都高退教ニュース《現場から》
◆ 貧困化する若者 混迷する学校教育(1)
◆ 新規学卒者の就職状況の厳しさ
1月のある日、2年前に卒業した2人の女子生徒が学校を訪ねてくれました。6人の担任のほとんどはすでに異動していて話し込む相手がいず、1年生の時に授業を担当した私の準備室まで足を向けてくれたのです。
2人ともこの3月に短大を卒業するけれど、まだ就職が決まっていません。就職活動は1年目の秋頃から始めたと言っていました。美術系の部活にも熱心に取り組み、成績会議の度に成績優良者に名前を連ねていた生徒達でした。話の節々から、進学してからもそれなりに充実して過ごした様子が伺えました。
2人とも日本学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金の返済を控えており、まだまだ就職をあきらめてはいなかったことにその場はホッとしましたが…。
今の学生の就職活動は、リクナビやマイナビなど就職斡旋企業の携帯サイトにまず登録することから始まるようです。メールで企業の説明会の案内を回してもらい、よさそうなものに参加希望を返信する訳です。先日も説明会の案内を着信したので10分後に返信したところ、もう締め切られていたと憤慨していました。またこれまで面接にまで漕ぎ着けても、内定を出さない場合は連絡してこない企業もあったと聞きました。
新規学卒者の就職状況の厳しさは、バブル経済の崩壊後、90年代半ばから急速に広がってきました。もう10年余り前から大卒者全体のおよそ3割は正規雇用に就いていないのです(残りは就職5割、進学2割の状況)。
さらに現在大卒就職者の約35%は3年以内に離職しています(高卒者の就職割合は2割弱。その内3年以内の離職者は約5割)。一昨年春まで、戦後最長の景気のいい時期が続いていた中でこの状況が広がっていたのです。つまり、正規雇用としての就職難と早期離職者の高い割合は、景気の問題ではなく、若者を使い捨てにする経済構造にその根源があると言わなければなりません。
一方ではアジア各地に工場を移したり、国内に外国人労働者を呼び込みながら、人件費を切りつめることで激しい価格競争に対応して収益を確保するグローバル経済の下では、企業にとって幾ら景気がよくても人々の生活はますます苦しくなるばかりです。
◆ 約20%の生徒の家庭が生活保護基準
私がいま勤めている学校は都心部にある全日制普通科高校です。予備校などで出している偏差値レベルでは丁度真ん中辺りに位置し、4年ほど前に校長が替わってからは「学校経営方針」で「中堅進学校」を標榜しています。実際に大学短大等の指定校推薦がどんどん増えてきたこともあって、卒業生の半数以上が進学するようになりました。
とはいえ進学はすでにお金さえあれば容易い時代です。大学は、推薦(指定校や公募)と入試(AOや般)、さらにセンター試験などを組み合わせて小刻みに定員を埋めており、同じ大学の一つの学部学科に入るのに5回も6回も受験機会を設けています(その度に受験料が振り込まれる)。また有名大学では学部学科を新設して定員を増やす傾向があります。いずれも少子化による受験者の減少に対応した収入確保の方法でもあるのです。
しかしその先、大学短大等を卒業した後は上に述べたとおり、いざ正規雇用としての就職という場面で、立ち往生しているのが現状です。但し、就職率は10月発表に比べて卒業時点の3月発表ではかなり高くなり、この深刻な事態が見えにくくなっています。これは数字の上で、就職率の分母は卒業者全員ではなくあくまでも就職希望者であり、なかなか内定が得られず途中で就職を諦めてしまう入が続出すると分母がどんどん減って、その分就職率が上昇するからです。分子である就職内定者の増加はそれほどではありません。
私の勤務校では、約700人の生徒の内130人余りが授業料減免の対象者です。約20%の生徒の家庭が、収人の面では生活保護基準もしくはそれに近い状態なのです。
3年前に卒業した私のクラスでは、37人の内11人が母子家庭であり(勿論、裕福な家庭もあります)、また両親が揃っていても病気などで生活の苦しい家庭もありました。奨学金と合わせて自分で教育ローンを組んでようやく進学を決めた生徒もいました。
多くの生徒がバイトをしているためか、学校生活の場面では数字上の割合ほどに生活に困っているようには見受けられません。しかし、家族で一日一食でも食事を共にし、手作りのお弁当が詰められて行ってらっしゃいと送り出され、お帰りなさいと迎えられるような安定した生活をおくっている生徒ばかりでないことは、担任を持ってよく分かりました。
もちろん、こうした状況は異動した同僚達の話を聞いても、私の勤務校に限ったことではありません。学費の滞納どころか、「子捨て」と呼ばれるような、日々の食事なども含めてほとんど子どもの世話のできない家庭も広がっています。欠席が続く生徒に運絡をとろうとしても、親も生徒もつかまらない場合も珍しいことではありません。親の貧困化がそのまま若者や子どもの生活の不安定化に現れているのです。
◆ 格差社会の中での高校の機能
格差が拡大し貧困化が進む中で、学校教育は深刻な危機を迎えています。学校で勉強し良い成績を修めること、部活などで活躍することなどが次のステップに繋がらなくなったからです。
確かに高度経済成長の時代、急激に膨らむ中間層への仲間入りを、中卒よりは高卒、高卒よりは大卒と、高学歴が保障しました。数字上の成績を上げ、より高い学歴を付けることによって社会階層の移動が見られました。学校が社会の平等化を推進する装置として、成績などによって人材を配分する機能を果たしたのです。
階層移動は農村から都市への人口移動でもあり、同時に戦後農地改革が創出した多くの自作農が、企業や役所などに雇われて働くようになった子ども世代を通して離農していく職業移動でもありました。
今日、中間層が解体され、一握りの高額所得者と圧倒的多数の貧しい人に両極化する中で、この人材配分機能はもはや働かなくなっています。むしろ格差を固定化する役割を強めているのが今の学校の姿です。
「学カ」的にみた学校間格差が、そのまま所得や資産でみた親の階層間格差を反映しているのは、すでに隠しようもない事実です。
高校は、就職が難しくなる中で普通科に限らず進学傾向を強めています。しかし、進学先を卒業する時点のことを考えると「問題を先送り」しているに過ぎません。「努力しても報われない時代」「努力しなくてもどこかに進学できる時代」の中で、学校が果たしてきた主要な機能の一つは確実に失われているのです。
生徒達はこの状況をだいぶ前から敏感に感じ取ってきたのではないでしょうか。年に10万人を越える高校中退者の増加はその現れとも言えます。
(続)
『都高退教ニュース』(no.76 2010/3/20)から
◆ 貧困化する若者 混迷する学校教育(1)
岡山輝明(現役教員)
◆ 新規学卒者の就職状況の厳しさ
1月のある日、2年前に卒業した2人の女子生徒が学校を訪ねてくれました。6人の担任のほとんどはすでに異動していて話し込む相手がいず、1年生の時に授業を担当した私の準備室まで足を向けてくれたのです。
2人ともこの3月に短大を卒業するけれど、まだ就職が決まっていません。就職活動は1年目の秋頃から始めたと言っていました。美術系の部活にも熱心に取り組み、成績会議の度に成績優良者に名前を連ねていた生徒達でした。話の節々から、進学してからもそれなりに充実して過ごした様子が伺えました。
2人とも日本学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金の返済を控えており、まだまだ就職をあきらめてはいなかったことにその場はホッとしましたが…。
今の学生の就職活動は、リクナビやマイナビなど就職斡旋企業の携帯サイトにまず登録することから始まるようです。メールで企業の説明会の案内を回してもらい、よさそうなものに参加希望を返信する訳です。先日も説明会の案内を着信したので10分後に返信したところ、もう締め切られていたと憤慨していました。またこれまで面接にまで漕ぎ着けても、内定を出さない場合は連絡してこない企業もあったと聞きました。
新規学卒者の就職状況の厳しさは、バブル経済の崩壊後、90年代半ばから急速に広がってきました。もう10年余り前から大卒者全体のおよそ3割は正規雇用に就いていないのです(残りは就職5割、進学2割の状況)。
さらに現在大卒就職者の約35%は3年以内に離職しています(高卒者の就職割合は2割弱。その内3年以内の離職者は約5割)。一昨年春まで、戦後最長の景気のいい時期が続いていた中でこの状況が広がっていたのです。つまり、正規雇用としての就職難と早期離職者の高い割合は、景気の問題ではなく、若者を使い捨てにする経済構造にその根源があると言わなければなりません。
一方ではアジア各地に工場を移したり、国内に外国人労働者を呼び込みながら、人件費を切りつめることで激しい価格競争に対応して収益を確保するグローバル経済の下では、企業にとって幾ら景気がよくても人々の生活はますます苦しくなるばかりです。
◆ 約20%の生徒の家庭が生活保護基準
私がいま勤めている学校は都心部にある全日制普通科高校です。予備校などで出している偏差値レベルでは丁度真ん中辺りに位置し、4年ほど前に校長が替わってからは「学校経営方針」で「中堅進学校」を標榜しています。実際に大学短大等の指定校推薦がどんどん増えてきたこともあって、卒業生の半数以上が進学するようになりました。
とはいえ進学はすでにお金さえあれば容易い時代です。大学は、推薦(指定校や公募)と入試(AOや般)、さらにセンター試験などを組み合わせて小刻みに定員を埋めており、同じ大学の一つの学部学科に入るのに5回も6回も受験機会を設けています(その度に受験料が振り込まれる)。また有名大学では学部学科を新設して定員を増やす傾向があります。いずれも少子化による受験者の減少に対応した収入確保の方法でもあるのです。
しかしその先、大学短大等を卒業した後は上に述べたとおり、いざ正規雇用としての就職という場面で、立ち往生しているのが現状です。但し、就職率は10月発表に比べて卒業時点の3月発表ではかなり高くなり、この深刻な事態が見えにくくなっています。これは数字の上で、就職率の分母は卒業者全員ではなくあくまでも就職希望者であり、なかなか内定が得られず途中で就職を諦めてしまう入が続出すると分母がどんどん減って、その分就職率が上昇するからです。分子である就職内定者の増加はそれほどではありません。
私の勤務校では、約700人の生徒の内130人余りが授業料減免の対象者です。約20%の生徒の家庭が、収人の面では生活保護基準もしくはそれに近い状態なのです。
3年前に卒業した私のクラスでは、37人の内11人が母子家庭であり(勿論、裕福な家庭もあります)、また両親が揃っていても病気などで生活の苦しい家庭もありました。奨学金と合わせて自分で教育ローンを組んでようやく進学を決めた生徒もいました。
多くの生徒がバイトをしているためか、学校生活の場面では数字上の割合ほどに生活に困っているようには見受けられません。しかし、家族で一日一食でも食事を共にし、手作りのお弁当が詰められて行ってらっしゃいと送り出され、お帰りなさいと迎えられるような安定した生活をおくっている生徒ばかりでないことは、担任を持ってよく分かりました。
もちろん、こうした状況は異動した同僚達の話を聞いても、私の勤務校に限ったことではありません。学費の滞納どころか、「子捨て」と呼ばれるような、日々の食事なども含めてほとんど子どもの世話のできない家庭も広がっています。欠席が続く生徒に運絡をとろうとしても、親も生徒もつかまらない場合も珍しいことではありません。親の貧困化がそのまま若者や子どもの生活の不安定化に現れているのです。
◆ 格差社会の中での高校の機能
格差が拡大し貧困化が進む中で、学校教育は深刻な危機を迎えています。学校で勉強し良い成績を修めること、部活などで活躍することなどが次のステップに繋がらなくなったからです。
確かに高度経済成長の時代、急激に膨らむ中間層への仲間入りを、中卒よりは高卒、高卒よりは大卒と、高学歴が保障しました。数字上の成績を上げ、より高い学歴を付けることによって社会階層の移動が見られました。学校が社会の平等化を推進する装置として、成績などによって人材を配分する機能を果たしたのです。
階層移動は農村から都市への人口移動でもあり、同時に戦後農地改革が創出した多くの自作農が、企業や役所などに雇われて働くようになった子ども世代を通して離農していく職業移動でもありました。
今日、中間層が解体され、一握りの高額所得者と圧倒的多数の貧しい人に両極化する中で、この人材配分機能はもはや働かなくなっています。むしろ格差を固定化する役割を強めているのが今の学校の姿です。
「学カ」的にみた学校間格差が、そのまま所得や資産でみた親の階層間格差を反映しているのは、すでに隠しようもない事実です。
高校は、就職が難しくなる中で普通科に限らず進学傾向を強めています。しかし、進学先を卒業する時点のことを考えると「問題を先送り」しているに過ぎません。「努力しても報われない時代」「努力しなくてもどこかに進学できる時代」の中で、学校が果たしてきた主要な機能の一つは確実に失われているのです。
生徒達はこの状況をだいぶ前から敏感に感じ取ってきたのではないでしょうか。年に10万人を越える高校中退者の増加はその現れとも言えます。
(続)
『都高退教ニュース』(no.76 2010/3/20)から
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