪問により、日本の教育行政は、より上位の国際機関から、厳密な検証を受けることとなる。
国際機関の検証は、その国の法律にとらわれることなく、むしろ、法律のあり方そのものの適否まで分祈するものである。
CEARTは、既に、全教の申立にもとづいて、第8回会議で日本の教育行政について分析をしている。
今回は更に、法制度だけでたく、実際の運用状況(practice)にまで及んで調査し報告書にまとめる。世界で始めてのことであり、世界的な影響がある。
◆ 第8回CEART勧告(2005年12月)の重要な内容
05年にCEARは、既に厳しい評価をしている。以下の3つの事項を見て頂きたい。
①交渉事項に関して
報告は、「ある事項が管理運営事項にあたると分類することをもって、機械的に『勧告』の適用を免れるとの主張は無益である。」とする。
「無益」という厳しい言葉を使っている。いかなる協議・交渉であっても、それは、改革の契機となる。その拒否は、前進的機会さえ放棄するものであり、何のプラスも与えたいとしている。
今回この問題について重視している。来たメンバーを見ても分かる。ビルラットリーは教育局だが、オーツは条約局で交渉問題の担当である。交渉、協議のルールにCEART、ILOは関心を持っている。
②指導力不足教員について
「『勧告』の水準を到底満たしえないと考える」(勧告18項)との指摘は、文部科学省の教育行政は、水準を「満たしていない」、つまり「水準以下」ということが指摘された。
「共同専門家委員会の経験に照らすと、専門職としての教員の指導や能力に関するような非常に重要な決定を行う機関から現職教員が排除されているのは、不可解であり、通常認められているやり方に反する。」(19項)とする。
現場の教職員を入れないのは「不可解」とまで言っている。この国の行政の異常さを端的に明るみにだしている。
③勤務評定について
「結論」からではなく、とりあえず教員評価を前提として、それは「真に客観的な基準」により、「誰から見ても」「透明性の高い」「公正な」運用制度を確立しなければならないと枠をはめ、「公正かつ有効」に運用されなければ、「共同専門家委員会が知りうる範囲において、過去に実施された多くの勤務評定制度は公正かつ有効に運用されず、結局は廃止されている。」(22項)との認識を明らかにしている。
廃止されたものと日本の制度がどう違うのか証明しない限り、「廃止」なのである。
◆ 民主主義の原則の遵守
これらの指摘にあわせて、重要だとおもったことが2点ある。
一つは、教員の異議甲立権を「general right」としていることである。generalとは、「どこからみても」ということであり、社会を発展させるために必要としている「権利」であり、民主主義を標榜する国家において、当然認められるべき権利が日本にはないという指摘である。
2つ目は、報告が全教の申立に関して、conceptual issues(原則的諸問題)の解決を求めて、その問題の解決があれば、他の事実関係上争いも緩和されるだろうとしたことである。「conceptual」と言う言葉は、基本構想=骨格と言った言葉で、日本の教育行政は、その基本において、間違いがあると指摘されたこととなる。
CEARTから見て、日本は、民主主義の基本骨格において改革しなければいけないと見えるのである。
◆ 社会対話の基準
日本の行政の水準で大きな問題は、国際機関の勧告は強制力がないとするものである。
これまでの勧告は、法的拘束力はあるのかないのか。結論的には「ある」。違反したから刑務所に入るということが無いだけ。
ILOで働いていた九州大学の吾郷眞一教授は、憲法98条にも「確立された国際法規は、これを遵守することを必要とする」とあることを指摘している。
日本の裁判で国際法に照らしてどろかと言うことをもっととりあげることが重要とも言っている。
実際に、CEARTは、次のように表明している。
「勧告は、各国が批准したり署名したりすることを条件としていません。しかしながら、ILOとユネスコ加盟国は、その勧告に賛成票を投じたり、承認したりしていようといまいと、その条項を熟知していなければならず、IL0とユネスコにより、それぞれの国での適用が求められています。ですから、勧告は、強い説得的効果をもっています。」(ILO・ユネスコ公式パンフ、2頁)
勧告は、国際基準であり、遵守されるべきものである。そのことは、強制力の問題とは別である。そして、仮に遵守しえないとすれば、その理由、根拠を合理的、説得的に明らかにすることが求められる。
例えば、管理運営事項だから交渉しない、とするなら、なぜ管理運営事項なのか。法律だからと言うなら、なぜ改正できないのか。指導力不足教員の決定をする委員会になぜ現場教員の代表を入れないのか、合理的な説明を求められる。
国際機関の勧告を遵守しないでもよしとする、この国の水準の変更がもとめられるのである。守らないなら、日本はモラルのない国として極めて低い評価を受ける。
◆ 今後に向けて
3つの努力が重要である。①いい勧告が出るように努力する。②勧告の内容をもっと広める。③新たな勧告が出たら、直ちに広める。
2008年5月16日「人事考課・業績評価を検証・告発する5・16集会」講演から
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます