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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

第8回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料から(3)

2018年07月26日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《戒告処分取消合同訴訟報告 山口 広》
 ★ 裁判所に憲法を護れと言わなければならない事態が進行している!


 2015年7月9日に原告7名で「君が代」不起立戒告処分取消を求める含同提訴をおこない、10回を超える口頭弁論の末、2018年3月26日、大阪地裁内藤裁判長は、全く理不尽な不当判決を出しました。
 それに対して、私たち原告は直ちに抗議声明を出し、二日後の3月28日には「またもやあの内藤裁判長がやっぱり不当判決!」「裁判所は憲法をまもれ!」という大見出しの抗議ビラを裁判所周辺で配布しました
 抗議声明では、「判決理由の大部分は、被告・大阪府の主張をそのまま引き写しただけである。しかも、あきれ果てたことに、内藤裁判長は、被告・大阪府さえ主張していない『原告らによる本件職務命令違反行為は、…自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるいうべきである』と断じ、裁判官個人の独断と偏見に基づいて被告側主張を補った。
 重要な争点として原告側が立証してきた諸点について、少しでもまともに検討したと思える部分はどこにもないはじめから結論ありきの判決である。」と指摘しています。
 ★ 恣意的な感情(内藤曰く「自己の信念」)を優先させて、間違った判断をしたのは内藤だ!
 「(不起立という)あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるというべき」というような感情むき出しの判決文は他にあるのだろうか。「みんなが素直に立っているのに座っているとは何事か、けしからん」という感情レベルの判決。
 基準は、己の感情ではなく、憲法であるはず。まさに憲法の示す理念に全く無知・無理解といわざるを得ません。
 ★ 控訴理由書

 そのような内藤判決に対して、わが弁護団は、英知を尽くして全面的批判を控訴理由書に盛り込んでいます。
 その1.内藤判決は最高裁の判断すら無視した恣意的偏見に基づく判決である。
 「不起立」が「特異な行動」という私見の上に「(不起立が)式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものである」と、根拠もなく決めつけている点。「実際には式の進行に具体的な支障は生じなかった」と認定しているにもかかわらずである。まさに、内藤個人が「けしからん」と思うから、処分は正しいと言っている判決。法的根拠全く無し。
 それに対し「当該懲戒処分を正当化しうるに足る必要性・合理性の有無が精査されなければならない。原判決は,その点を全く検討することなく,偏見に基づいた基本的な判断構造,及び恣意的な判断をしており,破棄を免れない。」ときちんと指摘している。
 その2.大阪における府国旗国歌条例や職員基本条例という特殊条件について、内藤判決は、何の説明も無く「(条例の)必要性合理性が認められるので~憲法19条に違反しない」としている点について。
 西原博史教授の意見書の「大阪府の公立学校における国歌斉唱強制の枠組は,~意図的な思想弾圧の構造として導入されたものであり~憲法19条に対する直接的侵害として違憲の評価を受けざるを得ない」との指摘を踏まえて、「府国旗国歌条例下において国歌の起立斉唱を求める本件通達や各職務命令は,子どもの『我が国と郷土を愛する意識』の高揚に資するために発出されたものである~『君が代』の起立斉唱という~まさしく,『特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりする』ものとして,思想良心の自由を直接的に制約するものであるから,最高裁判決の間接的制約論はもはや妥当しない」と批判。
 その3.教師の教育の自由、教師としての思想良心の自由について

 内藤判決は、職務命令が教職員に対して発せられたもので、児童生徒に対して発したものではないので、児童生徒の学習権を侵害するという主張は失当であるという極めて浅薄な判断を示している。
 かつ、国歌斉唱時の起立斉唱は、単なる儀礼的所作だから、国旗国歌に敬意を表することは大事なことだよと「感得」させるだけだから、「誤った知識や一方的な観念を植え付けるような教育を強制的に施す」ものではないので、教師の思想艮心の自由は侵害しないと言う。
 これに対して、控訴理由書では、「教師としての思想及び良心の自由は,教育の自由の範囲内か否かの問題ではなく,教師が個々人としての思想及び良心の自由とは別に,公教育の担い手として,生徒に対して教育を行うに当たっては,自身の思想及び良心に反する場合があったとしても、公教育の観点から,教師としての思想及び良心の自由が優先されなげればならないものである。」
 「生徒に対しては,君が代斉唱時に起立するか否かは生徒の自由な判断で行い,個々の生徒の思想及び良心に従うと教えることこそが,正しい教育実践である」
 「そうであれば教師としての思想及び良心の自由から,君が代斉唱時に起立するか否かは自由だと生徒に教えながら,起立せざるをえない姿を自ら生徒に見せることは,まさに教師としての思想及び良心の自由に反する行動となり,教師としての思想及び良心の自由が侵害されることとなる」と論理的に批判。
 その他、「信教の自由の侵害について」、「国旗国歌条例が憲法94条違反であること」、「国民主権原理に反すること」、「自由権規約に反すること」、「教育長が『職務上の上司』に該当しないこと」等々の論点で、内藤判決批判を行っています。
 なお、各論部分においても、

 ⇒処分が他の教員に萎縮効果を与えることについて、内藤判決は「職務命令を遵守しなければならないとの正しい意識が伝播」するのだから「問題視する理由はない」と主観的な考えを開陳し、思想良心の自由ないし表現の自由を含む精神的自由の尊重、保護の意味を全く無視している点。
 ⇒府国旗国歌条例が大阪府立学校に多数在籍する在日韓国・朝鮮人生徒などのマイノリティーの存在を無視したものであることに対して、全く言及していない点。
 ⇒Iさんの上司である校長が、「職務命令」の文言を言わなかったにもかかわらず、内藤判決は「0校長としては」「起立斉唱するよう命じたと認めるのが相当」と、裁判官が勝手に0校長の「認識」を推測している点。
 等々、内藤判決は、独断と偏見、根拠のない決め付け、判断回避で、原告敗訴を導いたことを指摘しています。
 ★ 7月25日(水)13:30大阪高裁74号法廷で控訴審第1回弁論
 大阪高裁では、減給処分の奥野さん、辻谷さん、再任用拒否の菅さん、野村さん、山田さんが不当判決を受け、戒告取消を求める佐藤さんの控訴審第1回弁論が先日(7月18日)あり、その場で結審という非常に厳しい状況です。したがって、私たち7人の合同提訴も、まともな判決を期待することはできません。
 しかし、私たちはこのままファシズムとも言える状況に手をこまねいているわけにはいきません。とことん、おかしいことはおかしい!不当なことには不当だ!裁判所は憲法を護れ!と声を上げ続けるなかで、世の中を少しでもより良い方向に引き戻すことが問われていると思います。ともに頑張りましょう!
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