▼ 「都教委の"君が代"職務命令強硬路線」の軌道修正、政治圧力で潰れる
都教育委員会の役人らが、メディアや世論の批判を強く受け、裁判も多く抱え始めていた2005年、「卒業式等の"君が代"斉唱時、起立せよと全都立学校校長から全教員に職務命令を発出させ、不起立者は即処分」という10・23通達下の強硬姿勢の軌道修正を検討したが、都議や教育委員らの圧力で潰れたことが09年11月27日、明らかになった。
都教委の指示下、地方公務員法を盾に"上司"である全都立学校の校長が出す職務命令は、教員全体に口頭で出す「包括的職務命令」と、教員一人一人に文書で起立・伴奏等の"業務"を命じる「個別的職務命令」とがあるが、前者だけで有効だという最高裁判例がある。
このため土肥(どひ)信雄・前都立三鷹高校長は在職中、定時制の教員には後者の命令を出さなかったところ、都教委に6度も呼び出され、最大6名の役人から「出せ、出せ」と脅迫されたと、これまで多くの集会や裁判で語っている。
10・23通達下、07年春の卒業式等の不起立で、都教委に処分された教員たちが処分取消を求めている都人事委員会の審理で11月27日、土肥さんは「05年夏の校長連絡会で、高野敬三・都教委高校教育指導課長(当時。現指導部長)が『ある程度落ち着いてきたら、個別的職務命令(を出せという指示は)考え直す』と述べた。これは『不起立者が少なくなった段階で、個別的職務命令を出さなくていい』という意味だ」と証言。
教員側弁護士らが古賀俊昭(自民)・土屋敬之(民主・当時)両都議の書いた「石原都知事も知らない教育正常化を阻む東京都教育庁のサヨク幹部」と題する"論文"(『月刊日本』06年4月号)を示しつつ確認すると、土肥さんは「連絡会に出ていた校長の誰かが、高野課長発言を米長邦雄・都教育委員に告げ、その圧力のため、都教委は軌道修正できなかったのだろう。現に米長氏は『味方の顔をした敵は大嫌いだ』と言っている」と語った。
ところで、古賀都議(自民)は05年12月8日の都議会本会議一般質問で、「一定の規律をつくり、各教員にその遵守を求める個別的職務命令の発出は不可欠なものだ」と主張。
中村正彦・都教育長(当時。63歳)が、「個別的職務命令は、教職員に(起立・伴奏といった)自らの職務を明確に認識させ、教育公務員としての使命と職責を自覚させることができると共に、すべての学校が統一した対応をとれる。引き続き個別的職務命令を発出するよう指導し、通達の趣旨を周知徹底していく。職務命令の発出に課題のある学校については、個別に指導の徹底を図っていく」と、エール交換の答弁を行った。
古賀氏はこの際、「私のところに来た都立高校の現職校長からの情報によれば」と前置きして、「個別的職務命令発出の意義」を演説している。
これらの事実から現職校長の中に、古賀氏や米長氏といった政治家や政治色の濃い人物に緊密に接触し、東京地裁難波判決(06年9月)で違憲・違法とされた職務命令の中でも、とりわけ人権侵害の色が濃い個別的職務命令発出で、教員そして生徒をも雁字搦めにしようと画策する者が、少なくとも05年に在職していた事実が浮き彫りになった。
古賀氏は都議会で、この05年12月8日の他、04年6月8日の本会議代表質問、06年3月16日の予算特別委員会の計3回にわたり、「04年3月の卒業式で個別的職務命令を出さなかった都立新宿高校の小栗洋校長と西高校の石川和昭校長(いずれも当時)ら」の実名を挙げ非難している。
この新宿高校長が05年4月、町田高校に異動させられたことについて、土肥さんは「左遷だ」と語り、更に「都教委は『教員への職務命令は、校長の権限と責任で発出するものだ』と言っており、校長判断で個別的職務命令を出さないのは正当」と証言した。
これら土肥さんの証言に対し、都教委側の細田良一弁護士は、一切有効な反論ができなかった。
永野厚男(教育ライター)
都教育委員会の役人らが、メディアや世論の批判を強く受け、裁判も多く抱え始めていた2005年、「卒業式等の"君が代"斉唱時、起立せよと全都立学校校長から全教員に職務命令を発出させ、不起立者は即処分」という10・23通達下の強硬姿勢の軌道修正を検討したが、都議や教育委員らの圧力で潰れたことが09年11月27日、明らかになった。
都教委の指示下、地方公務員法を盾に"上司"である全都立学校の校長が出す職務命令は、教員全体に口頭で出す「包括的職務命令」と、教員一人一人に文書で起立・伴奏等の"業務"を命じる「個別的職務命令」とがあるが、前者だけで有効だという最高裁判例がある。
このため土肥(どひ)信雄・前都立三鷹高校長は在職中、定時制の教員には後者の命令を出さなかったところ、都教委に6度も呼び出され、最大6名の役人から「出せ、出せ」と脅迫されたと、これまで多くの集会や裁判で語っている。
10・23通達下、07年春の卒業式等の不起立で、都教委に処分された教員たちが処分取消を求めている都人事委員会の審理で11月27日、土肥さんは「05年夏の校長連絡会で、高野敬三・都教委高校教育指導課長(当時。現指導部長)が『ある程度落ち着いてきたら、個別的職務命令(を出せという指示は)考え直す』と述べた。これは『不起立者が少なくなった段階で、個別的職務命令を出さなくていい』という意味だ」と証言。
教員側弁護士らが古賀俊昭(自民)・土屋敬之(民主・当時)両都議の書いた「石原都知事も知らない教育正常化を阻む東京都教育庁のサヨク幹部」と題する"論文"(『月刊日本』06年4月号)を示しつつ確認すると、土肥さんは「連絡会に出ていた校長の誰かが、高野課長発言を米長邦雄・都教育委員に告げ、その圧力のため、都教委は軌道修正できなかったのだろう。現に米長氏は『味方の顔をした敵は大嫌いだ』と言っている」と語った。
ところで、古賀都議(自民)は05年12月8日の都議会本会議一般質問で、「一定の規律をつくり、各教員にその遵守を求める個別的職務命令の発出は不可欠なものだ」と主張。
中村正彦・都教育長(当時。63歳)が、「個別的職務命令は、教職員に(起立・伴奏といった)自らの職務を明確に認識させ、教育公務員としての使命と職責を自覚させることができると共に、すべての学校が統一した対応をとれる。引き続き個別的職務命令を発出するよう指導し、通達の趣旨を周知徹底していく。職務命令の発出に課題のある学校については、個別に指導の徹底を図っていく」と、エール交換の答弁を行った。
古賀氏はこの際、「私のところに来た都立高校の現職校長からの情報によれば」と前置きして、「個別的職務命令発出の意義」を演説している。
これらの事実から現職校長の中に、古賀氏や米長氏といった政治家や政治色の濃い人物に緊密に接触し、東京地裁難波判決(06年9月)で違憲・違法とされた職務命令の中でも、とりわけ人権侵害の色が濃い個別的職務命令発出で、教員そして生徒をも雁字搦めにしようと画策する者が、少なくとも05年に在職していた事実が浮き彫りになった。
古賀氏は都議会で、この05年12月8日の他、04年6月8日の本会議代表質問、06年3月16日の予算特別委員会の計3回にわたり、「04年3月の卒業式で個別的職務命令を出さなかった都立新宿高校の小栗洋校長と西高校の石川和昭校長(いずれも当時)ら」の実名を挙げ非難している。
この新宿高校長が05年4月、町田高校に異動させられたことについて、土肥さんは「左遷だ」と語り、更に「都教委は『教員への職務命令は、校長の権限と責任で発出するものだ』と言っており、校長判断で個別的職務命令を出さないのは正当」と証言した。
これら土肥さんの証言に対し、都教委側の細田良一弁護士は、一切有効な反論ができなかった。
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