(世界の死刑廃止国)
《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
☆ 死刑執行がなかった2023年
2023年には死刑の執行がなかった。2023年はまだ残っているけれど、死刑囚を収容している拘置所もお役所だから、土日や年末年始の閉庁日には死刑の執行は行わない。よって、2023年の死刑執行がないことが確定したわけである。これはどのような理由によるものだろうか。岸田内閣が死刑廃止、または死刑執行停止に政策を変更したということはないだろう。特に法務官僚は死刑執行を一年間行わないことに抵抗があったと思う。だが「諸般の事情」から、政治的判断として死刑執行が行われなかったと考える。
ここ最近の死刑執行数を振り返ってみる。「平成」の事件は「平成」のうちにという(僕には理解不能の)方針により、オウム真理教死刑囚が一挙に執行された2018年が突出しているので、その前の2015年からまず一年間の執行数だけ調べてみる。
2015年=3人、
2016年=3人、
2017年=4人、
2018年=15人、
2019年=3人、
2020年=0、
2021年=3人、
2022年=1人
今のところ、最後の執行は2022年7月26日の秋葉原通り魔事件死刑囚である。2020年に執行がなかったのは「コロナ禍」によるものだ。死刑の執行は、「密閉」した空間に刑務官や検事、医者など多くの人が「密接」に「密集」して行う。まさに「三密」そのもので、実際に刑務所や拘置所などでコロナ感染が多かった以上死刑執行は避けるべきと判断したのだろう。そのため2019年12月26日から2021年12月21日まで、およそ2年間死刑執行がなかったのである。
死刑の執行はおおよそ7月末と12月末に行われた年が多い。これは通常国会と(大体行われる)秋の臨時国会の終了後という意味である。国会で死刑制度をめぐって大きな論争があるわけじゃないけれど、それでも国会で質問される事態を回避したいのだと思う。それはやはり政権側にとっても「死刑執行」は「特に大々的に誇るべきもの」ではなく、EUなど「先進国」から非難される「ちょっと後ろめたいもの」になっていることを示すんじゃないかと思う。
この間の法務大臣は以下の通りである。カッコ内に在任年と執行数を示す。
上川陽子(14~15、1人)、
岩城光英(15~16、4人)、
金田勝年(16~17、3人)、
上川陽子(17~18、15人)、
山下貴司(18~19、4人)、
河井克行(19、0人)、
森まさこ(19~20、1人)、
上川陽子(20~21、0人)、
古川禎久(21~22、4人)、
葉梨康弘(22、0人)、
斎藤健(22~23、0人)、
小泉龍司(23、0人)
つまり、葉梨康弘法相から3人が、執行ゼロである。もう忘れている人が多いと思うけど、「葉梨法相の失言」問題が影響していると考えられる。元警察官僚の葉梨康弘氏は2022年に第2次岸田改造内閣で法務大臣に就任した。その後、同僚議員の政治資金パーティーであいさつし、
「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」
「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」
「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」
などと発言した。これが批判されて、辞職することになったのである。
死刑執行という「国家権力が人命を奪う」究極の刑罰に関して、「軽口を叩く」のはやはりタブーなのである。「地味な役職」を誠実にこなす政治家じゃないと、なかなか執行命令は出せないことになる。この時期の岸田政権は「広島サミット」の成功が最大の目標だった。2023年前半に執行がなかったのは、ヨーロッパ先進国からの批判を避けるためだったかもしれない。その後、柿沢法務副大臣の辞任(その後逮捕)、小泉法相が所属する二階派への家宅捜索と続いた。安倍派の裏金疑惑が毎日大きく取り上げられている時に、死刑執行を行える「道徳的根拠」のようなものが政権側に無くなっているんだろう。
他に裁判の影響も考えられる。いま「再審請求中の死刑執行に対する国賠訴訟」が行われている。これが再審請求中の死刑囚の執行に対する一定の抑止になってるかもしれない。また、「絞首刑執行差し止め請求訴訟」「当日告知・当日執行違憲訴訟」という裁判もある。これらの裁判で、最高裁まで行って現行の死刑執行を違憲・違法とする判決が出る可能性は低いかもしれない。しかし、訴訟の中で様々な証拠提出などを求められ、死刑に関する実態が明らかになることはある。法務省にとって、ある種の抑止力ではあるだろう。
世界各国の死刑廃止状況は上記地図で判るとおり、アジアやイスラム圏以外では大体は死刑廃止、または死刑執行停止の状況にある。他国がどうあろうと日本は関係ないと言えばその通りだが、いつも日本は先進国の仲間で発展した国だと主張したい人々が、中国や北朝鮮やイランと同じく死刑を手放さないのは理解出来ない。そう遠くないいずれかの日に、日本でも「中国とは人権状況が違う」と主張する象徴的ケースとして、死刑執行の停止になる可能性はあると思っている。
死刑制度をめぐる問題を全体的に考えていると長くなりすぎるので、ここでは触れないことにする。死刑制度を支えているのは、「死刑存置論」ではなく、「死刑存置感情」だろう。だから「死刑廃止論」を主張しても、言葉がなかなか届かないのである。ただ日本のような重大犯罪発生率が非常に低い社会で、いつまでも死刑制度を維持しているのは、世界的に見れば理解出来ないと思う。日本人もきちんと死刑問題を議論する必要があるし、その前提として死刑に関する情報を積極的に開示していく必要がある。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2023年12月29日)
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