◆ 関生弾圧は国家権力の共謀犯罪
社会の権利を守り抜こう (週刊新社会)
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)に対する刑事弾圧が止まらない。大阪、京都、和歌山の各府県警による逮捕者は18年以降、すでに延べ80名を超えた。
容疑の多くを占めるのは威力業務妨害と恐喝未遂だが、関生支部や弁護団によると、企業のコンプライアンス違反を指摘したこと、非正規労働者を正社員にするよう求めたこと、さらにはストライキの行使などが“事件化”されているという。
まさに恣意的な法執行であり、労働運動を理由とする刑事事件としては過去に例がないほどの規模に発展した。
いったいなぜ、関生支部がこれほどまでに狙い撃ちにされるのか。
一連の逮捕劇を深掘りすれぱ、大手ゼネコンやセメントメーカーの支配下に置かれた生コン業界独特の構造が、背景として浮かび上がる。
◆ 生コン業界を再建した関生支部
「建設産業の谷間」、建設産業で長い間、生コン業界はそう呼ばれてきた。
それは、ゼネコン、セメントという大資本に挟まれ、その影響力から逃れることのできない立ち位置に起因する。谷間とはすなわち、生コン業界と大手資本との格差、落差を意味するものだ。
戦後まもなく、我が国で生コン産業が誕生してからしばらくは、そうした構造の中で、生コン労働者はタコ部屋に押し込まれ、前近代的な”暴力支配”にも置かれていた。
休日も満足にとれない劣悪な労働環境と低賃金、これを「当たり前」と捉える業界の中で生まれたのが関生支部である。1965年、企業の枠を超えて個人加盟できる産業別労働組合として設立された。
◆ ヤクザにつきまとわれ
労働運動が根付くまでは苦難の道のりが続いた。
なにせ、当時は会社への不満を口にしただけで鉄拳制裁が行われるような業界である。労組幹部はヤクザにつきまとわれ、時にナイフで脅されることなど珍しくなかった。
そうした中でも組織を拡大させ、さらに70年代半ば以降、関生支部は業界の近代化、民主化、健全化を訴えて「政策運動」にも取り組むようになる。
現在、多くの容疑で拘留中の同支部・武健一委員長は、この「政策運動」に関して、かつて私の取材に次のように答えている。
「生コン労働者にとって経営者は対立する相手でもあったが、一方、経営者自身も業界の中ではゼネコンなどに生コンを安く買い叩かれる弱い立場にあった。経営者がダンピング競争によって疲弊し、会社が倒産に追い込まれてしまってはどうにもならない。だから我々としては中小雰細業者をも巻き込んで、もっと言えば一致団結し、大資本と闘わなければいけないと考えるようになったんです」。
生コン経営者に向けては雇用の保障と待遇改善を求め、同時に大資本に対しては経営者をも自らの隊列に加えたうえで、買い叩きや不当な干渉をやめるよう訴えたのである。
さらに90年代に入ると関生支部の働きかげで大阪広域生コンクリート協同組合(広域協)が発足した。
労組と経営者が大同団結し、「売れば売るほど赤字」と言われた生コン業界の再建を目指したのである。
いわば労働組合と協同組合を車の両輪として機能させながら、生コンの売り上げを搾取せんとする大資本に向き合った。その結果、関西地区の生コン業界が大きな飛躍を果たしたのは誰もが認めるところだ。
買い叩きを阻止したことで、生コン価格は中小零細の業者にも必要な利益をもたらした。それは同時に、労働環境や待遇の向上にもつながった。
建設ヒエラルキーの最下層にあつた生コン業界の立ち位置を押し上げることになったのである。
それだけではない。生コンの品質向上を目脂し、「粗悪生コン一掃」のキャンペーンを実施した。
また、手抜き工事の告発なども行い、とくに公共建築物の安全性向上にも奔走した。
業界一丸となって、「安全なコンクリート」の必要性を市民社会に訴えたのである。
◆ 共謀して社会運動つぶし
だが、大資本はそれにおとなしく従ったわけではなかった。
生コン業界が安定的な生コン価格を維持し、建築物の安全を確保するのは、ゼネコンの利益を脅かすことにもなるのだと考えたのだろう。
ここ数年、大資本は関西地区の生コン業界に様々な圧力をかけてきた。そして一部の経営者を取り込む形で広域協への影響力を強め、労組排除に動いたのである。
ゼネコンにとってもセメントメーカーにとっても、生コン業界は「意のままに動く」存在でなければならなかった。そのために、広域協のドライブとして機能してきた関生支部を「犯人」とする様々な事件が「つくられ」ることとなった。
国家権力としても、沖縄における反基地運動、共謀罪反対運動などに積極的に関わる関生支部は、常にやっかいな存在ではあったことだろう。これを好機とばかりに、襲いかかったに違いない。
しかも「反関生支部」の面子に乗っ取られた広域協は、ネオナチ運動などに関わってきたレイシスト集団を暴力装置として雇い、組合事務所を襲撃させるだけでなく、ネットを用いて関生支部への中傷キャンペーンも展開した。
要は、ただの労働争議ではないということだ。大資本、一部経営者、レイシスト、そして国家権力の「共謀」による、社会運動つぶしが進行しているのである。
対岸の火事として眺めているわけにはいかないではないか。壊されようとしているのは、社会の中でかろうじて機能してきた「権利」なのだから。
『週刊新社会』(2020年3月10日)
社会の権利を守り抜こう (週刊新社会)
