パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

日記3/10~3/14

2005年03月28日 | 藤田の部屋
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2005年3月14日(月曜日)     馬車馬
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 O弁護士が言う。石原慎太郎というのはヨーロッパの人から見れば極右政治家である。まさにヒトラーと同類の男である。それが日本の社会では一種の市民権を持っている。 何たることかと。
 日本社会というのは或る意味全体主義、言い換えればファシズム国家なのである。「過労死」という言葉一つとってもそのことは明瞭である。津波と同様、世界に通じる日本語なのであろう。
 自己の人生というものがそこにはない。会社、組織、集団に常に包摂されての人生とも言えない人生なのである。そこでの評価、どう思われるかに人生のすべての価値が凝縮する。
 のんびりと、ぼおっとしてると評判が悪い。あいつは何だ、不真面目だ、使えない奴だということになる。みんなして馬車馬の様に驀進する。常に完全武装の全力疾走である。これじゃあ、行き着く果ては戦争だ。
 繊細な青年達がこのことを嗅ぎ取って社会に背を向け始めた。閉じこもってしまった。もっと多様な価値観をお互いが寛容の精神をもって認め合う社会にしないとますます悲惨な社会となっていくように思われる。

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2005年3月13日(日曜日)     犠牲
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 やっちまえ、というのは日常の不満が鬱積している民衆にとってこのうえない甘美な言葉である。犯罪、暴力のお上による公認である。かくして残虐な行為はやむことがない。
 人の暴力性の根源は何か。アフリカのジャングルから草原に出てきた頃の記憶なのであろうか。
 あの頃は大変だった。一瞬も気が抜けなかった。ライオンが来るは豹が来るはで。今は電車で昼寝が出来るが、自分で運転するとなると一瞬も気が抜けない。その意味では瞬時の闘い、命を賭けた状況は現在も続いているのだと言えなくもない。
 この人間の暴力性を徹底して排除せんとしたのが、かのガンジーの無抵抗主義である。逃げての無抵抗ではない。向かって行っての無抵抗である。とても正視に耐えない。次から次と殴り倒される。それでも起き上がり向かっていくのである。
 右の頬をぶたれたら左の頬を出せ、殴られたら更に身を差し出して殴られよということである。その精神の強靭さにおいて相手の心を撃つのである。肉体的、物理的反撃ではなく、心によって心を撃つのである。とても真似のできる事ではないが、世の現状を見るに何と耐えている人の多いことか。

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2005年3月12日(土曜日)     末裔
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 映画、「チャプリンの独裁者」のシナリオは1937年に完成されたという。ヒトラーの絶頂期である。
 チャプリンは独裁とその末路、歴史を冷徹な目で見据えている。驚くべき男である。「チャプリンの独裁者」は多くの反対に曝されながらも、ドイツ軍のポーランド侵入の5日後に撮影が開始された。ドイツ軍パリ陥落後に完成。当時、世界で最も権力を持っている者を笑い者にした。
 しかし戦後、アメリカ国家と民衆は彼を指弾する。1952年、63歳のチャプリンはニューヨークを出航した後に無線にて「再入国許可」を取り消される ヒトラーを痛烈に批判し「民主主義」の世に希望を託した男は、アメリカによっても排撃されたのだ。
 この撮影はカラーでなされている。カット部分も含めてカラーでの「完全網羅版、チャプリンの独裁者」を是非とも見たいものだ。
 「ライムライト」のアメリカでの上映は製作後19年を経た1971年である。スクリーンで見るひょうきんな姿の彼の胸の内には言い様のない悲痛があったと思われる。彼を謗り、石をぶつけた者の末裔が今やチャプリンを賞賛している。

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2005年3月11日(金曜日)     花燕
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 港着き 襤褸を纏いし 人を見て 帰路の術なく 心凍れり

 かの国は 歴史がないと 賢姫いう イルソンと子の 物語のみ

 地獄への 道を善意が 掃き清め 九万余名 凍土に送る

 拒絶せる 祖父に日本酒 垂らし込み 船に乗せしが 地獄への道

 皮を剥ぎ 鼠を食いて 生保つ 強制労働 ブーケを作る

 親友に 他人と同じく 石投げる 石を投げねば 反革命とは

 地獄をば 楽園なりと 言いし人 記事にせし人 今何思う

 花燕 ああ花燕 コッチョビよ 翼があれば 飛びにしものを

 哀れなる 南労党の 人々よ 命捧げて 命奪わる

 半世紀 前の憎悪を 弄び 人を攫いし 党とは何か

 星影の 星の数ほど 殺されし 山美しき チェジュドの島よ 

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2005年3月10日(木曜日)      春
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 末摘みて 紅優し 春の宵

 水仙の 香りが満ちて 春を呼ぶ

 葛篭開け 蕎麦菓子食べる 童かな

 鶺鴒と 言う名はまこと 美しき 石を叩いて 尾を振る小鳥

 何しても 心虚しき 春愁い 花また花の 清き香りよ

 秋よりも 春は愁いに 満ちたりと 花咲く故に 哀しみ深し

 水の中 鯉じっとして 春を待つ 生きるもの皆 ただじっと待つ

 棄て去らる 季節の怨み 激しくて 烈風となる 春の嵐よ

 この世とも あの世ともいえ 空蝉の 「三月春は 傷をひろげり」
 
 花揺れて 曲が生まれて 風の中 新しき歌 乙女等歌う


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