ジャーナリスト 安田浩一
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)に対する刑事弾圧が止まらない。大阪、京都、和歌山の各府県警による逮捕者は18年以降、すでに延べ80名を超えた。
容疑の多くを占めるのは威力業務妨害と恐喝未遂だが、関生支部や弁護団によると、企業のコンプライアンス違反を指摘したこと、非正規労働者を正社員にするよう求めたこと、さらにはストライキの行使などが“事件化”されているという。
まさに恣意的な法執行であり、労働運動を理由とする刑事事件としては過去に例がないほどの規模に発展した。
いったいなぜ、関生支部がこれほどまでに狙い撃ちにされるのか。
一連の逮捕劇を深掘りすれぱ、大手ゼネコンやセメントメーカーの支配下に置かれた生コン業界独特の構造が、背景として浮かび上がる。
◆ 生コン業界を再建した関生支部
「建設産業の谷間」、建設産業で長い間、生コン業界はそう呼ばれてきた。
それは、ゼネコン、セメントという大資本に挟まれ、その影響力から逃れることのできない立ち位置に起因する。谷間とはすなわち、生コン業界と大手資本との格差、落差を意味するものだ。
戦後まもなく、我が国で生コン産業が誕生してからしばらくは、そうした構造の中で、生コン労働者はタコ部屋に押し込まれ、前近代的な”暴力支配”にも置かれていた。
休日も満足にとれない劣悪な労働環境と低賃金、これを「当たり前」と捉える業界の中で生まれたのが関生支部である。1965年、企業の枠を超えて個人加盟できる産業別労働組合として設立された。
◆ ヤクザにつきまとわれ
労働運動が根付くまでは苦難の道のりが続いた。
なにせ、当時は会社への不満を口にしただけで鉄拳制裁が行われるような業界である。労組幹部はヤクザにつきまとわれ、時にナイフで脅されることなど珍しくなかった。
そうした中でも組織を拡大させ、さらに70年代半ば以降、関生支部は業界の近代化、民主化、健全化を訴えて「政策運動」にも取り組むようになる。
現在、多くの容疑で拘留中の同支部・武健一委員長は、この「政策運動」に関して、かつて私の取材に次のように答えている。
「生コン労働者にとって経営者は対立する相手でもあったが、一方、経営者自身も業界の中ではゼネコンなどに生コンを安く買い叩かれる弱い立場にあった。経営者がダンピング競争によって疲弊し、会社が倒産に追い込まれてしまってはどうにもならない。だから我々としては中小雰細業者をも巻き込んで、もっと言えば一致団結し、大資本と闘わなければいけないと考えるようになったんです」。
生コン経営者に向けては雇用の保障と待遇改善を求め、同時に大資本に対しては経営者をも自らの隊列に加えたうえで、買い叩きや不当な干渉をやめるよう訴えたのである。
さらに90年代に入ると関生支部の働きかげで大阪広域生コンクリート協同組合(広域協)が発足した。
労組と経営者が大同団結し、「売れば売るほど赤字」と言われた生コン業界の再建を目指したのである。
いわば労働組合と協同組合を車の両輪として機能させながら、生コンの売り上げを搾取せんとする大資本に向き合った。その結果、関西地区の生コン業界が大きな飛躍を果たしたのは誰もが認めるところだ。
買い叩きを阻止したことで、生コン価格は中小零細の業者にも必要な利益をもたらした。それは同時に、労働環境や待遇の向上にもつながった。
建設ヒエラルキーの最下層にあつた生コン業界の立ち位置を押し上げることになったのである。
それだけではない。生コンの品質向上を目脂し、「粗悪生コン一掃」のキャンペーンを実施した。
また、手抜き工事の告発なども行い、とくに公共建築物の安全性向上にも奔走した。
業界一丸となって、「安全なコンクリート」の必要性を市民社会に訴えたのである。
◆ 共謀して社会運動つぶし
だが、大資本はそれにおとなしく従ったわけではなかった。
生コン業界が安定的な生コン価格を維持し、建築物の安全を確保するのは、ゼネコンの利益を脅かすことにもなるのだと考えたのだろう。
ここ数年、大資本は関西地区の生コン業界に様々な圧力をかけてきた。そして一部の経営者を取り込む形で広域協への影響力を強め、労組排除に動いたのである。
ゼネコンにとってもセメントメーカーにとっても、生コン業界は「意のままに動く」存在でなければならなかった。そのために、広域協のドライブとして機能してきた関生支部を「犯人」とする様々な事件が「つくられ」ることとなった。
国家権力としても、沖縄における反基地運動、共謀罪反対運動などに積極的に関わる関生支部は、常にやっかいな存在ではあったことだろう。これを好機とばかりに、襲いかかったに違いない。
しかも「反関生支部」の面子に乗っ取られた広域協は、ネオナチ運動などに関わってきたレイシスト集団を暴力装置として雇い、組合事務所を襲撃させるだけでなく、ネットを用いて関生支部への中傷キャンペーンも展開した。
要は、ただの労働争議ではないということだ。大資本、一部経営者、レイシスト、そして国家権力の「共謀」による、社会運動つぶしが進行しているのである。
対岸の火事として眺めているわけにはいかないではないか。壊されようとしているのは、社会の中でかろうじて機能してきた「権利」なのだから。
『週刊新社会』(2020年3月10日)
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